「優秀な経営者には真似できない」世界の山ちゃんを過去最高売上に導いた元専業主婦の"意外な手法"

「優秀な経営者には真似できない」世界の山ちゃんを過去最高売上に導いた元専業主婦の"意外な手法"

  • PRESIDENT Online
  • 更新日:2021/10/14

人生には「想定外」が起きることがある。居酒屋「世界の山ちゃん」を展開するエスワイフード代表取締役の山本久美さんもそんな経験をした一人だ。創業者で当時会長を務めていた夫の山本重雄さんが2016年に急逝。その直後に同社を率いることを決意した。当時は専業主婦、民間企業は未経験、それでも決断できたのはなぜなのか。話を聞いた――。

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撮影=山本典利エスワイフードの山本久美代表取締役 - 撮影=山本典利

「誰かに経営を任せてしまうのは、無責任だと思った」

幻の手羽先を食べたことはなくても、「世界の山ちゃん」の看板を見たことがない人は少ないだろう。そして、あの1度見たら忘れられない看板のイラスト=鳥男のモデルである山本重雄さん(世界の山ちゃんの創業者・エスワイフード前会長)が、2016年8月に急逝したことを知っている人もまた、少ないかもしれない。

さらに言えば、重雄さんの後をついでエスワイフード(世界の山ちゃんの経営母体)を率いているのが、重雄さんの妻の山本久美さん(エスワイフード代表取締役)であることを知っている人は、あまりいないのではないだろうか。ちなみに当時の久美さんは、小2、中1、中3と3人の子供を抱えた専業主婦だった。

会長だった重雄さんが亡くなった直後の9月2日、経営を引き継ぐ「決意表明」をした時の心境を、久美さんはこう語る。

「私はイベントがある時ぐらいしか会社に顏を出さなかったので、社員のみなさんの動きもわからなかったし、会長も次期社長候補を決めてはいなかったので、とにかく何もわからない状態でした。そんな状態で誰かに経営を任せてしまうのは、とても無責任なことだと思ったんです」

前職は小学校の教員、民間企業での経験はなかった

M&Aの話もあったし、他社から新社長を招くという方法もあった。しかし久美さんは、そのいずれも選択する気にはなれなかった。

「M&Aをやれば創業家としては楽なわけですが、会長が遺した会社が人手に渡ってしまうことは妻としても辛かったし、経営が変わると、たとえ従業員が路頭に迷うことはなくても『世界の山ちゃん』という形が変わって、結果的に社員が辞めていってしまうのではないかという不安もありました。それで、誰かに任せることが決まるまでは、私が社長としてではなく、あくまでも代表としてやっていこうと決意したんです」

決意したのはいいけれど、専業主婦だった久美さんの前職は小学校の教員である。会社の経営はおろか、民間企業に勤めた経験すらなかった。

「むしろ、会社に勤めた経験があったら、『やる』とは言わなかった気がします。会社とは、経営とは、いったいどんなものかまったく知らなかったからこそ『やる』と言えたわけで、後になってから、これはマズイなーと」

社員に伝えた「一緒にやってください」

マズイと気づいても後の祭りである。決意表明の直後の9月6日には、主要取引先と全地域の店長が集まる「経営計画発表会」が控えていた。重雄会長は経営計画方針書をしたためてから亡くなっていたので、幹部は「それを読み上げるだけでいいんじゃないか」と久美さんに勧めた。しかし久美さんは首肯せず、集まった人々に向けて「私の考え」をハッキリと伝えることにこだわった。この内容が、不謹慎かもしれないが、面白い。

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店舗に貼られている「山ちゃんかわら版通信 てばさ記」は、専業主婦時代から書き続けている。手にしているのは、2016年9月1日発行の、重雄さん急性直後のもの(撮影=山本典利)

「ひとことで言えば、社員には『一緒にやってください』、お取引先には『助けてください』と、これだけを訴えました。会社のことを思う気持ちは亡くなった会長と同じだけれど、私はまったくの素人だから会長と同じことはできないし、できるようになる能力もないと思う。だから、私と一緒になってやってほしいと。もしかすると、成りすましじゃないけれど、会長のフリをすることはできるかもしれない。でも、会長と同じことを求められたら、いずれボロが出て社員からの求めに応じられなくなってしまう。だから、最初から会長と同じようにはできませんと言ってしまったんです」

