虐待された過去を乗り越え...モデル、坂田弓佳が今伝えたいこと

虐待された過去を乗り越え...モデル、坂田弓佳が今伝えたいこと

  • コスモポリタン
  • 更新日:2020/11/24
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両親からの虐待を受けて育ったという過去を乗り越え、昨年「ミセス・インターナショナル2019」日本代表に輝いたモデルの坂田弓佳さん(26歳)。

常に世界に目を向けながら、モデル業とボランティア活動、自身の子育てをこなし、強く、明るく、ポジティブに前を向いて突き進む彼女に、“幸せに生きる”秘訣をお聞きしました。

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「同じ時代に出会ってくれて、共に歩んでくれている、全ての人達に感謝します。ありがとう」

――辛い経験を感じさせないほど、明るいオーラとエネルギーに満ちあふれている坂田さんですが、その強さの秘密を教えていただけますか?

周りに支えられているとすごく感じます。20歳で結婚して、21歳のときに出産しました。子供は5歳になりますが、毎日学ばせてもらっていますね。家族、友達、仕事仲間の愛情に支えられて、今も生きていられるなとひしひしと思います。家族も友達も私にとってはみんな同じく大切な人で、同じ時代に出会ってくれて、共に歩んでくれていることに、心から感謝しています。

私がボランティア活動を行なっている東南アジアでも、自分がサポートしているというより、私のほうが子供たちから生きる意味を与えてもらっていて、幸せをもらっているような感覚です。スラムの子供たちに出会ってから、日々生きていることへの喜び、小さなことの大切さをあらためて教えてもらいました。自分の過去を否定するつもりはありませんし、過去があるからこそ、今生きていて幸せだなと、心の底から実感できるようになったと思います。

――坂田さんは、虐待された経験をオープンにされていますが、どのような日常を送っていたのか、聞かせていただけますか?

小学校、中学校とあがるにつれてエスカレートし始め、家に帰るのが怖くて、常に「私はどこにいればいいんだろう?」と、家庭内に居場所が感じられずにいました。自分を産んでくれた親に、価値がない、生きている資格がないと言われたこともあり、「どうして私は生まれてきたのかな?」と思うことも多かったですね。

――そういう日常の中で、何を支えにしていましたか?

親友や学校の先生が、本当に親身になって話を聞いてくれました。周りの支えと無償の愛のおかげで頑張れた、それだけだった気がします。未成年のうちは1人で暮らすこともできないので、途中、友達や当時の彼が家族ぐるみで温かく迎え入れてくれて、家を出ていた期間もありました。

ただどこかで、「これで終わる私じゃない」という強い気持ちは、常にあったと思います。私がこうやって苦しんでいるということは、他にも苦しんでいる人がいるはずで、それを教えてもらうために今の経験があるのだと。家に帰る前はいつも空を見上げて、「どうか私が誰かの希望の光となれますように」とか、「絶対にこの現状を乗り越えてみせる」とか、星空に話しかけていましたね。今思えば、気恥ずかしいですけど(笑)。

――経験をオープンにしようと思った理由を教えてください。

自分にはこの経験を伝える使命があると思ったからです。その当時から、悲しい反面、どんな状況でも乗り越えられるはずだという信念がどこかにあって、自分が変われば必ず、八方塞がりに思えるような環境にも変化を起こしていけると思ってやってきました。

誤解されがちなのですが、私は親に仕返しをするつもりで、これを発信しているわけではありません。両親はとても厳しかったですが、愛情をかけて育ててくれたと思っていますし…ただ、親にもいろいろな事情があって、整理がつかないことが、私への暴力や暴言という形に変わってしまっただけなのだと思っています。

――実際に話すのは勇気がいることだったと思いますが、いかがでしたか?

