私たちはどこで間違えてしまったんだろう 第18回

私たちはどこで間違えてしまったんだろう 第18回

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  • 更新日:2021/11/25

人物紹介

仁美…高校二年生。町の祭りで起きた無差別毒殺事件で母を亡くす。

修一郎…高校一年生。医学部志望の優等生。事件で妹を亡くす。

涼音…中学三年生。歳の離れた弟妹を事件で亡くす。仁美たちとは幼馴染。

景浦エリカ…涼音の母。派手な見た目と行動で町では目立つ存在。

仁先生…仁美の父親。町唯一の病院の院長。

成富栄一…大地主で町では一目置かれる存在。町内会長も務める。

博岡聡…成富建設の副社長。あだ名は「博士」。引きこもりの息子・聡介を家に抱えていた。

音無ウタ…息子・冬彦が真壁仁のせいで死んだと信じこんでいる。

琴子…息子の流星と姑のウタと同居している。元新聞記者。

流星…小学六年生、ウタの孫。修一郎の妹と仲が良かった。

宅間巌…かつて焼身自殺した町民。小学生の間では彼の幽霊が出ると噂されている。

第十八話

通夜から戻った仁美は塾帰りの修一郎と連絡を取り、斎場での出来事を話して聞かせた。

「涼音が集会に出たのって最初の一回だけだし、あんなふうにエリカちゃんが犯人だって指摘されて、相当堪えたと思うんだ」

「ああ、キツかったろうな」

「ねぇ、修一郎、私たちふたりで涼音を守ろう。たとえ……、たとえエリカちゃんが犯人だったとしても」

「ちょっ、なに言ってんだよ。犯人って、そんなわけないだろ」

「私もそう思ってたけど、琴子さんは否定してくれなかった。新聞社の人がなにか証拠を掴んで、それを聞かされているのかもしれない」

「いや、ないって。怜音と萌音をエリカさんが殺したっていうのか?」

「そんなことないって信じたいけど、自分の子供を手にかける女もいるって琴子さんが」

スマホの向こうが一瞬しんと静まったが、すぐに気を取り直したような声が聞こえてきた。

「琴子さん、ナーバスになってるんじゃないか。流星がずっと学校休んだままだし」

修一郎は麗奈と武蔵と仁美の四人で音無家を訪ねたとき、流星がなにか言いかけたことが気にかかり、あの後、何度も彼の家に行っているのだという。

「でも、あれ以来一度も会わせてもらえなくてさ。具合が悪いのは確かなんだろうけど、行くたび、琴子さんに謝られてる」

「麗奈ちゃんのことをあそこまで拒絶してる理由も気になるよね。ねぇ、次いつ行く? 私も一緒に行きたい。それで琴子さんからエリカちゃんの話も訊いてこようよ」

「わかった、声かけるわ」

「修一郎」

「ん?」

「模試の点数よかったでしょ」

「なんで?」

「いつもより声が明るいから」

「そうか?」

「……あのさ、修一郎」

「なに?」

「……あ、やっぱ、いいや」

なんのためにそんなに勉強を頑張っているのか、訊きたかった。修一郎が医師を志したのは、妹の病気を治すためだ。かすみが亡くなった今も、彼は医者になりたいと思ってくれているのだろうか。

おしるこ事件の少し後に、涼音に言われた言葉がずっと胸の奥に小さな火を灯し続けている。

この町の人たちのためにも末永く元気でいてもらわないとね。真壁医院の次期院長と院長夫人には――。

この恐ろしい事態が収束すれば、そんな未来を夢見ることもできるのだろうか。

忙しいのか修一郎から誘いが来ないまま数日が過ぎた。

涼音のことが心配で、頻繁に連絡を取っているが、住人からの嫌がらせなど大きな問題は今のところ起きていないようだ。しかし、博士の葬儀以降、エリカを疑う声は明らかに大きくなっている。エリカがどうしても通夜に参列すると言ってきかなかったそうだが、止められなかったことを涼音は後悔していた。

