『どうする家康』に「おんな城主」登場! 家康に立ち向かったお田鶴は後世の創作?

『どうする家康』に「おんな城主」登場! 家康に立ち向かったお田鶴は後世の創作?

  • 日刊サイゾー
  • 更新日:2023/03/19
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──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ

※劇中では主人公の名前はまだ「松平家康」ですが、本稿では「徳川家康」に統一しております。家康に限らず、本連載において、ドラマの登場人物の呼び方は、原則として読者にとってなじみの強い名称に統一します

『どうする家康』第10回は、家康初の側室となる西郡局(ドラマでは北香那さん演じる「お葉」)をめぐる内容でしたが、なかなか驚かされました。家康と西郡局の関係自体は長く続いたにもかかわらず、彼女が授かったのは督姫一人だったという史実における謎への説明として、ドラマでは「彼女の恋愛対象が女性であったから」と理由付けしていたからです。確かに、お葉のように、男性と深い関係になって初めて自分が求めるパートナーが異性ではないと気づく女性は昔も今もいるでしょう。戦国時代といえば男性同士の関係に注目が集まりがちですが、女性同士の関係もあったはずで、なかなか興味深い展開となりました。

次回も女性キャラクターが、興味深い形で取り上げられるようです。ドラマには、「瀬名姫の親友」としてお田鶴(たづ)という女性(関水渚さん)が登場しますが、実際のお田鶴の方なる女性は、生年・本名などは不明ながら、江戸時代以降に書かれた歴史資料などの中で実にさまざまな役割を与えられていることで知られる存在です。もっとも、その史料の大半が真偽不明……はっきり言うとガセ情報なのですが、江戸時代に井伊家に伝わる逸話を集めた『井伊家伝記』では、井伊直平(『おんな城主 直虎』の主人公・井伊直虎の曽祖父)や家臣たちに「毒茶」を飲ませて殺害した女として描かれていますし、山岡荘八による昭和のベストセラー時代小説『徳川家康』(講談社)では、なんと家康の初恋の女性だったという設定になっています。ほかにも、女武者として侍女を率いて家康と激戦を繰り広げたという伝承も……。

史実のお田鶴の方は、今川義元の母・寿桂尼を母方の祖母に持つ高貴な女性で、今川義元は伯父、氏真は従兄弟です。こうした背景から、人質時代の家康と面識があった可能性も高いでしょう。ドラマでも触れられていましたが、家康の上ノ郷城攻めで亡くなった鵜殿長照の妹でもあります。また、瀬名姫とお田鶴の方は系図上、近い親戚にあたります(両者の母親が義理の姉妹)。ただ、こうした系図の情報は残っているものの、彼女の人柄について伝えている同時代の記録はほとんどないのが残念です。当時の史料には飯尾豊前守(いいおぶぜんのかみ)の妻、もしくは飯尾豊前守の後室(=身分の高い未亡人)として名前が出てくるだけで、「お田鶴」という名称も江戸時代以降に作られ、定着したものだと考えられます。

彼女にまつわる興味深い逸話ほど、その大半が江戸時代以降に創作されたと思われるものばかりなのですが、信頼できる情報をまとめると、彼女はその高貴な血筋にふさわしく、今川家の重臣だった飯尾連龍(いのお・つらたつ)のもとに嫁いでいました。

飯尾連龍が豊前守になったのは、主君の今川義元が桶狭間の戦いで討ち死にした後とみられ、ドラマでもあったように、徳川家康(当時、松平元康)が織田信長と組み、今川氏の配下を脱したことで、他の領主たちも今川家から次々と離反していった時期でした。永禄6年(1563年)の頃の話です。今川家と血縁の深いお田鶴の方がそれをどう考えていたかはわかりません。ドラマでは、飯尾連龍(渡部豪太さん)は家康に「今川と松平殿の間をうまく取り持ちたい」と呼びかけていましたが、お田鶴は兄・鵜殿長照の死に関して家康を恨んでいたのか、夫が家康と内通していると氏真(溝端淳平さん)に密告し、その結果、連龍は幽鬼のような表情の氏真から呼び出され、斬首されていましたね。しかし、史実の飯尾家と今川家の関係はもっと複雑な経緯をたどり、悪化していきました。

永禄7年(1564年)と翌8年のそれぞれ2回、飯尾連龍は居城・曳馬城(ドラマでの表記は引間城だが、本稿では用例の多い曳馬城に統一)を今川軍に包囲され、戦をしています。諸説ありますが、連龍はこの一連の騒動の中で亡くなったと考えられます。

永禄7年、今川軍に曳馬城を包囲された時、連龍はなんとか和睦に持ち込みました。しかしその後、連龍は家康と内通し、援軍を得ていたのです。これを知った氏真は激怒し、曳馬城を重臣・三浦正俊らの手で再び攻撃させたものの、(家康の援軍もあって)落城させることができず、三浦は戦死してしまいました。

