「夫が亡くなった時も」橋田壽賀子さんと石井ふく子氏の60年

「夫が亡くなった時も」橋田壽賀子さんと石井ふく子氏の60年

  • 女性自身
  • 更新日:2021/04/06
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「橋田さんとは60年のお付き合いです。年中喧嘩したり、相談したり、家族のように付き合ってきました。一日電話しないと『どうしたの?』と心配されることもありました」

「思い出がありすぎて何も言えません。こんなに急だなんて悔しくて、なんと言っていいかわかりません」

こうコメントを発表したのはTBSのプロデューサー・石井ふく子氏(94)だ。4月5日、脚本家の橋田壽賀子さん(享年95)が亡くなったと発表された。そこで橋田さんと深く親交のあった彼女は、冒頭のようにコメントした。

2人は’64年のドラマ『愛と死をみつめて』や’79年の『女たちの忠臣蔵』、そして’90年にスタートした国民的ホームドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(すべてTBS系)など数々の名作ドラマを世に送り出してきた。

「出会いは橋田さんが34歳で、石井さんが33歳の頃。橋田さんは年下の石井さんに叱られてばかりだったそうですが、その心配りやユニークさに心を許していたといいます。また同年代の女性同士だからこそ、言いたいことも言える仲でした。

石井さんは原稿を受け取る際、必ず熱海にある橋田さんの自宅にまで出向いたそうです。橋田さんは原稿を鉛筆で書くのですが、石井さんは『ここで休憩を入れたな』と文字を見てたびたび気づいたといいます。それほど橋田さんのことを理解していました」(スポーツ紙記者)

橋田さんは’66年5月、当時TBSのプロデューサーだった岩崎嘉一さんと結婚した。実は、仲人は石井氏だったという。

「ある時、橋田さんが『脚本を書けない』というので、石井さんが話を聞くと『好きな人ができた』と。それが岩崎さんでした。岩崎さんはTBSの局員だったため、石井さんは2人の仲を取り持つことに。すると、それから10日後に2人は結婚したのです」(TBS局関係者)

スピード婚だったが、橋田さんは89年9月に岩崎さんが亡くなるまで添い遂げた。

「橋田さんはその後、自伝的ドラマ『妻が夫をおくるとき』(同局系)を製作しました。岩崎さんとの別れを描いており、石井さんはそのリアリティあふれる脚本に『読むのも辛かった』と話していました」(前出・TBS局関係者)

■「夫が亡くなった時も、辛い気持ちを一緒に背負ってくれた」

そして、’90年に『渡鬼』がスタートした。ドラマが10周年を迎えた00年10月、本誌に登場した2人。そこでこう語っている。

石井「トレンディ・ドラマが隆盛のころでしたから『2人で何か作ってくれ』と言われた時、『家族のドラマしかできないな。それで、もしダメだったら、もうお呼びじゃないということだから“放送界”をやめよう』と言って、スタートしましたね」

橋田「『当たらなかったら、老兵は消えてゆくのみだね』と言って(笑)」

“去り際も一緒”。そう決意し『渡鬼』に臨んだ2人は、まさに戦友同士だったのだ。

「橋田さんは’64年の『袋を渡せば』(同局系)で石井さんに評価してもらったことで、テレビの仕事が舞い込むように。さらに岩崎さんとの仲人を務めてもらっただけでなく、『夫が亡くなった時も、辛い気持ちを一緒に背負ってくれた』とも。そうした友情に感謝していました」(テレビ局関係者)

また石井は、橋田さんを尊敬する気持ちも欠かさなかったという。

「石井さんは橋田さんの脚本に心底惚れていました。『愛と死を見つめて』の脚本が素晴らしかったものの、当初予定していた1時間では到底収まり切れない。そこで石井さんは『どうしても全部放送したい』と、スポンサーにお願いするため奔走しました。そうして、前後編に分けて2回にわたっての放送が実現したんです。

『渡鬼』は新型コロナの影響で製作が延期になったものの、今年撮影に入る予定だったと聞いていました。石井さんは、橋田さんと一緒に完成を見届けたかったでしょうね」(前出・スポーツ紙記者)

60年の友情を築いてきた2人。その思い出は永遠だ。

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