『鬼滅の刃』女性キャラクターたちの悲愴──胡蝶しのぶの“戦い方”が表す現代女性の生きづらさ

『鬼滅の刃』女性キャラクターたちの悲愴──胡蝶しのぶの“戦い方”が表す現代女性の生きづらさ

  • 日刊サイゾー
  • 更新日:2020/10/17
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──サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が、映画、小説、マンガ、アニメなどフィクションをテキストに、超絶難解な乙女心を分析。

【この記事は「月刊サイゾー」2020年6月号からの転載です。以下、既刊の単行本のネタバレを含みますのでご注意ください】

この出版不況下、単行本の売り切れ続出が報じられるほど盛り上がっているのが、2016年に連載が始まった、『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴・著「週刊少年ジャンプ」)だ。「オリコン年間コミックランキング 2019」では売り上げ1205万8000部(!)で第1位。19年にテレビアニメ化され、今年10月には映画版も公開された。

舞台は大正時代の日本。炭焼きの少年・竈門炭治郎が家族を惨殺した「鬼」たちと戦うため、「鬼殺隊」に入隊して鍛錬を積んでいく。和モノ伝奇ホラー+必殺技系剣戟モノだが、「ジャンプ」をとっくに卒業したサイゾー世代へ雑に説明するなら、『ジョジョの奇妙な冒険』と『るろうに剣心』と『忍空』と『HUNTER×HUNTER』のいいとこ取り、といった趣である。

挙げた作品からもわかるように、一見して正統派少年マンガに見える本作だが、なかなかのオトメゴコロ案件だ。鬼殺隊の隊員や鬼化した人間たちは、皆なんらか訳ありの重たい過去を背負っており、それが鬼と戦う、もしくは鬼になる理由と密接に結びついているが、なかでも女性キャラの置かれている境遇が、なんというか実に、人生ハードモード。少年誌連載作品ながら、「虐げられた女性たち」からの社会告発的な色が強いのだ。

例えば鬼殺隊の甘露寺蜜璃が入隊した理由は婚活のため。入隊前は「変な髪の色、異常な筋力、異常に大食」であるがゆえ見合いに失敗、相手からは「そのおかしな頭の色も子どもに遺伝したらと思うとゾッとします」と言われたため、髪を黒く染めて食事を控え、弱いふりをしていた。

しかし本当の自分を出せないことに苦しんだ挙げ句、自分を受け入れてくれる鬼殺隊に入ったのだ。「ありのままに生きたい」件は、さながら『アナと雪の女王』のエルサ。蜜璃もエルサも社会から押し付けられる一様な「女子らしさ」の呪縛の被害者だ。

同じく鬼殺隊で炭治郎と同期の栗花落カナヲは幼少期、「いてもいなくてもいい存在」だったので親から名前すらつけられず、貧困のため人買いに売られた。そのため成長後も「あらゆることがどうでもよく、自分の意思では何も決められない」パーソナリティが形成されてしまう。指示されたこと以外はコイントスで決める彼女は、逃れられないDVやネグレクトを受け続けた子供たちが陥る「学習性無力感」に近い症状が出てしまっている。

鬼殺隊でカナヲを指導する胡蝶しのぶは、生まれつき体格に恵まれていないため鬼を殺傷すべく首を斬り落とすことができない。そのため毒薬を剣の刃に塗って戦うという涙ぐましい努力を続けている。優等生の姉が鬼に殺されており鬼を憎んでいるが、生前の姉が「鬼と仲良くしたい」と願っていたため激しく葛藤し、それを隠すためにスマイルを絶やさない。

そんな彼女は炭治郎曰く「ずっと笑顔」だけど「いつも怒ってる匂い」がする。抑圧された女性の典型だ。戦いでは、長い年月をかけて毒を取り込んだ自分の体を鬼に食わせることで絶命させるという壮絶な最期を遂げた。“力”を持たない女性が社会を動かすには、“自爆”しかない。ミソジニー男性からの二次被害を覚悟した捨て身の#MeTooにも通じる悲しさがある。

女性の鬼に漂う女子の悲哀は、さらにいたたまれない。吉原を棲家とする花魁の鬼・堕姫はもともと人間で、遊郭の最下層、極貧の母子家庭に生まれた美しい娘だった。人間時の名前「梅」は母親の病気:梅毒から。13歳で娼婦として取った客の目玉を突いて失明させ、その報復として生きたまま焼かれてしまう。

