コロナ危機でアニメ業界に起きていること〜そして、ジブリ映画が普遍的な理由

コロナ危機でアニメ業界に起きていること〜そして、ジブリ映画が普遍的な理由

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2020/09/16
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コロナショックで「当たり前」が崩壊した今、未来をどう考えればよいか。エンターテインメント業界の次代のキーパーソンたちが、コロナ禍の現在とこれからを発信する連載企画「Breaking the Wall」。第1回は、アニメーション映画プロデューサーで新刊『思い出の修理工場』が話題の石井朋彦さんによる特別寄稿を掲載します。

歴史をふりかえれば、そうだから。

私は今、スタジオジブリで宮崎駿監督の新作に関わっています。

週2回、鈴木敏夫プロデューサーと宮崎駿監督が1〜2時間ほど語り合う場に同席させていただいています。

新型コロナウイルスの流行が深刻化し始めた当初、鈴木さんが発した言葉が、今も耳に残っています。

「これは、年内は厳しいね。(終息まで)2年から、3年はかかるんじゃないかなぁ」

WHOが8月中旬の会見で「2年未満で終息するという希望を持っている」と発表する5ヵ月以上前のことです。

新作の制作に集中し、自宅とスタジオの往復、近所のゴミ拾いを兼ねた散歩のほか、外出も外食もしない宮崎さんは「僕は、普段どおりの生活を続けますよ」と答えていました。

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宮崎駿監督〔PHOTO〕gettyimages

先日、鈴木さんにこう問いました。

「なぜ、あんなに早い時期に、長期化するって断言できたんですか?」

「だって、歴史をふりかえれば、そうだから」

コロナ禍におけるアニメーション業界の現状

コロナ禍において、アニメ業界で何が起きているのか。

ふたつの側面から、見ることができると思います。

ひとつ目は、アニメ業界も多くの業種と同様、大きな打撃を受けているということです。

テレビアニメは、春夏秋冬、3ヵ月ごとに年内4クール放映されますが、3月に緊急事態宣言が出された後、納品できなくなった春番タイトルの中止・延期が次々と決まりました。

夏番放映中の今も、空いてしまった枠では、特別番組や再放送が放映されるという状況が続いています。春夏に延期された作品がこの秋から放映され始めましたので、徐々に新作放映は戻りつつありますが。

そんな中においても、多くの作品が放映にこぎつけ、各スタジオの底力が証明された形ともなりました。

劇場アニメも延期が相次ぎ、公開が1年先となった作品もあります。

緊急事態宣言下で劇場は閉鎖されていましたし、再開後の今も、座席は三密を避けるために一席おきとなり、以前のようにお客さんが戻っているとは言えない状況です。

放映・公開延期は、あとに控える作品が玉突きになってゆくということを意味します。新作の企画・制作が遅れ、予算も絞られる傾向にありますので、この秋冬を経て、制作体制を維持することが厳しくなるスタジオも増えてゆくと想像されます。

もうひとつは、コロナ禍においてアニメ現場は対応が早く、様々な創意工夫によって、危機を乗り切っている、という側面です。

アニメはスタッフがカットごとに手分けをし、紙と鉛筆、PCをつかって制作します。

自粛期間中はアニメーターにライトボックス(作画用紙を下から透かす簡易台)を配布し、自宅作業を中心に制作していたスタジオもありました。密を避けつつ、現場を維持し続けたスタジオも多かったようです。進行率が半分以下に落ちたという現場もあれば、8割ほどでもちこたえたという声も聞かれました。元来、アニメ業界はテレワーク(的なる)進行に対応しやすかったのです。

3DCGやデジタル化が進んでいた現場はさらなるテレワーク化が進み、今後も積極的にオンラインを中心とした制作体制にシフトしてゆくというスタジオも増えています。

中国や韓国、東南アジアのスタジオに頼っていた制作工程も影響を受けました。航空便で発送していたカットが1ヵ月以上戻ってこなかったり、取引先がロックダウン中で進行できないという声も聞かれました。他業種と同様、海外に依存しがちだった制作体制の弱点が浮き彫りになった形です。かつては国内中心で制作されていたアニメ(とはいってもかなり前ですが)が、海外のスタジオに頼らなければ制作することができなくなっていた状況は、マスクや医療機器、生活必需品の確保を国外に頼っていたグローバル化の弱点と重なります。

それでも「電送」と呼ばれるデータによる制作シフトは進んでおり(紙と鉛筆の作画でも、スキャンしてデータ転送が可能)、海外のスタジオは在宅で対応を続けていました。海を越えて、各スタジオが一丸となって、この危機を乗り越えているという印象です。

三密を避けられない音響の現場は、アフレコ(声優が映像に声をふきこむ工程)を中心に、大幅な遅延を余儀なくされました。映像制作はなんとか進んだものの、音響作業が行えず、放映を延期した作品も多く見られました。今はスタジオや音響スタッフ、声優の皆さんの地道な対応によって、収録は再開しています。

これまでも、東日本大震災やリーマンショックなど、幾度となく危機はありました。

今回は、それらをしのぐ危機でありながら、個々の現場は、製作委員会や出資元と協議しながら、作品制作と向き合い続けています。

一方で、こんな声もあります。

近年、アニメの制作本数は、1クールあたり80本を超え、劇場作品を含めると、年間400タイトル以上にもなります(テレビシリーズは、1タイトルあたり1クール10〜12話)。1日1タイトルを観ても追いつかない。多くのアニメが、ほとんど見られることなく終わっていた。はたして、これほど作る必要があったのか──と。