「これからはできるだけ家から出ずにおとなしくしてる」

「涼音、やっぱり二番目のパパに頼んで、一時的にその家を離れたほうがよくない?」

「そうだね。二番目のパパとはこじれちゃったから、三番目のパパに頼んでみようかな」

「うん。それまで買い物とかできることはなんでも手伝うから」

「ありがとう、仁美ちゃん。じゃあ、そのとき一緒に作る? 千草おばさ……」

涼音が途中で言葉を呑んだ。エリカが母を裏切っていたのにと、気が咎めたのだろう。

「いいね。教えてよ、ママのレシピ。涼音と一緒にならできそうな気がするから」

「仁美ちゃん……」

涼音はなにも悪くないのだ。そのあとは母のレシピからどの料理を作ろうか、あれも美味しい、これも大好きと楽しい話題で盛り上がり、久々に幸せな気分で電話を切った。

翌日は、朝から冷たい雨模様だった。

自転車をあきらめて徒歩で登校した仁美は、帰り道でマスコミらしき男に待ち伏せされ、慌てて逃げようとしたのだが……。

「僕だよ、僕」

傘から人懐っこい笑顔が覗く。

「あ……、白都さん」

以前、他社の記者にしつこく絡まれていたところを助けてくれた白都優也とは、それ以来何度か話をしていた。彼もまた中堅出版社の週刊誌記者なのだが、同県の出身で土地勘があるからとこの事件を任されたそうで、他の記者のようにぎらついたところがない。男性にしては小柄だし、優しい顔立ちなので威圧感もなく、以前、涼音にちょっとかっこいい人に会ったと話したこともあった。

「今日は冷えるね。よかったら、あったかい紅茶とケーキでもどう? 近くにいいお店見つけたんだけど」

琴子が掴んでいるらしきエリカの情報を知りたいという思いから、つきあうことにした。

白都に心を開いたわけではもちろんないが、ここと似たような田舎町出身だという彼とはわかり合えることが多く、これまでの対応からもマスコミの人間の中では唯一信頼できると思える人だ。

雰囲気のいいカフェで向かい合うと、白都は心配そうに眉間を寄せる。

「最近はどう? 困ってることない?」

「うん、うちは相変わらずだから、特には……」

「その感じ、君のおうちじゃなく、他で気になることがあるって顔だね」

「なにか、知ってるの?」

思わず身を乗り出した仁美に顔を寄せ、白都は声を潜める。

「すぐに記事になるから話すけど、景浦エリカさんの二番目の夫がいろいろ暴露してる」

「えっ!? 暴露って?」

「主に、いかに彼女が奔放で男性関係にだらしなかったか。誰かを好きになると周りが一切見えなくなり、家族の迷惑や誰かを傷つけることなどおかまいなしに狂ったように恋に突き進んでしまうって。直接事件に関わる話じゃないけど、心証は最悪だと思う」

「……二番目のパパが?」

もともとエリカの浮気が原因で離婚された彼は、復縁のチャンスを狙っていたのかもしれない。窮地に陥ったエリカに、一緒に暮らそうと救いの手を差し伸べたのに断られて憤慨し、マスコミに彼女を売ったということか。

「なにか、聞いてる?」

白都に問われ、仁美は首を横に振る。二番目のパパがエリカと涼音に会いに来たことが彼女たちのためになるなら話すけれど、まだわからない。

「その人の言ってること、本当なのかな?」

「まだ裏取りできてないものもあるけど、保険会社の重役で立場のある人だから、元妻を陥れるために根も葉もない話をでっちあげはしないんじゃないかな」

「その人の話で、エリカちゃんが逮捕されるようなことにはならないよね?」

「うん。ただ……」

「ただ、なに?」

「あ、いや、これはまだちょっと……」

「それ、聞かせてくれたら、白都さんが聞きたいことにひとつだけ答える」

「本当? んー……、わかった。じゃあ、これはここだけの話ね。景浦エリカさんの元舅、つまりかつて八木の原町に住んでいた一番目の夫の父親が連日警察に任意同行を求められていたんだけど、ついに認めたらしい。秋祭りの日、景浦家には農薬があり、事件のあとで疑われないよう、自分が持ち帰ったこと……」

