『竜とそばかすの姫』解説|細田守作品が賛否両論になる理由が改めてわかった

『竜とそばかすの姫』解説|細田守作品が賛否両論になる理由が改めてわかった

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  • 更新日:2021/07/26
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現在『竜とそばかすの姫』が劇場公開されており、公開からわずか3日間で、動員数60万人、興行収入8億9000万円に到達する大ヒットを遂げている。

まず、本作は絶対に映画館の大スクリーンで観る価値がある。ネット空間の仮想世界〈U〉の広大さ、ダイナミックなアニメの表現、エモーショナルに炸裂する煌びやかな演出など、細田守監督およびスタジオ地図はもちろん、『ウルフウォーカー』(20)のトム・ムーアやロス・スチュアートなど、国内外の一流クリエイターが集結したからこそのアニメーションの力を思い知らされた。世界中で人気になることに説得力を持たせた楽曲と、中村佳穂の歌唱力も圧巻の一言。そのクオリティを世界最高峰と認めるのはやぶさかではない。

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だが、細田守監督は国民的なアニメ映画監督となった一方で、作品には極端なまでの賛否両論が渦巻く作家でもある。今回の『竜とそばかすの姫』は「細田守監督の最高傑作だ!」と絶賛の声が聞こえてくる一方で、終盤の展開に「倫理観が欠如している」と強い拒否反応を覚えている方も多く、全体的には賛否どちらに振り切れているというよりも、「良いところも悪いところもある」「ここはすごいけど、ここはちょっと……」と両論併記的に論じている方が多い印象だ。

そして、褒めるにせよ批判的にせよ、受け手がこれほどまでに「語りたくなる」というのは、それだけで良い作品である証拠だ。そして、筆者個人の主観だが、本作は「なぜ細田守監督作品がここまで賛否両論を呼ぶのか」の理由が、これまでで最もわかりやすくなった一本だと思うのだ。その理由を記していこう。なお、記事の前半では『竜とそばかすの姫』のネタバレに触れていないが、後半では警告を記した上でクライマックスの展開を記している。

1:「肯定」をする優しさがある

細田守監督は「現実の問題をファンタジーをもって描く」作家だ。例えば、『時をかける少女』(06)はモラトリアム真っ只中な少女の奮闘を、タイムループの能力から。『おおかみこどもの雨と雪』(12)はひとりぼっちで子育てをしていた母親の成長を、狼に変身できる子どもたちを通じて描いていた。

それは寓話(比喩によって教訓的な内容を描く物語)でもある。特に『サマーウォーズ』(09)以降の細田守監督は自身や周りの家族に起きた出来事を作品に落とし込んでおり、その親しみやすい題材であるからこそ、登場人物に大いに感情移入ができ、現実で生きるためのヒントももらえる、寓話としての強度を高めていたように思う。

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同時に、そこには「この人のこういうところを肯定してあげたい」という優しさもある。例えば『サマーウォーズ』は、親戚にいる「普通の人たち」の「特別なところ」が世界を救う大きな力になる物語だった。そして、往々にして現実の世界にあるさまざまな問題に苦しみ、そして立ち向かう人たちへのエールになっているからこそ、細田守監督作品は絶大な支持を得ているのではないだろうか。

今回の『竜とそばかすの姫』は、設定からわかりやすく、その細田守監督の「現実の問題をファンタジーをもって描く」「この人のこういうところを肯定してあげたい」作家性が、最大級に表れているように思う。

なぜなら、ネット空間の仮想世界〈U〉におけるボディシェアリング技術は「その人の隠された能力を無理やり引き出す」という設定であり、母を亡くした少女が「歌」により自己実現をして、そして誰かを救う物語が紡がれているからだ。ネットの誹謗中傷や行き過ぎた正義を振りかざす者などの現実の問題も描きながらも、その少女の「力」や「想い」を全肯定してあげているという優しさは、ストレートに伝わってきた。

