福田萌が語る...夫・中田敦彦に振り回されない「強さ」を与えてくれた父の存在

福田萌が語る...夫・中田敦彦に振り回されない「強さ」を与えてくれた父の存在

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2022/06/23
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福田萌さんは、現在、8歳の女の子と6歳の男の子を育てている。夫はオリエンタルラジオの中田敦彦さん。現在はシンガポールに拠点を移し、連載では日々の様子や子どもたちの学校生活の様子を綴っています。

今回は、福田さんがYouTubeの生配信でひろゆきさんと対談し、福田さんの夫である中田敦彦さんとの関係についてひろゆきさんに驚かれたというエピソードをもとに、自由気ままな夫にも振り回されないご自身の「強さ」「安定感」はどこからくるのかを考察していただきました。

シンガポールでの子育ての様子など、福田さんのこれまでの連載を読む

アスファルトの上で咲くタンポポに共感

先日ひろゆきさんとYouTubeで対談した。どんな質問が飛んでくるのかとドキドキしながら2時間に及ぶ生配信での対談だったが、終始楽しくお話をすることができてあっという間に時間は過ぎていった。

対談では、ひろゆきさんの目線から「夫・中田敦彦の生き方に振り回されていることに抵抗はないのか」という前提の質問をいただくことが多かった。「いやいや、全然そんな振り回されているなんてことはなく、ご機嫌よろしく過ごしていますよ」と答える私に驚かれていた様子だった(ご自身もパリに移住していらっしゃるひろゆきさんに質問される構図が面白かった。そっくりそのままひろゆきさんの奥様に同じ質問してみたいとも思った。ひろゆきさんの奥様とは共感できる点が多そうで、ぜひいつかお話ししてみたい!)。

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先日岩手に帰省した時の写真。コロナ規制が緩和されて、実家が近く感じます。写真提供/福田萌

私はマイペースな方だな、と思う。あんまり心からびっくりしたりすることはなく、感情の起伏が激しいタイプではない。

「置かれた場所で咲きなさい」と言う言葉が好きだなーと思うのだが、物事に対してそんなにこだわりがある方でもない。でも、心のどこかはどっしりしていて、起き上がり小法師みたいに倒れても倒れても起き上がれる重心を体の中に感じている。

タンポポは踏みつけられても、アスファルトの上でも、たくましく黄色い花を咲かせるイメージがあるけれど、私もタンポポには常々共感する。きっとタンポポと私は似たような精神性だと思う。

14歳のときに見た「悪い夢」

私のこのマインドはどこから来ているんだろう?とふと考えてみる。

それは私の思春期に由来しているのでは、と思う。

忘れもしない14歳のある朝。とても悪い夢をみた。端的に言うと、私の父が病気になって死んでしまう夢だった。朝目覚めて、そんなことはあり得ないし、家族は父と母と私と弟2人の5人。平凡だけど普通に暮らしている。この姿が当たり前なのだから、そんな悪い夢のことは忘れてしまおうと思った。悪い夢のことは誰にも話せなかったし、言葉にしたらそれが現実になりそうでとても怖かった。

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父と私。無口だけど子煩悩で優しい父でした。写真提供/福田萌

でも、その悪夢はのちのち予知夢だったと知る。

父が体調を崩し休職したのが夢を見た1年後。さらにその病気は「若年性アルツハイマー」と診断されたのが、私が16歳の頃だった。治療法がまだ見つかっていない脳の病気で、段々とあらゆることを忘れていってしまう病気。

16歳といえば、本当なら、夢や希望に胸がふくらむ年齢なのかもしれない。だけど、私に突きつけられたのは途方もないほどに抗うことのできない現実だった。当たり前のことは、当たり前なんてことはなくて、両手ですくった水のようにいつかは手のひらからこぼれ落ちていってしまう。その残酷さを16歳の時に知った。

父の闘病中、1年間の留学という決断

父は私が23歳の時に亡くなった。

昨日できたことが今日できなくない、という現実をたくさん見た。母は働きながら、父の介護をした。後半のほとんどの時間を良い施設にお世話になり、そこで生涯を閉じた。

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岩手山。父が亡くなってからは父のような存在の山です。写真提供/福田萌

どんな時も家族は前向きだった。

父が若年性アルツハイマーだと判明した1年後、父自身も自分の病気の進行を自覚していた時に、私を1年の留学に送り出してくれた。

もしかしたら留学から帰ってきた時には娘の私のことを忘れてしまっているかもしれない。そんな状況でも父は「行って来い」と送り出してくれたのだ。母も「家族みんな後ろ向きになってはいけない。萌ちゃんは家族に明るい光を見せて欲しい」と言ってくれたのだ。

とても勇敢な父と母だなと思った。

留学に行きたいと思ったのは、今振り返ると半分家族の現実から逃げたい、という気持ちがあったのだと思う。そんな私のずるい気持ちを知ってか知らずか、両親があのとき留学させてくれたことを今でも感謝している。

人生のボーナスステージ

留学中は、こんな状況で送り出してくれた家族への気持ちに報いたい、と日本人との交流を一切断ち、英語を絶対モノにするんだと励んだ。その後も絶対に学費を抑えたい、と国立大への進学を希望し勉強した。

現実から目を背けて逃げたいと思えば思うほど、それが逆に自分の頑張る原動力になっていた。

父が病気になったときに、私の人生は一回終了したような感覚があって、当たり前のものは当たり前じゃないし、今ある幸せは明日にはないかもしれない、と知った。それを一言で表せば「不安」なのだけど、だからこそ今は第二ステージの人生を味わっている感覚がある。

第二ステージはボーナスステージだ。

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岩手に帰省した時は盛岡冷麺を食べました。写真提供/福田萌

第二ステージの人生は、後悔なく過ごしたい。今ある「生」を思いっきり生きたいし、感じたい。人間はあっけないものだ。幸せは当たり前ではないものだ。だったら火力強めで、思いっきり今ある幸せを全身で感じたい!と思っている。だからこそ、ちょっとやそっとの人生の大イベントや夫との暮らしも、揺るぎない気持ちでどっしりと楽しむ姿勢ができているのかもしれない。

タンポポを見ると、どんな環境でも生をまっとうしている感じがする。私は咲いて、生きて、種を飛ばしてやる、という気合を感じて好きだ。人の一生も、咲いて、生きて、種を飛ばす、そう思ったらシンプルだ。

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