一見、破れかぶれのような気もするが、この宣言、自分は素人であること、そして会長と自分は違うのだということを明確に認識できていなければ、できるものではない。

重雄さんと久美さんは、いったいどこがどう違ったのだろうか。

「学校の勉強でこんなに遅くまで起きていても何の意味もない!」

21歳で自衛隊を除隊して、重雄さんが第1号店「串カツ・やきとり・やまちゃん」を開業したのは1981年のことである。スパイシーな手羽先が人気を呼んで、84年以降、急速に店舗数を拡大。重雄さんが急逝した2016年には、実に77店舗を数えるまでに成長していた。

鳥男キャラクターとして看板に登場したことも手伝って、重雄さんには「カリスマ経営者」という異名がついてまわった。エスワイフードの社是は「立派な変人たれ」。重雄さんはまさに、この社是を地で行く変人だったようだ。

「よくカリスマと言われますが、基本的にはものすごく真面目で穏やかな人でした。ただ、本当にちょっと変、というところもあって独特の地雷があるんですよ」

たとえば、子供が勉強のために夜更かしをしていると、急に怒り出すことがあった。

「小説を読んだりして寝るのが遅くなるのはいいけれど、学校の勉強でこんなに遅くまで起きていても何の意味もない! って怒るんです。家族旅行をしている時も、たまたま旅行の直後にテストがあるからって子供が電車の待ち時間に英語の勉強をしていたら、こういう時間も含めて旅行なんだ! っていきなり怒って……。家族としては、えっそこ、という感じでしたね(笑)」

業績不振のときには「7色のアフロ頭」で会議を開催

変人ぶりは、社内でも度々発揮された。業績が思うように伸びず社内に暗いムードが漂っていた時には、幹部の会議に全員アフロのカツラを被って出席することを求めた。しかも、自身は7色のアフロをかぶって会議室に登場したという。

「そういう変なことを、とても真面目にやる人でした。そのギャップが魅力だったのかもしれませんが、決して変なことを社員に強要するのではなくて、自分から率先してやるタイプ、背中を見せるタイプでしたね。私はこういう、ちょっと変わった社風がとてもいいと思っていて、ぜひ守っていきたいと思っているんですが、私自身はいたって普通の人間なんです」

だが、カリスマ性のない普通の主婦であるはずの久美さんが会社を率いるようになってからわずか3年目の2019年、エスワイフードは史上最高売り上げを記録することになるのである。いったい、何があったのだろうか?

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画像提供=エスワイフード「世界の山ちゃん」一番人気の「幻の手羽先」(1人前5本、税込み528円) - 画像提供=エスワイフード

「自分は経営の素人」という認識が奏功した

「あの人がトップじゃマズイと思って、社員ひとりひとりががんばってくれたからじゃないですか?」

久美さんは冗談めかしてこう言うのだが、2019年まで、つまりコロナ禍以前の好業績には、先述の決意表明の内容を地で行ったことが奏功した面が大きい。

まず、自分は素人であるという認識から、久美さんは飲食店の経営者にとって最も難しいと言われる閉店の判断に、明確な数値基準を設けたのだ。一定期間基準を下回ったら、どのような理由があろうと自動的に閉店すると決めた。

「うちの場合、閉店の判断に『思い』が絡むことが多かったんです。この店は会長の思いで作った店だから潰せないとか……。でも、私は素人だから、経験値で閉店すべきかどうかの判断を下すことができません。だから、早い段階で閉店の基準を作ったんです。すると不思議なもので、今度はお店を潰すまいっていう『思い』でお店が立ち直るケースが続出して、なんと赤字店舗がなくなってしまったんですよ」

社風は温存しながらも「脱会長」を推進した

もうひとつの勝因は、「脱会長」を推進したことにあると久美さんは言う。脱会長といっても、重雄会長時代の社風を消すという意味ではない。むしろ、社風は温存しながら「もう会長はいないのだ」ということを周知徹底していった。

「私が代表になって、社員はとても不安だったと思います。なにしろ会長と違って、何かを求めても応えてくれないし、何もやってくれないわけです。でも、私からすれば、いつまでも会長、会長と言っていることが、社員が一歩前に出ることの足枷になってるように見えたのです。そこに気づいてもらって、社員ひとりひとりが一歩を踏み出してもらうことがとても重要でした」