正直、話すときはすごく怖かったです。でも私にとって、言わないことのほうが不自然だったともいえます。お世話になっている事務所や、お仕事をくださるクライアントのイメージに泥を塗ってはいけないので、言うタイミングは慎重に考え、経験と実績を積んで、自分自身がしっかり確立されてから話そうと思っていました。

コンテストに出たとき、「私は絶対に日本代表になって世界に行く!」と自分の中で決めていて。世界に行けたら、「暴力を受けた経験を乗り越えたからこそ今がある」と伝えるときだと。私が話すことで誰かに届くなら、同じような経験をされている方に伝わるなら、そう思ってオープンにしました。

「私が話すことで、辛い経験もシェアできる環境を作っていきたい」

――ミセス・インターナショナル2019のグランプリに輝いて、世界に行くことが決まったときのお気持ちは?

自分の名前が呼ばれたとき、今まで出会ってきた人たちの顔が、走馬灯のように次々と頭を駆け巡りました。思い浮かぶ顔の誰1人が欠けても、私はこの場にいられなかったという思いがこみ上げて、それと同時に、次の世界大会に向けてのスタートでもあるので、頑張らなくてはと。

実は当日よりも大会前のほうがピンチで、2日前はどうやったら逃げられるかをすごく考えていたんです(笑)。友人たちは絶対に大丈夫だと信じてくれていましたが、もしグランプリが獲れなかったら、みんながっかりするだろうなと思うと、自分にプレッシャーをかけすぎてしまって…。

そんなときもスラムの子供たちが、学校の共有パソコンなどからメッセージを送って、励ましてくれました。今も毎日のように「元気?」みたいな何気ないやりとりが続いていて、彼らの優しさに日々、救われています。

――そもそもコンテストに出場しようと思った理由は、発信するためですか?

自分に嘘はつきたくないので正直に言いますが、もともとドレスや華やかなものがすごく好きで、そういう世界で勝負したいという気持ちももちろんありました。でも根底にあるのは、スラムの子供たちが教えてくれたことや、彼らの思いを届けたいという気持ちです。屋根もなく、ベッドもない、豪雨になれば水浸しになるようなスラム街の一角で、1つの台所を30~40家族が一緒に使って生活をする――そういう環境に置かれた子供たちがたくさんいることを、1人でも多くの人に伝えたいという気持ちで応募しました。

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自分のことを語る上でも、彼らの存在が背中を押してくれたと思います。子供たちのことを考えると、自分は食べようと思えば食べられる生活をしていて、それ以上に守るものなんてないんじゃないかって。どん底から這い上がってきて、悲しいことも経験して、もう怖いものはないなと。自分をさらけださないことには何も始まらない、と勇気をもらったと思います。

――反応はどうでしたか? 話してよかったと実感したことはありましたか?

あるメディアで取材していただいたときの動画が、100万回以上再生されたんです。「長年苦しんできて、実は今もトラウマがあります」「周りには絶対に言えなかったけど、私もこういう経験があります」といったコメントやメッセージ、お手紙をいただいて、やはり悩んでいらっしゃる方は多いのだと思いました。

一部のメディアからはタブー視されがちですし、取りあげてもらえることが少ないテーマだとは思いますが、そういう経験に苦しんでいる人は大勢いるわけですから、私が話すことで新しい風潮というか、言いやすい環境を作っていけたらいいなと思いますね。

「あなたはもう持っている、シェアをしたらもっと豊かになる」

――今、ボランティアでは具体的にどういう活動をされていますか?

ネパールのキルティプルという、都会からバイクで20分くらいのところにある山の上の孤児院で約30人の女の子たちが暮らしているのですが、今までサポートしてくれていたアメリカの方からの援助がなくなり、先行きが見えない状態になりました。食費や学校の授業料、孤児院の運営をどうしていくべきかなど、仲間たちと協議しているところです。

バングラデシュでは社会活動家の友人にお金を託す形で、ご飯のサポートをするという活動をしています。バングラデシュで出会った男の子に、クラウドファンディングの御礼のカードをデザインしてもらったこともあります。イラストレーターになりたいという夢を持っているMAMUNくんという男の子で、彼の名前や撮影したカメラマンの名前もきちんと入った、彼にとって初めてのお仕事!

