/どこかで戦争が起これば、関わらなかった国は、思わぬ好景気の恩恵を受ける。しかし、この好景気は自力で掴んだものではなく、それでいったんバラマキ政策が膨れ上がってしまうと、国民の自主性無き依存体質を生み、その後、国債増大と通貨下落に物価上昇、その破綻、緊縮管理経済と反政府暴動を引き起こす。/
アルゼンチン、なんて言ったって、タンゴしか知らないという人も多いだろう。しかし、それは世界の国々の未来の姿かもしれない。
むしろ豊かな国だ。しかし、それが災いした。大航海時代にスペインが征服して以来、大草原地帯「パンパ」での農牧業モノカルチャーで、西欧の出張所、首都ブエノスアイレスと共依存関係にある。ナポレオンによってスペイン王が引きずり下ろされたのをきっかけに、1816年に独立。しかし、代わって英国が進出して、西欧から移民が大量に流入し、事実上の植民地として繁栄したものの、なまじ農牧業輸出が好調であるために、工業への産業革命は起きなかった。くわえて、第一次世界大戦でも中立を貫き、戦火焦土を逃れて来た、余裕と教養のある中産階級以上の移民を多く受け入れ、ブエノスアイレスは「南米のパリ」と呼ばれるほどの洗練された発展を遂げる。しかし、それは同時に、地方の独立農牧民の没落、都市労働者化を意味した。
1929年の世界恐慌で都市中産階級が勢力を失うと、農牧業輸出で回復を図ろうと、対英追従策に傾倒。第二次世界大戦では、親英派と親独派で国内分裂。43年、親英派将校団による軍事クーデタで、工業化を訴えて都市労働者の支持を得たペロン派が台頭。戦後、こんどは米国が介入するも、46年、ペロンは大統領に。おりしも、焦土となった西欧への農牧業輸出によって資金は潤沢にあり、ナショナリズムと急激な工業振興策、福祉拡大策を採って、その妻エビータとともに絶大な人気を誇ったものの、成果は出なかった。それどころか、1950年は資金も尽き、農牧業軽視で地方も疲弊。このため、52年の再選時には農牧業改革、対米追従に方針転換。教会とも対立して、55年の軍事クーデタで追放されてしまう。
軍事政権は、富裕層や地主層を基盤に、経済再建のため、賃金抑制と外資導入を図り、これに抵抗するペロン派残党を弾圧するも、ペロン派は都市労働者だけでなく地方農牧民も取り込んで、階級闘争の色合いを強める。とくに、66年のクーデタで政権を取ったオンガニーア将軍は「アルゼンチン革命」と称して、テクノクラート主導で外資工業を呼び込み、3%前後の安定成長路線に乗せる。しかし、世界的な学生運動や極左集団の波がペロン党を過激化させ、その暴動の鎮圧に苦慮。73年には、ペロン党を政権に取り込む「国民大合意」で収拾を試みた。
こうして、ペロンが政権に返り咲くが、翌74年には心臓病で死去。妻イザベルが初の女性大統領となるも、極左化したペロン党を抑えられず、76年、弱腰の彼女に代わって、軍事クーデタでビデラ将軍の独裁制が実現し、「汚い戦争」で反体制派数万人を徹底的に処分殺害する一方、アルゼンチン革命路線を踏襲して、テクノクラート主導、外資工業誘致、自由主義市場経済での「国家再編成」を図る。この結果、インフレ・物価高騰は止まらず、貧富格差も拡大、対外債務も増大。経済成長もマイナスに陥る。81年、後を継いだガルティエリ将軍は、国内不満を外にそらすべく、英国が実効支配していた沿岸のフォークランド島へ侵攻。
しかし、これが大敗戦で、1000%ものハイパーインフレ(通貨暴落)に陥る。83年、中道左派のアルフォンシンが大統領となって、軍政時代の「汚い戦争」の罪でビデラ将軍らを裁判に掛けたが、このことで軍部の反発を呼び、また、新通貨アウストラルと物価凍結や食料配給で一時的にインフレを抑え込んだものの、経済は停滞、物資は不足。賃上げを要求する労働組合とも対立することになり、ゼネストが頻発。おまけに新通貨の信用も急落し、ハイパーインフレが再燃。暴徒の略奪に対して、戒厳令で対応するも収拾できず、89年の選挙、ペロン党メネムに政権を譲る。
メネムは、社会主義(上からの経済振興・福祉拡大)的なペロン党に属しながら、前政権の統制経済を排し、米国レーガノミクス(81~89)に倣って、むしろ金融政策重視の新自由主義を導入。91年兌換法で1ペソ=1ドルとすることで強引に通貨と物価を安定させたうえで、民間の自由競争を促し、民間経済の再建を実現する。しかし、もとよりペソにドルほどの価値があるわけもなく、その実態はいかにもペロン党らしいバラマキ財政出動であり、それも、外貨が潤っていたペロン時代と違って、実際はIMF(国際通貨基金)とつるんだ莫大な対外国債に頼ったもので、いずれ破裂する時限爆弾だった。