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2:現実からファンタジーへの大きな「飛躍」がある

だが、現実とファンタジーは往々にして全く違うものだ。そして、その現実の問題を真摯に考えている人ほど、細田守監督作品に違和感を覚えてしまうのではないだろうか。

例えば、『おおかみこどもの雨と雪』では児童相談所の職員が自宅訪問をしてきて、虐待やネグレクトを疑われる、リアルというよりも生々しい現実の問題が描かれていたりもする。もちろん、そこには「狼に変身してしまう子どもであることがバレたら大変なことになる」というファンタジー要素による理由があるし、間違っているものとしても描かれているのだが、定期検診や予防接種にも行かずに閉じこもっている母の行動そのものに、現実的な観点から必要以上の拒否反応を覚えてしまうのも致し方ないだろう。これは、現実の問題とファンタジーが「同居」しているからこその、居心地の悪さを覚えてしまうシーンでもあるのだ。

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それはまだ「過程」だからスルーできても、物語の「結論」にも大いにファンタジーが侵食しているのも細田守監督作品の特徴だ。『おおかみこどもの雨と雪』における最後の母の決断が批判されるのもそのためだろうし、それに限らず細田守監督作品には現実からファンタジーへの大きな「飛躍」があり、そこにも違和感を覚える方も多いのではないか。特に、『未来のミライ』(18)は「わがままな4歳の男の子の成長」が、終盤でファンタジー要素と共に提示されるテーマと全く結びついていない印象があった。

もっと端的に言えば、「ファンタジーだからそうやって解決できるけど、現実ではそうはならないよなあ」と思ってしまいかねない「危うさ」が、細田守監督作品には確実にある。もちろんそれは作品としての特徴そのもの、むやみやたらに全否定されるものではないが、やはり好き嫌いが分かれる理由にはなっているだろう。その違和感を覚えたまま、前述した「この人のこういうところを肯定してあげたい」という細田守監督の心からの「善意」と結びついてしまうと……「それは違うと思う!」とさらに強い拒否反応を覚えてしまうのではないか。

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その現実からファンタジーへの大きな飛躍は、時に「物語運びの強引さ」という、はっきりネガティブな要素にも結びついているように思う。例えば『バケモノの子』(15)の後半では、展開そのものが唐突で、観念的な要素ばかりで納得がしにくいという意見も多くみられたのだから。

そして、今回の『竜とそばかすの姫』では、終盤に強引を超えて、誰もが「いやいやいや、おかしいでしょ!」と思ってしまうツッコミどころが、ある1点で限界突破してしまっていたというのが、正直なところだ。

さて、以下からは『竜とそばかすの姫』のクライマックスのネタバレに触れている。観賞後にご覧になってほしい。

※次ページからは『竜とそばかすの姫』の重大なネタバレに触れています!

--{クライマックスのネタバレ全開注意!}--

3:なぜ未成年の女の子を1人で行かせるのか?

誰もが気になるであろうことは、クライマックスで未成年の女の子である鈴を、2人の子どもを虐待している親のところまで、周りの誰もが止めることなく、1人で行かせてしまうということだ。

その虐待の光景を鈴と一緒に見ていたはずの、しのぶやカミシンは(子どもたちの居場所を突き止めてくれたが)ついていくこともなく、駅まで送ったおばちゃんたちも「1人でだいじょうぶかな」などと言っただけだけだった。鈴もまた暴行されてもおかしくないし(実際に鈴は虐待親から顔に傷をつけられる)、その後に虐待親と子ども2人が「たまたま家の外に出ていた」ことも含めて、あまりに展開が強引に感じてしまったのだ。

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これは、単純なツッコミどころというだけでなく、テーマに対しても齟齬がある、そう感じさせてしまう作劇になってしまっているように思う。なぜなら、鈴のすぐそばにいた善意の人々さえも、ここで「傍観者」に近い存在にさせてしまっているからだ。

鈴の母は、周りの大人たちが何もできずに立ち尽くしている中、幼い女の子を救うために川に飛び込み、そのために亡くなってしまっていた。その時にネットでは「他人の子どもを助けて死ぬなんて、自分の子どもに無責任だ」「人助けなんて善人ぶるから、こうなるんだ」などと勝手な匿名の書き込みがされていた。そして、鈴もまた虐待をされている2人の子どもを救うため、その行動の決断をする。細田守監督の意図は、誰かを救おうとする意思を肯定し、そして何もしないばかりか、匿名で悪意の言葉をぶつける者への批判である、ということは明白だ。