言葉の途中で、仁美は立ち上がり、勢いで倒れた椅子が大きな音を立てた。

「どうしたの?」

「私、行かなきゃ……」

「え? そんな約束は?」

白都はなにか言い続けていたが、仁美は店を飛び出し、雨の中、涼音の家へと走る。

琴子のせいで景浦家に農薬があったのではとすでに噂されてはいたが、涼音の祖父の証言は、噂を真実へと昇華させ、エリカを逃げ場のない窮地に追い詰めかねない。

景浦家の前には、マスコミの人間がたむろしていた。

彼らに見つからないよう、仁美は裏口からそっと中に入る。

敷地の中を玄関へ向かいかけた仁美は、途中でハッと足を止めた。しとしとと降り続く弱い雨の中、どこからか声が聞こえてきたからだ。すすり泣くような涼音の声が。

すぐに思い当たり、仁美は来た道を戻る。涼音は気持ちが沈んだときやひとりになりたいとき、決まってあそこにいた。

ツリーハウスに近づくごとに、涼音のすすり泣く声は大きくなり、仁美は胸が締め付けられた。

きっと祖父から連絡があり、農薬の件を警察に話してしまったことを聞いたのだろう。

涼音を守りたいと思っていたのに、自分の不用意な発言が涼音を悲しませている。

ふたりで助け合うようにと母が涼音と自分にくれた翼型のペアネックレスを制服の上からぎゅっと押さえ、仁美ははしごに手をかけ、意を決して上る。

薄闇の中で泣いている涼音の背中が目に飛び込んできた。

だが、はしご段の途中で、仁美の足が止まる。

そこにいたのは、彼女だけではなかったからだ。

泣きじゃくる涼音を抱きしめていたのは――。

気配に気づき、彼が振り返った。

逃げ出したいのに、足が動かない。

「仁美……?」

涼音がビクッと顔を上げ、修一郎の胸から顔を離す。

「……仁美ちゃん?」

仁美はなにも言えず、バカみたいにそこに突っ立っていた。立ち去りたいのに、強力な接着剤ではしご段に貼りつけられたように足が動かない。

「仁美ちゃん、ごめん……」

涼音の言葉に、なにが? という疑問が浮かぶ。

なにに対して謝っているの?

エリカが、母から父を奪おうとしていたこと?

それとも、自分の気持ちを知りながら、今、修一郎と抱き合っていること?

この町の人たちのためにも末永く元気でいてもらわないとね。真壁医院の次期院長と院長婦人には――。

あの言葉は、なんだったの?

相変わらず涼音の表情は、感情が読み取りづらい。

でも、姉妹のように育った仁美にはわかる。かすかに寄せられた涼音の眉から、申し訳なさが伝わってくる。だが、それは、ずっと思いを寄せていた修一郎を仁美から奪ったときに見せるほど深刻な表情には見えない。

感情を表に出すのが下手な涼音のその顔が、かすかな希望を芽生えさせる。

もしかしたら、修一郎は泣いている涼音をただ慰めていただけなのかもしれない。

仁美の想いに応えるように、修一郎が口を開いた。

「……えっと、こういうこと、だから」

「こういう……こと?」

「だから、あの日……、あの祭りのあと、相談したかったこと」

意味がわからず、立ち尽くす仁美に、修一郎がとどめを刺す。

「僕ら、つきあうことになったから」

気がついたら、ずぶ濡れで自分の部屋にいた。

どうやってあの場から立ち去り、どうやって家までたどり着いたのか、覚えていない。

傘を持っていたはずなのに、なぜバケツの水を浴びたように髪も服も濡れているのかも。

ひとつだけ良かったことは、これだけ濡れていたら、途中で誰かに会っていたとしても涙で顔がぐしゃぐしゃだったことはバレなかったろう。

母の死でもう枯れ果てたと思っていたのに、涙があとからあとからあふれてこぼれ落ちる。

自分の一部が、死んだような気がした。

殺したのは、妹のように思い、信頼しきっていた涼音だ。

息をすることさえ苦しくて、仁美は考えることも感じることも放棄し、身体を床に横たえる。

ずぶ濡れなのはわかっていたが、風呂へ入る気力も髪をタオルで拭く力さえ残されてはいなかった。ただ、ひとつだけやらなければいけないことがある。仁美は首に手をかけ、ずっとそこにあった涼音とペアのネックレスを残された最後の力で引きちぎり、壁に投げつけた。

死んでもいいと思っていたのに、気が付いたら自分のベッドに横たわり、高熱に浮かされていた。

はっきり覚えていないけれど、母の夢を見たような気がする。

意識を取り戻した仁美に気づき、父が泣き崩れたのは、おそらく夢ではなかったのだろう。

三日後、嘘のように熱が引き、身体が楽になった。

父は仁美を叱った。叱られながら、叱られるのはずいぶんと久しぶりだと思った。

それは、夜中に何度も額に置かれた彼の手のように、どこか仁美を安心させた。

久しぶりに鏡を覗くと、なぜか目が少し腫れていた。熱に浮かされながら泣いていたのだろうか。

翌日、仁美はいつも通りに登校し、いつも通りに授業を受け、いつも以上に明るくふるまった。

それを奇異に感じた人もいたようだが、母親を亡くして間もないから、あるいは父親とエリカの関係に心を痛めているからと、間違った解釈をして余計なことを訊かずに呑み込んでくれて助かった。