久美さんが重視したのは、各部門の長である。部門のことは部門で決定し、解決してほしいと彼らに伝え、それを断行した。

「たとえば、何か新規の案件があった場合、1回目はゼロからすべて説明してもらうんですが、2回目以降はもう説明を聞かずに任せてしまうんです。それぞれの部門のトップがスペシャリストになって、会長がひとりでやっていたことを分担してやってもらうようにしていったのです」

素人ゆえに、権限移譲が徹底したものになったとも言えるだろう。その結果、個々の社員のスキルが大幅にアップして、好業績を引き寄せることになったというのが久美さんの分析である。

それにしても、人を信じて任せるのは口で言うほど簡単ではない。口では任せたと言いながら、後で口出しをしてくる人がいかに多いことか。なぜ、久美さんに、「信じ切る」ことが可能だったのか……。

現・エスワイフード代表=山本久美の意外な素顔に、秘密がありそうだ。

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撮影=山本典利エスワイフード社内、久美さんの自席にて。目の前には重雄さんの写真が飾られている - 撮影=山本典利

ミニバスチームを率いて、3回も全国制覇を達成

実は久美さんは、バスケットボールの世界で猛烈な実績を持つ人物であった。

中学から大学卒業まで一貫してバスケに打ち込み、中学では連続優勝し、キャプテンを歴任。小学校教諭の時代には、ミニバスケットボールのクラブチームの監督をボランティアで引き受けて、なんと3回も全国制覇を達成しているのである。

自身、バスケに関してはめちゃくちゃ厳しかったというのだが、他チームの監督とは一線を画していたという自負がある。

「ミニバスの監督の中には、椅子にふんぞり返ってうちわであおがせたり、自分の荷物を子供に持たせたり、父母にお弁当を作らせたりする人がいて、私はそういうのが大嫌いでした。バスケの指導は厳しくやりましたけれど、『威張(いば)らない、驕(おご)らない、欲張(よくば)らない』をモットーに、コートを離れたら子供たちと対等に付き合っていました。対等であるという意識から、本当の信頼は生まれてくるんだと思います。だから、雪が降った日に雪合戦なんかやると『監督集中狙い』なんてことになる。他チームの監督から驚かれましたね」

きちんと顔を見て話す、変化は見逃さない

経営に関してはいまだに自信がないと笑う久美さんだが、キャプテンシー(チームを統率する力)については相当な自信を持っているという。キャプテンシーの核にあるものとは、いったいなんだろうか。

「選手時代はポイントガードだったので、とにかく人をよく見て、その人に合った使い方を考える役目でした。ひとりひとりをよく見て、その人に合った声のかけ方とか叱咤の仕方をする。どうすれば人がよく見えるかですか? これ、よく聞かれることなんですけど、わかりません(笑)。ただ、きちんと顔を見て話すことと、変化を見逃さないことは心がけていました。変化が見えたら、すぐに声をかける。これは、学校のいじめ問題にも通じることですが、児童に何か変化があったと思ったらすぐに声をかけないと、事が大きくなってからでは手遅れの場合が多いんです。変化を見抜くってことですかね」

唯一自分で選んだのが「専業主婦の道」だったけれど……

思い切った権限移譲と、チームメイトのわずかな変化も見逃さないキャプテンシー。ひょっとすると久美さんは、経営者になるべくしてなった人なのかもしれない。

「家庭のことも、もう少しきちんとやりたい思いはあります。自分の人生を振り返ってみると、私、自分から何かを選択したことってないんです。バスケも姉の関係で始めたし、教員になったのは父親の勧めだし、ミニバスの監督もやりたくなくて黙っていたのに見つかっちゃって……。唯一自分で選択したのが会長と結婚して専業主婦になる道でした。なのに、こんなことになってしまって。でも、そのお蔭でとてもたくさんの人と出会えるようになって、面白い人生だなと思いますよ」

家事をおろそかにしたくないと、夕食は前夜か朝に下ごしらえをし、帰宅後すぐに食べられるようにしている。うしろめたさはあるというけれど、久美さんのような存在が男性中心の企業社会を変えていくのかもしれない。

「世界の山ちゃん」がコロナ禍をどう切り抜けるか、山本代表の采配に注目したい。

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山田 清機(やまだ・せいき)
ノンフィクションライター
1963年、富山県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』 (朝日文庫)、『東京湾岸畸人伝』『寿町のひとびと』(ともに朝日新聞出版)などがある。
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山田 清機

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