円楽さん、ありがとう。寄席に何度も足を運んだ同世代の大ファンが語る、温かい思い出

円楽さん、ありがとう。寄席に何度も足を運んだ同世代の大ファンが語る、温かい思い出

  • ハルメク365
  • 更新日:2022/11/25

10月1日、六代目円楽師匠の訃報を知り、呆然としました。同じ昭和25(1950)年2月の生まれで、若い時から親しみを感じていただけに、その直後は言葉も出ませんでした。今、ようやく想い出を辿る気持ちになりました。

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六代目円楽師匠

円楽師匠は、テレビ番組『笑点』で、星の王子さまとして大人気だった圓楽師匠のお弟子さんです。円楽師匠の訃報と検索すると、五代目の事が出てくる場合もあります。五代目亡きあと、わずか13年ですから、いかに早過ぎる旅立ちかが分かります。

文化放送『楽太郎の美味しい朝だよ』

円楽を襲名する以前は、楽太郎としてテレビ番組『笑点』のレギュラーを務めるかたわら、1986年10月から1991年10月までの5年間『楽太郎の美味しい朝だよ』というラジオ番組で活躍していました。時々、番組に葉書を送ると、読んでもらえ、うれしかったのを昨日の事のように覚えています。

「銀座らん月」で、しゃぶしゃぶを楽太郎と一緒に食べようという番組企画に応募、夫と二人で参加したこともありました。それからビンゴゲームで遊ぼうにも当選、この時は父や母まで参加させて頂きました。

その際の楽太郎さんの、場を盛り上げる素晴らしい演出と進行ぶりに、目を見張ったものです。

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寄席若竹

1985年4月、圓楽師匠が寄席若竹を建設、師匠と一門のリーダー的存在だった楽太郎さんが大活躍で、私も頻繁に通い、その溌剌とした高座に魅了されたものです。

楽太郎さんの出身校でもある東京都立深川高等学校の前を通り、若竹に行くのが当時本当に楽しみでした。

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若竹は1980年に圓楽一門会が落語協会を脱退したため、寄席(鈴本演芸場・末廣亭・浅草演芸ホール・池袋演芸場)に出演できなくなり、そのため圓楽師匠が私財を投じて建設したものです。

年に数回『笑点』の収録会場になったりもしましたが、江東区・東陽町という立地もあり、1989年11月に閉鎖されました。

今でもビルはあり、セブンイレブンや、フィットネスクラブが入居しています。

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ありがとう円楽さん

その後も、春風亭小朝さんとの二人会や、歌丸師匠との会、円楽襲名披露興行等、数えきれない程、足を運びました。

2020年3月『桂文珍国立劇場20日間独演会』のゲストに、円楽さんが出演されるというので、駆けつけました。演目は桂枝雀作「いたりきたり」。

同じ年の7月円楽プロデュース『大江戸東京落語会』は、コロナ禍のためオンライン生配信。この時の演目は「ちりとてちん」で、元気な姿を見せてくれました。

若い頃、この仕事には定年はありませんと言って、舞台袖を指さし、そこからここまで歩ける体力さえあれば、いくつまででもできますと、よく言っていました。その体力がなくなり、最後の国立演芸場では、ここまで歩ける体力をつけたいと言っていました。

あまりにも早過ぎる旅立ち、残念でなりません。

「ありがとう円楽さん、今度は天国名人会に、活躍の場を移すのですね」

■もっと知りたい■

梶原日曜寄席

さいとうひろこ

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