涼音からはメッセージが嫌というほど届き、電話もかかってきたけれど、そのすべてを仁美は無視した。

今さら言い訳など聞きたくなかったし、今後はもういっさい関わりたくなかった。

あと一年と少し――。

それだけ我慢すれば、この町を出ていける。高校を卒業し、東京の短大か専門学校へ進んで、ここから離れるのだ。そうしたら、もう涼音ともエリカとも顔を合わせずに済む。

そうやって淡々と日々をやり過ごしているうちに、エリカへの疑惑とバッシングはますますエスカレートしていった。

エリカの二番目の夫の暴露話が週刊誌の紙面に踊ると、マスコミはエリカを執拗に追いかけ回すようになった。

守の脅しが効いたのか、あの録音がそのまま世に出ることはなかったが、エリカに階段から落とされた記者は、毒しるこ事件の疑惑の人物として、エリカについて書き立てた。

実名は伏せられていたものの、この町の人間が読めばエリカであることが一目瞭然の記事が週刊誌やテレビのワイドショーをにぎわす。

離婚と再婚を繰り返す恋多きエリカの人生は読みものとしても面白かった。そして、東京で彼女がどれほど豪奢な生活を送っていたかが写真付きで報じられると、住民たち――特に女性陣――は自分たちとの格差に愕然とし、エリカへの敵意と反発をますます強めた。

それまでマスコミに口を閉ざしていた人たちも、エリカがいかに問題のある住民であったか、町内会のルールを無視し、幼い子供を放任して男と酒に溺れる彼女の生活を虚実綯い交ぜにして語り出し、それがまた週刊誌で面白おかしく記事にされた。

エリカの二番目の夫の暴露記事はテレビでも取り上げられて話題となっていたが、あれで終わりではなく、第二弾、第三弾があるのだと、白都が仁美に教えてくれた。

「第二弾の内容は、金。エリカさんがいかにお金にルーズだったか。特に恋をすると美容にかける費用が跳ね上がり、何十万もする美肌エステや痩身マッサージなんかに頻繁に通い、考えなしに使いたいだけ散財していたらしい」

「第三弾は?」

「んー、これは結構衝撃のネタだから、どうしようかなぁ」

もったいぶる白都を見つめながら、仁美は思う。二番目の夫がそうやって情報を小出しにしているのは、真綿で首を絞めるように、エリカのことを執念深くじわじわと痛めつけたいからなのだろう、と。話を聞いたときはそんな彼のことを陰湿だと思ったけれど、今は違う。たぶん、それだけ深いのだ。彼が負わされた傷が。

マスコミが煽っているせいもあるのだろうが、博士の通夜の席でこやぎ庵の店主が言っていたように、いつの間にか、毒しるこ事件だけでなく、音無ウタを崖から突き落としたのも、博岡家に放火したのもエリカに違いないという空気がこの町を支配していた。

事態はなにも収束していなかったが、ひとつの区切りとして慰霊祭が執り行われることとなった。

よく晴れた日曜の夕刻、体調の悪い者や、どうしても仕事が休めなかった数名を除き、すべての町民が喪服姿でメーメー公園に集まった。

いや、もう一人、姿を見せなかった人間がいる。エリカだ。

代わりに涼音が洒落た黒いドレスをまとって現れた。隣には修一郎が彼女を守るようにぴったりと寄り添っている。

涼音は、父とともに参列した制服姿の仁美に気づいてなにか言いたげな表情を見せた。だが、仁美は目を逸らし、彼らと距離を取る。

そういえば、出かけしな郵便受けの投函口にギリギリ入るくらい分厚くて大きな荷物が突っ込まれているのに気づいたが、封筒に書かれた仁美ちゃんへという文字が涼音のものだったので、見なかったことにして、そのまま置いてきた。なにが入っているのかわからないが、慰霊祭の前に心を乱されたくなかったからだ。

マスコミは公園内に入らないよう自警団と地元の警察が見張り、撮影も禁止されていたけれど、こんなところで涼音に感情を揺さぶられ、醜態を晒すのは絶対に嫌だった。

会長に代わって守が弔辞を述べ、千草、かすみ、怜音、萌音、そして議論の末、置かれることとなった博士の遺影に、長い黙祷が捧げられた。その後、献花をおこない、全員で空に風船を放つ。

百を超える風船が舞い上がり、夕空に溶けていくさまは幻想的で幼い子供たちは歓声を上げたけれど、犯人が逮捕すらされていないのに慰霊になるのだろうかと、仁美は虚しさを覚えた。