とりあえずメネムは任期満了までたどりついたものの、その汚職体質や財政危機に、1999年の選挙では急進党(中道左派)ルア大統領が勝ち、緊縮財政で公共事業や公務員給与を削減したために、中産階級が没落し、ふたたびストや略奪が横行。国債も暴落し、資本も逃避。2001年末、ついに金融危機が表面化し、預金封鎖や融資凍結、デフォルト(債務不履行)を強行。各地で暴動が起きて急進党は退陣。
2003年、ペロン党キルヒナー(キルチネル)大統領は、まずデフォルトに陥っていた国債の評価額を三分の一に縮減する交渉をまとめ、中央銀行準備金で、いったんはIMFに一括返済。おりしもイラク戦争(2003~11)で国際食品価格が高騰して輸出が好調となり、これを背景に、安価な公共サービス、食品産業その他の補助金など、ペロン党らしいバラマキ財政が可能になり、経済は復興。しかし、これらは当然またインフレ(通貨下落)と経済格差を招き、ストが頻発。優秀な人材も多くが海外に流出した。政府は為替を操作することでインフレを抑えようとしたが、そのための外貨借入が増大し、14年に、ふたたびデフォルト(債務不履行)に陥る。
2015年、ペロン党でも急進党(中道左派)でもなく、サッカーチーム会長で市民連合(中道右派)のマクリが大統領に。まず債権売却で資金調達して、どうにかデフォルトを解消し、国際資本市場に復帰。しかし、彼は古い自由主義者で、変動相場に戻したため、ペソは30%も下落し、インフレは30%を越えて高止まり。また、輸出入関税を引き下げるも、国際食品価格の低迷に加え、干魃による不作で、貿易収支も悪化。おまけに、18年に米国が国内金利を2%に引き上げたうえに、トルコで実際に通貨危機が生じ、アルゼンチンの再三のデフォルトが懸念されたために、中央銀行が金利を60%まで上げても、外資は米国へ引揚げてしまう。
このため、IMFから追加融資でなんとかしのごうとするが、2020年に大統領になったペロン党フェルナンデスは、これを停止し、徹底的な為替と貿易の管理で資金流出を留めようとする。また、ペロン党らしい公共料金の凍結、老人や子供への支援金、貧困家庭への食料券などの不況対策を行った。しかし、おり悪く、世界的なコロナパンデミックで、国際経済は低迷し、就任早々、デフォルトに。ロックダウン下で、もはや貧困層は国民の40%を越え、1ドル700ペソまで急落し、もはや略奪が日常化。ウクライナ戦争の裏側で、今年8月、来年からエジプト・エチオピア・イラン・サウジ・首長国連邦とともに欧米の対抗軸となるBRICS(ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)へ加盟することが決まったが、内情はおよそ楽観できるものではない。
正義論だの、地政学だのもけっこうだが、世界にはもっと大きな歴史文明的な法則がある。すなわち、どこかで戦争が起これば、勝った側であろうと、負けた側であろうと、当事者たちはもちろん、それを支援した国々まで、救いがたく疲弊する。その一方、関わらなかった国は、思わぬ好景気の恩恵を受ける。しかし、この好景気は自力で掴んだものではなく、それでいったんバラマキ政策が膨れ上がってしまうと、国民の自主性無き依存体質を生み、その後、国債増大と通貨下落に物価上昇、その破綻、緊縮管理経済と反政府暴動を引き起こす。そして、次にまた世界のどこかで戦争が起きるまで、どうにもならない。
やたらカネを途上国にばらまきたがる政治家がいるが、それがほんとうに相手国のためになるのか、よく考えた方がいい。それはただ親族汚職と闇市場を横行させるだけで、それで結局、デフォルトや政府転覆暴動となれば、そのツケは、むしろ支援した国の方に帰ってくる。来年の拡大BRICSに関しても、とりあえずウクライナで戦争をやっている間は安泰だが、さて、その後、どうなることやら。いや、それ以前にそもそも、戦後、世界のどこかしらの戦争の恩恵で、いつもずっとうまくぬくぬくとやってきて、自分たちでなんとかする気力も機会も失ったこの国がどうなるのか、もっと心配した方がいいかもしれない。
純丘曜彰 教授博士