新型コロナウイルスの猛威によって、グローバル資本主義・大量消費社会を見直さざるを得なくなった今。アニメ業界においても、過酷な制作状況と需要と供給のアンバランスをどう考えてゆくかは、目をそむけることのできない課題と言えそうです。

コロナ禍の、ジブリ作品再上映

映画の公開延期が相次ぎ、映画館の閉鎖が解かれたあとも配給作品がほぼなかった3月後半。劇場からの要望に応える形で、スタジオジブリの旧作が全国で上映されました。

『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『ゲド戦記』──。

鈴木さんが「今の世の中と関係のある作品」として選んだ4作には、多くのお客さんが、足を運んで下さいました。

一席ずつ空けた満員の映画館で『風の谷のナウシカ』や『もののけ姫』を、マスク姿のお客さんが食い入るように観る光景。腐海や瘴気、感染症やタタリ神といった、まるで今日を予見したような内容に、私のような凡人はつい興奮してしまうのですが、ふたりに「未来を予知した」という意識はまったくなさそうです。

歴史に学び、今この瞬間のことを考え続けてきた結果、作品が生まれたのだ──という態度は一貫しています。

ふたりの対話は、今起きていること、歴史、そこから見えてくる未来の話が中心です。

鴨長明の「方丈記」、ペストやスペイン風邪の歴史等、話題は多岐にわたりますが、いずれも歴史という大きな流れの中で、今何が起きているのかを静かに見極めようとしているように見えます。

歴史から学ぶ、エンタテインメントの存在意義

そんな中、NHK BSで放映された「NHK BS1スペシャル 江戸の知恵に学べ〜コロナ時代を生きる術〜」からは、個人的に大きな感銘をうけました。

江戸時代の300年間には、はしかが13回、コレラが3回、大流行したそうです。

日本文学研究者のロバート・キャンベルさんと奈良女子大学の鈴木則子教授が紹介していた『麻疹癚語』(1824年)や『房種戯画』(1862年)という書物には、当時の様子が、絵と文字によって克明に描かれています。

薬屋に人々が長蛇の列をつくる一方、食堂や吉原に足を運ぶ人が絶え、庶民も著名人も、今日と同じように命を落としていた様子が、まざまざと伝わってきます。

線と面、単色の組み合わせで描かれる筆致はマンガ・アニメ的であり、記号的な表現だからこそ伝わってくる情報の豊かさに、ハッとさせられます。

静岡県の造り酒屋で幕末に記された『袖日記』の記述によると、ある村の人々は疫病を「狐憑き」によるものだとし、狐の天敵である狼(お犬様)の札をもらって、疫病の終息を願ったそうです。解決不能な問題を、まるでポケモンのようにキャラクター化して、納得する。疫病を予言する妖怪「アマビエ」を、漫画家やイラストレーターの方々が様々な形で描いたことも、記憶に新しいところです。

当時の娯楽であった歌舞伎や長唄、落語なども、演目に疫病をからめつつ、皮肉とユーモアたっぷりに、風刺を交えて人々を楽しませていました。他者を誹謗中傷したり、引きずり下ろしたりするのではなく、物語を通して、人々の傷ついた心を癒やしていたという事実から、学ぶべきことは多いように思います。

すでに、ライブエンタテイメントや舞台の世界では、オンラインライブや、密を避けた興行を模索する動きが始まっています。アニメは制作に時間がかかりますから、半年後、一年後くらいから、コロナ禍を経た作品が生み出されるのではないでしょうか。

もうひとつの脅威は、不安という病

人類史上、地球規模で、同時期に、これほど多くの人々が強制的に心と身体をリセットし、考える時間を与えられたことは、初めてだと思います。

緊急事態宣言下は、疫病に関する論文や歴史書を読み、映画やドキュメンタリーを観るかたわら、ミヒャエル・エンデのファンタジー小説『モモ』を読み返しました。

時間泥棒「灰色の男たち」に奪われた時間を取り戻す少女モモの物語を通して、強制的に考える時間を得た世界中の人々が、何を考えたのかに思いをはせました。

昨年末『思い出の修理工場』(サンマーク出版)というファンタジー小説を出版しました。人々の傷ついた思い出を修理する工場に迷い込んだ少女が、人間たちから過去の思い出や歴史を奪おうとするエージェントたちに立ち向かう物語です。

今あらためて、未来に漠然とした不安を抱くよりも、過去から学び、今目の前のことをひとつひとつやるべきだということを、自戒をこめて胸に刻んでいます。

新型コロナウイルスと並ぶ脅威は、いたずらに不安をあおり「世界は変わる、乗り遅れるな」と声高にさけぶ「灰色の男たち」です。そういう人たちは、一見何かを生み出しているようなふりをしていますが、結果何も生み出しません。

半年前、3ヵ月前、1ヵ月前に流布した多くの情報が間違っていたように、これからどうなるのかは、誰にもわからない。

その中で、ひとりひとり、我々の業界で言えば作り手たちが、ある時間をかけて熟成させ、議論を重ねた結果が作品として世に出るとき、はじめてエンタテイメント業界において、コロナ禍とは何だったのかが、見えてくるのではないでしょうか。

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