最後にろうそくに火を灯し、全員で公園に並べる。

暗くなってきた園内で慰霊の火が揺らぐ美しくも神秘的な情景を眺め、誰かがぽつりとつぶやいた。

「いつになったらいい報告ができるんだろうねぇ。もういい加減くたびれ果てちまったよ」

仁美と同じように感じていた者が多かったようで、皆、次々に口を開く。

「本当だよ。警察はなにやってんだ! こっちがこんなに協力してるのにさ」

「警察が無能じゃなければ、もうとっくに事件は解決してたはずだぜ」

「そのとおり。あいつらのせいで、俺ら首くくる寸前だ。どうしてとっとと景浦エリカを逮捕しないんだ!?」

こやぎ庵の店主が大きな声を出し、公園が一瞬、静まり返った。

「こやぎ庵さん、やめてくれ。涼音の前だぞ」

守が止めに入ったが、げっそりとやつれ、目を血走らせたこやぎ庵の店主の怒りはおさまらない。

「関係ねぇよ。みんなそう思ってるくせに、なんで黙ってんだよ?」

「なにを根拠にそんなこと言うんです?」と、冷ややかな声を発したのは修一郎だ。

「だって、音無のばあちゃんでも博岡の息子でもなかったら、あとはもうあのときしるこのテントにいた人間しかいないじゃねぇか。テントにひとりでいたあの女なら、いつだって毒を入れられたんだ」

「エリカさんは怜音と萌音を亡くしてるんですよ。自分が毒を入れたおしるこを自分の子供たちに食べさせるわけないでしょ?」

「……修一郎、読んでないのか、今日発売された週刊誌?」

「週刊誌? エリカさんが町金から借金してたって記事のことですか?」

修一郎がいうのは二番目の夫の暴露記事ではなかったが、東京で贅沢三昧していたエリカが離婚後もその生活を変えることができず金に困り、高価なドレスや靴、装飾品などの買い物に加え、美と若さを保つため、様々な美容施術に大枚をつぎ込み、さらには、総額一千万円を超える美容整形手術を受けて、その返済に困ってあちこちから借金をしているというものだった。

「あんなの信用できない。週刊誌の記事なんて嘘ばっかりだ。それに、もし本当に借金していたとしても、だからおしるこに毒を入れたってことにはならないでしょ」

「それがなるんだよ、修一郎」

そう言い切るこやぎ庵に、修一郎は怪訝な顔を向ける。

「読んでないみたいだから教えてやるけど、別の週刊誌で、エリカの二番目のだんなが、インタビューに答えてるんだ。ほら、保険会社の重役の」

二番目の夫の第三弾の記事で、仁美は事前に白都から聞かされていた。第一弾はエリカの奔放な男性関係、第二弾は美と若さを保つため湯水のごとく金を使う狂った金銭感覚。そして、第三弾は――。

「そいつが言うには、エリカは怜音と萌音に保険金をかけていたんだと」

驚いた修一郎が涼音を振り返ったが、彼女は知らないというように首を横に振る。

「子供の死亡保険なんて、たいした額じゃないと思うだろ? 普通はそうだよ。でも、ふたりが死んだことで、あの女が手に入れる金、いくらだと思う?」

もったいぶって間を置いたのち、嫌な笑いを浮かべ、こやぎ庵の店主は言った。

「一億を超えるんだってよ」

「一億……?」

さすがに修一郎も息を呑む。涼音も同様に衝撃を受けたようだ。

「嘘よ!」

鋭い声が空気を裂き、みなが公園の北側の入口を振り返る。

そこに、エリカがいた。

フラフラした足取りだったので、また酔っているのかと思ったが、彼女はこやぎ庵をまっすぐに見つめ、言い返す。

「一億なんて嘘っぱち。そんな高額な保険、かけてない」

「そういうことじゃないだろ。あんた、今、我が子に保険かけてたって認めたんだぜ。金に困って、借金してるってのにさ」

「忘れてたの」

「はぁ? 忘れてた?」

「そうよ。そもそもかけたくてかけたわけじゃない。あいつに……、二番目の夫に言われてかけただけ。ノルマを達成しなきゃいけないとかなんとか、はっきり覚えていないけど」