だが、その肝心のクライマックスで、鈴の友人たちも、彼女のことを心配していたおばちゃんたちも、彼女が(母と同じように)1人で向かうことを容認させてしまう。それ以前にも、(最終的には鈴自身が決断を下しているとはいえ)鈴のアンヴェイル(正体を明かすこと)を「それしかない」と提案するしのぶも、「安全圏」から勝手なことを言っているように思えてしまった。

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それでは、母が亡くなった時に川で突っ立っていた大人たち、ネットで無責任なことを言う者たちとあまり変わらないではないか……というのは言い過ぎだろうか。だが、せめて、しのぶも自分のアバターをアンヴェイルして鈴の気持ちに寄り添ったり、誰かが鈴を猛烈に引き止めたりするシーンはあってよかったはずだ。おそらく、数人で虐待親のところに行かなかったのは「(ネットの住人のように)集団から個への攻撃」になることを避けたかったことも理由なのだろうが、個人的には「ネットだけでなく現実でも、鈴は1人じゃない」とこの時点で訴えてほしかった。

また、この展開であると、鈴と母親それぞれの「自己犠牲」をも正当化しているようにさえ見えてしまう。もちろん細田守監督にそんな意図はなく、「誰かを救おうとする」決断そのものを肯定的に描いているのだとは思うのだが……その自己犠牲ははっきりと否定したほうが良かったのではないか。

もちろん、細田守監督のやりたいことは、わかりやすすぎるほどにわかりやすい。例え1人でも、助けたい人を助けに行く。その母の真意が心からわかったからこそ、鈴もまた母と同じ決断をする。そのためだったら、匿名であることが自分を守る手段となるネット上で、自分の正体を明かすこともためらわない。それを描きたい作品であることは大いに伝わってきたし、実際に感動もした。だが、その感動を素直に享受するには、あまりにノイズが大きすぎたのだ。

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4:虐待という問題にどう向き合ったか?

そのクライマックスは、そもそも一刻を争う事態だ。そうであるのに、鈴が高知から東京まで十何時時間はかかるだろう高速バスで向かうというのがおかしい。また、児童相談所に保護のための電話をしていたものの、「え?すぐにはできない?ルール?48時間?」と返されることにも混乱してしまった。100歩譲ってそう返答されたとしても、警察に連絡すればいいだろう。

実は、その「48時間」という数字は現実の社会問題を参照しているようだ。児童相談所は過去の虐待死を防げなかったことから、「48時間までに安否確認をする」という時間ルールを設けていたものの、守れなかった事例が相次いでいたという(参考記事)。小説版にも「直接子どもの様子を、48時間以内に確認します、というのがルールのようだ」という記述があった。

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細田守監督作品では、前述したように『おおかみこどもの雨と雪』でも児童相談所の職員が自宅訪問をしていたし、そうした現実の問題をむしろ積極的に作品に落とし込もうとしているのだろう。だが、この『竜とそばかすの姫』では、「いやいや、どんな手段を使ってでも、今すぐ子どもを保護してあげようよ!高速バスで向かっている場合じゃないよ!」というツッコミどころのせいで、むしろ現実の虐待の問題を蔑ろにしているようにさえ思ってしまった。

それでいて、虐待を受けていた2人の子どもが今後どうしていくのかがわからないというのも気になってしまう。実際はシーンがカットされただけで、ちゃんと児童相談所なりに保護をしてもらったのかもしれないが(小説版にも記述はなかった)、鈴の立ち向かう姿を見た少年に「僕も闘うよ」と言わせてしまったままフェードアウトしてしまうのは無責任にも思えたのだ。また、正体が明かされた鈴はこの後にマスコミの取材なりで大変なことになると思うのだが、しのぶが最後に「これから普通に付き合える気がする」と言うことにも違和感があった。

総じて、この『竜とそばかすの姫』のクライマックスで、細田守監督作品が賛否両論になる理由が、改めてわかったように思う。それは、ファンタジーをもって「強い意思による決断」がエモーショナルに描かれるのだが、それが現実の深刻な問題とのハレーションを起こしがちなのだ。その決断に迎合できないからこそ批判的になってしまう方が多いのだろうし、今回は誰の目にも明らかなほどのツッコミどころとして表出してしまったのではないか。