こうして今川家と飯尾連龍は二度目の和睦を結ぶことになりましたが、連龍の真意が「反・今川」のままだと確信した氏真は連龍を駿府に呼び出し、そこで彼を暗殺させたといいます。ドラマではこのエピソードの一部を脚色して、映像化したのでしょう。

その後、主を失った曳馬城は連龍の家臣たちの手で運営されていましたが、徳川派と今川派に二分され、城内で内紛が起きているところに家康が出兵して、まんまと城を手に入れてしまった……という説があります。

この部分の異説として、連龍を亡くした妻・お田鶴の方が女城主となってリーダーシップを発揮し、永禄11年(1568年)12月、家康から「曳馬城を明け渡せば、あなたの身柄とお子様方の面倒も私が見る」という条件を提示されても、お田鶴の方はこれを拒絶、家康軍との全面戦争になったともいわれています。この異説では、お田鶴の方は侍女たちを率いて家康軍と善戦したものの、全員討ち死にしてしまったとされています。『どうする家康』の次回予告映像には鎧に身を包んだ勇ましいお田鶴の姿が確認できますから、ドラマではこの説をベースに物語を組み立てるのでしょう。(1/2 P2はこちら

お田鶴の方にまつわる逸話は多くが江戸時代以降に作られた可能性が高いと先ほどご説明しましたが、では、侍女たちを率いて家康軍と善戦したという「おんな城主・お田鶴」の逸話も後世の創作かというと、完全には否定できるものではない気がします。一般的には、武家の女性は戦のときは城内にこもり、兵士となる男性たちのために、食事を作ったり、鉄砲玉を鋳造したり、傷ついた者たちの介抱をしたりしていたと考えられていますが、本多忠勝の証言として、彼が若かった頃には、眉を墨で太く描き、口はビンロウジュやザクロといった植物を噛んで出た汁で赤く染め上げた恐ろしげな風貌の女武者たちがいて、敵に攻め込まれれば応戦したし、敵陣に攻め込んでいくことさえあった……という彼の手紙が残されています。

もっとも、これは「最近の若い男は軟弱になった」と忠勝が嘆き、「昔の女たちのほうが、今の男たちよりずっと勇敢だった」と主張する文脈の中での話なので、女武者たちの描写について多少の誇張はあるでしょう。ただ、本多忠勝の愛娘で、真田信之に嫁いだ稲姫(小松殿)にも、夫の留守を甲冑姿で男装して立派に守ったという逸話があります。

男装の女武者は、戦国時代以前から存在していたようです。平安時代末期の加賀国の『国務雑事注進』という史料には「女騎」という語が見られます。これは女性の騎馬武者のことを指し、さらにこの書物とほぼ同時期に成立したと考えられる『梁塵秘抄』にも「近江女、女冠者(おうみめ、おんなかじゃ)」というフレーズが出てきます。「長刀(なぎなた)持たぬ尼ぞ無き」と続いていくため、これはメンズファッションを愛好した女性たちの話ではなく、さまざまな層の女性たちが世の中の乱れに乗じ、武装しつつあった現実を伝えているのだと思われます。ちなみに「冠者」とは、元服以前の若い男性を指します。

戦国時代でも、戦における先鋒を務めることが多い騎馬隊には、多くの男装した女武者が紛れ込んでいたと考えられます。というのも、当時の日本の馬は、ドラマに出てくるサラブレッドのように大型ではなく、かなり小型でした。当時の馬は、現代のサラブレッドよりもスタミナを誇っていたとみられるものの、それでも重い甲冑をまとった成人男性を乗せて全速力で走れる時間はわずか10分程度だったという検証データもあります。つまり、先鋒隊として敵の歩兵を迎え撃ち、彼らを蹴散らして本陣に帰参する……という任務が多かった騎馬隊には、体重が成人男性よりも軽いという理由で、女武者あるいは少年兵のほうが向いていたと考えられるのです。主に若い女性たちが、年下の少年たちを率いて戦ったのではないかと筆者には想像されます。

こういう設定が『おんな城主 直虎』にも出てきていたら面白かったのに……と残念なのですが、しかしお田鶴の方と侍女たちが、いくら勇ましく男装の姿で戦おうとしたところで、城を家康軍に取り囲まれた上での持久戦ともなれば、女性に有利な騎馬戦法を取ることもできず、なかなか厳しかったのではないでしょうか。

地域に伝わる伝承によると、お田鶴の方には「椿姫」という異名があるそうです。最後まで家康への城の明け渡しを拒絶し、壮絶な戦死を遂げたお田鶴の方と18人の侍女たち戦死者を土葬した塚に、彼女の親戚にあたる築山殿が鎮魂の思いを込め、椿を植えてやったからその名が付いたといいます。この逸話も、後世に創作されたものにすぎないかもしれませんが、ドラマでも登場するのかどうか注目です。

ちなみに戦後、家康に平定された曳馬城は、拡張工事を受け、浜松城として生まれ変わることになりました。一説に、「曳馬」という名前が「戦に負け、疲れきってもう走れなくなった馬を引いてトボトボ帰る姿を想起させる」という理由から改名されることになってしまったそうです。

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