「へー、よくそんな都合よく忘れられるもんだな、自分の子供のことなのに」

こやぎ庵の店主の横で、音無ウタが怒鳴る。

「この売女は子供のことなんてこれっぽちも考えちゃいないよ。うちの流星にまで色目使いやがって、淫乱女が!」

疑いの目が無数にエリカを取り囲む。それを撥ねつけるように、エリカは叫んだ。

「町金から金借りてたのは本当だし、整形したってのも本当。だけど、あたしは、金のために子供を殺したりなんて……」

突然、無数のフラッシュが焚かれ、南側の入口からマスコミの人間がなだれ込んできた。

「景浦さん、借金の事実はお認めになるんですね? あれだけの金額をどうやって返済するおつもりだったんですか?」

エリカにマイクを向けるリポーターの女を、守が怒鳴りつける。

「慰霊祭の取材はしないって、約束だっただろ!」

自警団と地元警察が止めようとしたが、数で負けていた。

「エリカさん、お子さんにかけられていた死亡保険はおいくらなんですか?」

「掛け金は二番目の旦那さんではなく、あなたが払っていたんでしょう?」

「二番目のご主人、あなたに自分の息子を殺されたと憤ってさらなる暴露話をされたみたいですよ。このままでいいんですか? 言いたいことを吐き出してみませんか?」

「……さい」

エリカの言葉が、彼らにかき消されて届かない。

「今、なんとおっしゃいました?」

「景浦さん、もう一度お願いします」

「うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい!」

叫びながら、エリカはそこにあった火のついたロウソクをカメラを持った男に投げつける。

「うわっ、危ねぇな。なにすんだよ!」

「それはこっちのセリフよ!」

「落ち着きましょうよ、景浦さん」

「あんたたちに、子供を失った親の気持ちがわかるかっ!」

エリカは火のついたロウソクを次々手に取り、マスコミの人間目掛けて狂ったように投げつける。

その姿は、テレビカメラにしっかりとおさめられ、その後、連日のように全国のお茶の間に垂れ流されることとなる。

「いい加減におし、この人殺しが!」

そう叫びながらウタが投げたロウソクが、エリカに当たった。

その場にうずくまった彼女のこめかみから、血が流れ落ちる。駆け寄ろうとした父の腕を掴んで、仁美が止めた。

誰からも救いの手を差し伸べられず、傷口を押さえてふらふらと立ち上がったエリカが、ウタと琴子、そこにいる住民たちを睨みつける。

「狂ってるのはあんたたちのほうだ。あんたら全員……」

住民ひとりひとりに挑むような投げられたエリカの視線が、父と仁美の上で止まった。その瞳は一瞬、悲し気に揺れ、通り過ぎていく。

「……地獄に落ちればいい!」

絞り出すように呻いた低い声は、なぜかとても痛々しかった。エリカはひとり、肩を落とし、メーメー公園を後にする。

涼音が追いかけるだろうと思ったが、彼女も修一郎も動かず、エリカの淋し気な背中が夕闇に溶けていった。

我に返った守が号令をかけ、自警団のメンバーや警察がマスコミの人間を公園から追い出して、住民たちはエリカがめちゃくちゃにしたロウソクをなおす。そして、亡くなった五人を悼み、歌を捧げた。

その後、酒や菓子などがふるまわれ、故人の思い出を語り偲ぶ時間となったが、それはまたすぐにエリカを誹謗する時間へと変わっていった。

母がこの場にいるなら、なにを想うだろうと、仁美は暮れていく空を見上げた。

その夜、六人目の死者が出た。

琴子の夫、音無冬彦と同じように、やぎ山の崖下で発見されたその遺体は、仁美たちを動揺させ、恐怖に突き落とした。

崖から転落し、死亡したのは、彼らの息子で、まだ小学六年生の音無流星だった。

折しもその日はイワオの命日で、多くの小学生が、流星はイワオの幽霊に崖から突き落とされたと信じて怯えたが、大人たちが恐れたのは幽霊ではなく生きている人間だ。

流星が死亡した時刻、ほとんどの住民はメーメー公園で慰霊祭に参加していて、確かなアリバイがあった。ひとり先に帰った人物を除いては。

慰霊祭でウタにロウソクを投げつけられて怪我をし、「地獄に落ちればいい」と捨て台詞を吐いて去ったエリカが、孫の流星を――。

エリカはまっすぐ家に帰ったと犯行を否認したけれど、流星を殺害したのがこの町の住人ならば、それはエリカ以外に考えられないと誰もが思った。

そして、それから三か月後、おしるこの鍋に農薬を混入させた容疑で、景浦エリカは逮捕された。

(第19回へつづく)

美輪和音,いわがみ綾子

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