どんな環境に生まれ育っても、世界のどこかに自分を求めてくれる人が必ずいると私は信じているので、彼にも、誰かに求められている人材だということを感じてもらえたらと思いました。

――ご自分の活動内容を通じて、息子さんに伝えたいことはありますか?

息子が3歳のとき、一緒にスラムに行きました。最初はシャイでしたが、数時間もすると仲良く遊んでいましたね。介護施設にも行かせてもらったことがありますが、私が入居者の方と触れ合っていると、息子もハグをしたり、おもちゃを貸したりして打ち解けていて、「思いやりのある子になりなさい」なんて言ったりしなくても、親が実際に行動する姿を見て、何か感じているのかなと思ったりしました。

あとは「シェアをしよう」ということを言い続けています。バナナ1本でも半分に折れば2つになるし、どうすれば人と分け合えるのかを常に伝えてきました。人は“持っている”ことを実感できないと、“与える”こともできない。「あなたは持っている、だからシェアをしよう」という習慣を1日1日積み重ねていくことで、「これは僕のもの!」から、自発的に「シェアしたい!」と言ってくれるようになりました。息子が成長する姿を見て、私も成長させてもらっていると思います。

「世界のどこかに必ず、あなたを待っている友がいる」

――いつも自分の心にある、大事な言葉やモットーなどはありますか?

すごく好きな言葉で「桜梅桃李(おうばいとうり)」という四字熟語があります。鎌倉時代からある言葉らしいのですが、桜、梅、桃、すももと、それぞれがお花の名前。でも色も形も咲く時期も全部違って、それぞれが独自に美しい花を咲かせる。つまり、人もそれぞれ違うけれど、それぞれが主役で、それぞれに花開くタイミングがあって、それぞれの使命があるという意味で、この言葉がすごく好きです。

私が経験したコンテストや、試験や昇進など、人生にはいろいろと挑戦する場面があると思いますが、一時の結果だけにとらわれないでほしい。その人にとってのベストなタイミングが必ずあると思います。だから何があっても自分は自分で大丈夫!と思いながら前に進むこと、それが私のポリシーですね。

――今後の目標について教えてください。

まずはモデル活動ですね。人前に出る仕事には発信力があって、1人でも多くの人に自分のメッセージが伝わるからという理由で選んだのもありますが、好きな仕事ですし、これが本業なので、今まで通り頑張っていきたいと思います。

あとは母親としても、女性としても成長したいですね。悔いのないように生きたいと強く思っています。

私はスラムに行って、多くのことを発見し、世界が変わりました。スラムの子供たちのことがいつも頭の中にあって、彼らのために何ができるだろうと考えていると、疲れたな…と思うときでも「まだやれる!」と踏ん張れる。生きているなら、自分にできる最大限のことをしたい。常に限界に向かって突き進んでいる感じです。

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――最後に、かつての坂田さんのように、暴力に苦しんでいる人たちに伝えたいことはありますか?

幸せになるのを諦めないこと。世界のどこかに必ず、あなたを待っている友がいるから。必ずどこかに居場所はあるし、たとえ今は見つからないとしても、目の前のことに全力で励んでいたら、気付かない間に居場所というものが生まれていたりする。

だから、幸せになることを絶対に諦めないでほしいです。なりたい自分に、誰でもなれます。自分が変われば、目に見えないようでも、確実に周りにも変化を起こしていけると私は信じています。 八方塞がりに思えたとしても、すべては自分次第です。だからどうか、自分を諦めないでください。勇気をもって一歩踏み出すあなたを、私は応援します。

坂田 弓佳(Yumika Sakata)

1994年、千葉県生まれ。高校在学中にモデル事務所でレッスンを開始し、その後モデルの道へ。2019年、ミセス・インターナショナル日本代表に輝き、活躍の場を世界へと広げる。現在、育児、モデル業と並行しながら、発展途上国に暮らす子供たちのサポート活動に尽力している。

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