【プロ野球人・木村拓也の原点3】親友が見た巨人コーチ抜擢の理由...キャンプで驚きの行動

【プロ野球人・木村拓也の原点3】親友が見た巨人コーチ抜擢の理由...キャンプで驚きの行動

  • Business Journal
  • 更新日:2021/04/09
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広島カープ時代、木村さんが母校の後輩へ送った色紙

2010年4月7日、広島大学病院で一人のプロ野球人がくも膜下出血のため息を引き取った。同年、読売巨人軍の1軍内野守備走塁コーチに就任したばかりの木村拓也さん=享年37歳=である。

1990年オフ、捕手として日本ハムファイターズにドラフト外入団。身長、わずか170cm。出場機会に恵まれず、一度は捕手失格の任意引退扱いになるも、1994年の広島東洋カープ移籍を機にスイッチヒッターへと転向し、投手と一塁手以外のすべての守備にも取り組んだ。このことが、木村さんをして球界屈指のユーティリティプレーヤーにのし上がる下地となる。

巨人時代(2006~2009年)はリーグ3連覇、7年ぶりの日本一達成にも貢献した。中でも捕手不在の不測の事態で10年ぶりのマスクをかぶり、チームを勝利に導く好リードを見せたことは(2009年9月4日の東京ヤクルトスワローズ戦)、今も語り草になっている。

一貫してチームプレーに徹したその野球観は、何によって育まれたのか。何よりも、「キムタク」の愛称で親しまれ、誰からも愛されたその人間性は、どこからきているのか。

木村拓也さんの魅力を、彼の原風景の中からたどる。

※第1回はこちら
※第2回はこちら

魂でプロ野球を生き抜いてきた男

「拓也は上層部に絶対媚びを売らなかった」

木村さんが日本ハムに入団した年、同球団のスカウトから2軍バッテリーコーチに就任した淡河弘さんは、下積み時代の木村さんの姿が目に焼き付いているという。

「キャンプや遠征時の夜間練習では、みんなが素振りを始めると、拓也の姿だけが見えなくなりました。探してみると、集団から離れた田んぼの暗いところで、一人黙々とバットを振っている。『誰もいないところで集中したい』というのが、その理由でした。

だから、僕もこう言った。『バッティングコーチに目立つようにせんといかんじゃないか』。すると、拓也が『これは、僕自身の練習ですから』。『けど、いろんなコーチがいるんだからな。俺が認めても他のコーチにも訴えかけないと、試合には出られんよ』。『それはそれで、別にかまわないっす』。拓也はね、決して大ボラを吹かない。闘志を常に胸に秘めて、『使ってくれれば、結果を出すよ』というオーラを、いつも漂わせていたんです」

かつて広島の左のスラッガーだった山本一義さんは、広島の打撃コーチとして高橋慶彦を球界屈指のスイッチヒッターに育て、金本知憲や前田智徳などの若手を鍛え上げた実績を持つ。日本ハムから広島に移籍した木村さんにスイッチヒッター転向を持ちかけ、猛トレーニングで鍛え上げたのも山本さんだった。

「とにかく、タクには朝から深夜まで左でバットを振らせました」

山本さんは回想している。

「掌にできたマメが潰れ、その上にまたマメができたほどです。もう掌は血だらけで、痛くてバットも握れない。それでもタクは掌にタオルを巻き付けて、素振りをやめないんです。私も試すつもりでよく聞いたものでした。『きついだろう?』。少しでも弱音を吐いたら、その時点でスイッチ転向をやめさせるつもりでした。

しかし、タクは絶対『きつい』とは言わない。目を輝かせて、『見ちょってください。やりますから!』と言うんです。ノックの打球を捕れず、『お前、グローブあるのか!』と怒鳴ったときも、自分の胸を叩いてこう言い返してきました。『ここにあります!』。あの子は、魂でプロ野球を生き抜いてきた男なんです」

引退後、すぐに巨人のコーチに抜擢された理由

木村さんが巨人の1軍内野守備走塁コーチに就任した2010年、宮崎南高校でバッテリーを組んでいた佐々木未応さんは、都城泉ヶ丘高校の野球部監督を務めていた。

同年2月、佐々木さんは同じ指導者として「プロのコーチが選手にどんなことを教えているのか」――それを学ぶために、巨人がキャンプを張る宮崎県営球場に足を運んだ。

コーチ1年目の親友が、若手選手を相手にボールを転がしていた。それを選手が素手でとって、ネットスローする。この単純動作を何度も繰り返していた。

「拓也は高校時代から基本練習と皮膚感覚を大事にしてきました。バッティングや守備でも決して手袋を使わなかったんです。自分がやってきたその地味な練習を、今度は巨人の若手にコツコツと教えている。日が陰り始めると、ナインの何人かが室内練習場に移動し、拓也もそこに向かいました。僕はそろそろ帰るつもりでしたが、拓也の姿をもう少し目に焼き付けておきたい。ふとそう思って、覗きに行きました。驚いたことに、小笠原(道大)が特打をやっている横で、拓也がノックの居残り練習を一人黙々とやっているんです。僕は幼い頃から巨人のキャンプを見てきましたが、コーチが居残りでノック練習している姿なんか、一度も見たことがない。なぜ、あいつが引退してすぐに天下の巨人のコーチに抜擢されたのか、その理由がこのときはっきりわかりました」

恩師の清水一成さんは、木村さんの存在をこう形容した。

「努力する才能」――。

そして、宮崎南高のバックネット裏に翻る横断幕の「苔魂」の大きな2文字は、木村さん自身が自分の代名詞としてきた言葉だという。

「俺は岩にへばりついた苔だ」

同校の正門近くの木陰にひっそりと佇む、甲子園初出場の記念石碑。そこに刻まれた碑文の凜とした力強さは、その「苔魂」に宿った木村拓也さんの、天からの檄のようにも聞こえる。

ぼくら
ひとりひとりは
強い
一本の青い
麦だった

(文=織田淳太郎/ノンフィクション作家)

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