その妹を後生かわいがっていたのが、忌み嫌われる容姿の兄・妓夫 太郎だ。妓夫太郎は自分のコンプレックスを美人の妹がいるという事実で解消、一方の鬼化した梅(堕姫)は兄より戦闘力が劣るというコンプレックスとそれによって迷惑をかけている申し訳なさを、兄への従属的執着に転化していた。不遇からの共依存にブラコン。……地獄だ。

累という少年の鬼に支配されている女性の鬼も不遇だ。累は鬼同士で疑似家族を作って家長的なポジションに収まっており、母役と姉役の鬼はいつも彼の顔色をうかがっている。累は家族の「絆」に固執するあまり、DVによって家族を支配しているのだ。「絆」を盾に男家族から虐げられ、拘束され、とはいえ家を出ることもできないのが、母役や姉役の鬼である。

そもそも敵の首領である鬼の支配者・鬼舞辻無惨の組織統括スタイルが、暴力家長による妻へのモラハラのど典型「ダブルバインド(二重拘束)」そのものである。ダブルバインドとは文化人類学者グレゴリー・ベイトソンが提唱した家庭内コミュニケーションの一形態。ふたつの矛盾した命令を出し、どちらに従っても叱責することで相手に精神的なストレスを負わせ、服従させるやり方だ。

無惨は手下の鬼に「鬼狩りと遭遇したら逃亡しようと思っているな」と問うが、「思っていません」という答えに対し、「お前は私が言うことを否定するのか?」とキレて殺す。他の鬼も命乞いすべく無惨に様々な提案をするが、その提案自体が無惨にとっては「自分に対する指図」であり、自分に指図したという罪で殺す。

モラハラ夫は妻が何をしても怒り、殴る。すべては夫の気分。こうして妻は常に夫の顔色をうかがうようになり、自尊心を根こそぎ剥奪され、常に罪悪感を抱きながら怯えて生きるようになるのだ。このような精神的DVを受けている女性は少なくないが、物理的暴力ではないため本人にもDVを受けている自覚がないだけに、発覚しにくい。

ジェンダー問題と「女子らしさ」の呪縛、母子家庭に貧困に育児放棄、男性社会における女性の無力と# MeToo、ブラコンに共依存、家庭内モラハラと精神的DV。人生ハードモード以外の何物でもない女性キャラの博覧会だ。

ジャンプ作品が小中学生男子だけに読まれていたのも今は昔。単行本での読者も含めれば現在では相当数の女性も読者であり、本作も10代から40代まで幅広い層の女性読者がブームを牽引したという。本作がF1層を中心とした現代日本女性の鬱屈した生きづらさを代弁しているのなら、それも当然。と同時に、従来の小中学生男子に「女の人って大変なんだな……」と痛感させるフェミ教育的な側面も多分にある。

ところで、本作はあらゆる人間関係の回復に「母性的博愛」が伴うが、それを発揮するのが主人公の炭治郎と鬼殺隊当主・産屋敷耀哉、すなわちいずれも男性であるのはポイントだ。

炭治郎は猛々しい強さを振りかざさない。常に笑顔と上機嫌を絶やさず、すべてを優しさと慈悲で包み込むクラシックなまでの母性に満ちている。耀哉は同じく組織の長である無惨とは対照的に、鬼殺隊の剣士たちを「私の子どもたち」と呼んで慈しみ、まるで小学校の優しい女性担任のような疑似母性を振りまく。声質は1/fゆらぎを帯びていて聞く者を和ませる。最終的には滅私的母性を最大限発揮して自爆し、無惨を道連れにしようとするのだ。

女性キャラが女性ゆえに受ける苦しみを告発する一方で、最重要男性キャラ2人が――かつては女性の専売特許だった――母性をもって調停する物語。それが(名目上は)若年男性がメイン読者であるマンガ誌に載る時代が、今なのだ。「お前ら、女子をちゃんと学べ」の囁きが聞こえてくる。ヒステリックな女性の声ではなく、1/fゆらぎを帯びた男性の声で。

『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴・著/集英社)
既刊22巻(10月現在)。炭治郎の妹・禰豆子(ねずこ)に与えられた萌え属性の密度が濃い。不完全に鬼化したハーフ獣ゆえ「美少女なのに強い」というギャップ萌え。意思で体をミニサイズ化でき、炭治郎の背負う箱に収納されるという倒錯ポルノ感。鬼化の影響で常に呆けている(のちに片言を発する)白痴少女キャラ。噛みつき防止のための竹製の口枷もアダルトグッズみが強い。無敵。

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