ファンも「嘘だろ」とあ然...キャンプ前に成立した“まさかのトレード”列伝

ファンも「嘘だろ」とあ然...キャンプ前に成立した“まさかのトレード”列伝

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  • 更新日:2022/01/16
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97年シーズンのキャンプイン前に巨人にトレードとなった石井浩郎(写真提供・読売ジャイアンツ)

シーズンオフのトレードといえば、年内に成立するパターンがほとんど。この時点で契約更改を済ませていた選手は当然「来年もこのチームで頑張るぞ!」と意欲を新たにするが、時には年明け後の春季キャンプ直前になって、当の選手はもとより、ファンもビックリの駆け込みトレードが成立することもある。

【写真】“驚くほど美しい妻”と米で話題になったマー君の奥様はこちら(8枚)生え抜きのスター選手放出にファンが抗議する騒ぎに発展したのが、1985年1月24日に発表された中日・田尾安志と西武・杉本正、大石友好の1対2交換トレードだ。

前年3連覇を逃した西武は、主砲の田淵幸一が引退。V奪回のためにも、田淵に代わる強打のスターの補強が急務となった。

一方、広島に3ゲーム差の2位でV逸となった中日も、左の強打者が多い広島、巨人を倒すべく、10勝以上が可能な左腕を欲しがっていた。

そんな両者の思惑が一致して、キャンプまで1週間ちょっとという時期に商談が成立した。

ここまでずれ込んだのは、当初西武が大島康徳、中日が杉本プラス森繁和を希望したため、折り合いがつかず、一度話が立ち消えになったからだった。だが、年明け後に交換要員を変更して再交渉した結果、今度は話がまとまった。

田尾は中日の看板選手だったが、選手会長として要求すべきことを要求し、契約更改もすんなりいかなかったことから、煙たがった球団側が放出に踏み切ったといわれる。

青天の霹靂ともいうべきトレード通告に、田尾は目に涙を浮かべながら「やっぱり中日という気持ちが強かったですからね。ユニホームが変わって頑張ろうとは、今のところ思えない。切り替えにはもう少しかかると思う」と戸惑うばかりだった。

トレード発表後、球団事務所にはファンから抗議の電話が殺到。200人分の署名を持参して中日残留を訴えた女子高生もいた。親会社の中日新聞社にも1千本を超える電話が入り、不買運動も起きたという。

そんな騒ぎを経て、同年、田尾は西武の3番打者としてリーグ優勝に貢献。杉本も86、87年に2年連続二桁勝利と、トレード自体は両チームのいずれも吉と出た。

放出決定後、6球団が手を挙げ、前代未聞の公開トレードになったのが、97年1月15日に発表された近鉄・石井浩郎と巨人・石毛博史、吉岡佑弐(※吉岡雄二の当時の登録名)の1対2トレードだ。

前年、左手首の骨折で出場わずか2試合に終わった石井は11月15日、球団との下交渉で60パーセントダウンの年俸5000万円プラス出来高(推定)の提示に、「25パーセントを超えるダウンは辞めろと言っているようなもの」と激怒。その後、2度にわたる交渉で50パーセントダウンまで修正されたが、石井は納得せず、事実上放出が決まる。

あくまで自由契約を希望する石井に対し、主砲をタダ獲りされたくない球団側は12月16日、トレードによる放出を通告した。

ヤクルト、西武、横浜、ロッテ、ダイエー、巨人が参戦を表明したが、交換相手をめぐり、交渉は難航。先発投手と二遊間を守れる内野手が欲しい近鉄は、石毛と吉岡の名を挙げた巨人に「話にならない」と難色を示し、石井丈裕と橋本武広の両獲りを希望した西武には「1対1で」と突っぱねられた。

その後、横浜の三浦大輔、進藤達哉との交換がまとまりかけたが、最終的に横浜側が「編成上、あの世代(20代前半)の投手は出せない」と拒否し、これまたご破算に。

これらのやり取りが、新聞などを通じて毎日公開されるのだから、俎上に載せられた選手は、さぞかしやきもきさせられたことだろう。

そして、前述のとおり、石毛、吉岡との交換で巨人移籍が決定。北九州で自主トレ中だった石井は「2カ月は長かった。ようやく決まり、スッキリした。(巨人では)自分の能力を出すだけ」と新天地での復活を誓った。

だが、移籍後も故障に悩まされ、近鉄時代の輝きを取り戻すことができないまま、3年後にロッテへ。これに対し、巨人時代に1軍でほとんど実績のなかった吉岡は、近鉄で2年連続26本塁打を記録するなど主砲に成長。トレードによって大きく花開いた。

不調の主力同士を交換し、再生を図ったのが、03年1月7日に成立した中日・山崎武司とオリックス・平井正史のトレードだ。

96年に本塁打王を獲得した山崎は、翌97年から本拠地が広いナゴヤドームに変わると、成績を落とし、02年は出場26試合、打率.192、2本塁打に終わった。

中日に骨を埋めるつもりだった山崎は悩んだ末、「環境を変えてやるのも、ひとつの手」とシーズン終了後、自ら「出してください」と球団側に申し出た。

一方、高卒2年目に15勝27セーブを挙げ、優勝に貢献した平井も、その後は酷使が祟り、この4年間、ほとんど結果を残せなかった。

そんな平井を、オリックス時代に投手コーチとして指導した中日・山田久志監督が「オレが叩き直して見せる」の殺し文句で獲得に動いた。平井も「自分のいいときも悪いときも見てもらっている山田監督の下で、復活を目指したい」と二つ返事で移籍を了承した。

同年、「今年もダメなら、もう終わり」と背水の陣で17年目のシーズンに臨んだ山崎は22本塁打を記録。平井も12勝と揃って復活をはたした。

キャンプ直前の駆け込みトレードも、意外とイケることがよくわかる。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。

久保田龍雄

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