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これは、細田守監督の今後の課題でもあると思う。例えば、新海誠監督の『天気の子』(19)も「ファンタジーをもって現実の問題を描く(思春期の少年少女の心に寄り添う)」内容であり、児童相談所の職員も登場する。何より、終盤には主人公が「助けたい人」のために全力で向かうというシーンがあり、それは社会的規範とははっきり相容れないものとして描かれていた。だからこその賛否両論も呼んでいたのだが、強い意思による決断(願い)を描く流れは、こちらのほうが上手くっていたように思うのだ。もちろん細田守監督と新海誠監督は作家性が異なるし、マネをしろということではないが……。

5:どのようにネットを肯定的に描いていたか?

細田守監督は、種々のインタビューで本作を「ネットを肯定的に描いている作品」であると明言している。例えば、東洋経済オンラインの記事では以下のように、ネットが当たり前の世代になった子どもたちにエールを送っている

「インターネットが人間の自由や幸せに深く関与する時代になった今、僕らの子どもたちの世代が感じる自由や幸せというのは、20世紀生まれの人間とは変わってくるかもしれない。その中で、子どもたちには強く生きていってほしい。それが映画に僕が込めた思いです」

ー 細田守がネット世界を「肯定」し続ける端的な理由 | 東洋経済オンラインより

また、細田守監督は今のネットでは誹謗中傷がメインストリームになっているという危機感の他、『美女と野獣』における野獣の「荒々しい獣の裏側に、別の人間が隠れている」という人格描写が、ネットを使うわれわれの二重性に見事にリンクするからこそ、モチーフにしていたのだとも語っている。つまり、劇中では激しい誹謗中傷や行き過ぎた正義の執行も描かれるが、そのようなネットの世界でも、『美女と野獣』のような素敵な出会いや、誰かを救いたいという尊い願いはあるから、強く生きていってほしい。細田監督は、そう今の子どもたちに訴えたかったのだろう。

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その(『サマーウォーズ』からアップデートもされている)今のネット世代へのメッセージはとても大切なものであるし、改めて細田守の優しさに触れられることが嬉しかった。それをはっきりと提示した『竜とそばかすの姫』は現代に作られる/観られる意義がとてつもなく大きいし、この記事で挙げた批判的な要素だけで切り捨てるのはあまりにもったいない。改めて、細田守監督に「この映画を作ってくれてありがとう」と告げたい(ただ、次回からは脚本に第三者の意見を入れるなりして、誰の目にも明らかなほどのツッコミどころは解消しておいてほしい)。

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そして、今回の『竜とそばかすの姫』のラストでは、細田守監督作品では定番の「成長」を表す入道雲から「夕日」が見えていた。それは、これからも細田守監督は成長をしていくという、新たな決意だと(勝手に)受け取った。次回作も楽しみにしたい。そして、『竜とそばかすの姫』と似た題材を扱いながらも対照的な作風のアニメ映画『サイダーのように言葉が湧き上がる』も、ぜひ合わせて観てみてほしい。

(文:ヒナタカ)

--{『竜とそばかすの姫』作品情報}--

『竜とそばかすの姫』作品情報

【あらすじ】

17歳の女子高生・すずは、高知の豊かな自然に囲まれた村で父と二人で暮らしている。母はすずが幼い頃に事故で亡くなり、母と一緒に歌うことが何よりも好きだったすずはそれ以来歌うことができなくなってしまった。父との間にはいつの間にか溝が生まれ、現実の世界に心を閉ざし、曲を作ることだけが生きる糧となっていた。ある日、全世界で50億人以上が集う超巨大インターネット空間の仮想世界<U>に「ベル」というアバターで参加することになる。<U>では自然と歌うことができ、自ら作った歌を披露していくうちにベルは瞬く間に世界中から注目される存在になっていった。そんなベルの前に、<U>の世界で恐れられている竜の姿をした謎の存在が現れ……。

【予告編】

【基本情報】

出演:中村佳穂/成田凌/染谷将太/玉城ティナ/幾田りら/森山良子/清水ミチコ/坂本冬美/岩崎良美/中尾幸世/森川智之/宮野真守/島本須美/役所広司/石黒賢/ermhoi/HANA/佐藤健

監督:細田守

製作国:日本

ヒナタカ

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