「怪文書紛いが国会で取り上げられた」“イトマン事件”の告発で“住友銀行の救世主”になった男の告白

「怪文書紛いが国会で取り上げられた」“イトマン事件”の告発で“住友銀行の救世主”になった男の告白

  • 文春オンライン
  • 更新日:2021/04/07

大阪の中堅商社イトマンを通じて3000億円もの大金が闇社会に消えたとされるイトマン事件。バブル期に起きた戦後最大の経済事件の詳細を明らかにしたのは、ある一人のバンカーによる告発がきっかけだった。その男こそ、旧住友銀行でバブル期に政官財の要人へ食い込み、収益拡大で成果を上げ将来の頭取候補と呼ばれた國重惇史氏だ。

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ここでは、ノンフィクション作家の児玉博氏の著書『堕ちたバンカー 國重惇史の告白』(小学館)を引用。本人への取材を通じて國重惇史氏の栄光と転落を描いたビジネスノンフィクションから、國重氏が内部告発に至った背景について紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

◆◆◆

多くの逮捕者が出た「イトマン事件」

昭和61年(1986年)10月、住友銀行は平和相互銀行を合併した。國重はそれを見届けるように、翌年4月、渋谷東口支店長となる。もとは平和相互銀行の支店だったところで、國重にとっては初めての支店長就任であった。そして、業務渉外部の部付部長として本店に戻って来た國重を待っていたのは、國重の名をさらに高めることとなる「イトマン事件」だった。

戦後最大の経済事件と言われるこの事件では、住友銀行による平和相互銀行合併のきっかけを作ったイトマンをめぐり、法外な価格での絵画取引やゴルフ場投資により多額の資金が闇社会に流出、多くの逮捕者が出た。メインバンクである住友銀行の責任も問われ、“天皇”と呼ばれた磯田一郎(編集部注:当時の住友銀行会長)の長女が絵画取引に関わっていたこともあり、最後は磯田の辞任にまで至った。この事件が、國重の告発によって明るみに出たことは『住友銀行秘史』に記された通りだ。

内部情報源…“ヤメ検”からの電話で始まった、國重のイトマン事件

“國重のイトマン事件”は1本の電話から始まる。

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(※写真はイメージ)©️iStock.com

「土屋東一って弁護士さん知ってる?」

土屋弁護士はいわゆる、“ヤメ検”と言われる検事出身の弁護士だった。筆者が頷くと、國重は嬉しそうに、

「そう」

と言ってはポツポツと話を進めた。國重が楽天証券の会長だった時代だ。國重のオフィスは東京・六本木の「六本木ヒルズ」19階にあった。この“欲望の塔”にもなぞらえられた「六本木ヒルズ」には、楽天を始め、村上世彰の会社「M&Aコンサルティング」、堀江貴文の「ライブドア」などが入っていた。東京を睥睨するかのようなその眺望は、経済を席巻するネットベンチャーの勢いを象徴していた。そこから、話は平成の初めに遡る。

「電話があったんだよ、その土屋弁護士から『國重さん、伊藤寿永光って知ってる?』って」

“スエミツ”という聞き慣れぬ名を國重が「知らない」と答えると土屋弁護士は笑みを含んだ声で言うのだった。土屋は住友銀行の“政治部長”と言われ常務となっていた、松下武義(編集部注:当時の住友銀行取締役)の紹介だった。

「あんたに似ているんだよ……」

「似てるってなんですか?」

「一見すると爽やかなんだけども……」

そして土屋は続けた。

「今度、(イトマンの)河村(良彦。社長)さんが、この伊藤という人を役員で入社させるというんで、何か知ってないかなと思って連絡をしたんだ」

後に伊藤と相まみえることとなる國重だが、この時は伊藤という存在はまったく知らなかった。ただ、

「似てるって言われたからな……イトウスエミツって名前は記憶にとどめたよ」

「ホテル六本木」で逢瀬を繰り返した秘書

この電話が“國重のイトマン事件”の端緒とするならば、それをなお一層明確にした場所が「六本木ヒルズ」からほど近い場所にある。「ホテル六本木」だ。現在では全面改修が施され、その名もアルファベットの表記に変わっているが、場所は國重が通っていた1980年代後半から変わってはいない。

なぜこのホテルが“國重のイトマン事件”と深く関わっていたのか? 実はこんな事情があるのだ。

前述した平和相互銀行の合併工作の最中、國重は平和相互銀行株を実質的に所有していたイトマンに足繁く通っていた。担当役員との打ち合わせだった。その中で、國重は担当役員の秘書を口説き、いつしか逢瀬を重ねる関係となっていた。國重はもちろん、結婚していた。つまり、不倫をしていたわけだ。

「可愛かったんだよ」

國重は、数十年前のことを屈託なくこう振り返ってみせた。

「で、國重さん、その女性とイトマン事件がどう関係するんですか?」

こう聞くと、國重は、

「いやー……」

と苦笑を浮かべて言うのだった。

「彼女は有能でさ、伊藤寿永光のことも知ってたんだよ」

その秘書は、國重に伊藤が常務としてイトマンに入社すること、その人事のために不動産本部が大騒ぎになっていることを教えてくれる。イトマンの“内部情報源”は情報源にとどまらず“國重のイトマン事件”に積極的に関わる。

「僕がイトマン事件の最中に内部告発を装って匿名で告発文を書いたって教えたでしょう? その告発文の便箋や封筒は正式なイトマンのロゴが印刷されたものだったんだよね。便箋や封筒は全部、その彼女が用意してくれたんだよ」

告発文によりリアリティを持たせるため、國重はイトマンの正式なロゴが入った便箋、封筒を調達した。「ホテル六本木」で逢瀬を繰り返す女性を通じて入手したものだったのだ。

「國重さん。凄いことを考えますね?」

「いやー、とんでもないと思うけど……当時は、なんかね、そうした流れで……」

怪人物、伊藤寿永光と許永中

この一連の告発文は国会でも取り上げられることになった。

「怪文書紛いが国会で取り上げられたのは僕のだけだ」

國重は時にこんな言葉を漏らしては笑っていた。

伊藤寿永光はバブル経済を代表する怪人物であったが、それ以上にその闇が深かったのは、伊藤に連なる人脈がより深い世界の住人たちだったからだ。さながら、バブル経済は地獄の釜の蓋が開いたかのように、魑魅魍魎が表舞台で跋扈する時代だった。

伊藤寿永光の名前が知られるようになったきっかけは、雅叙園観光(東京、静岡でホテルを経営。1997年に倒産)の筆頭株主となったことからだった。1990年1月のことだ。

雅叙園観光は関西で名を馳せた仕手筋、池田保次率いる「コスモポリタン」に乗っ取られていた。しかし、「コスモポリタン」は700億円もの手形を乱発、資金繰りに窮した同社は倒産。池田は新大阪駅で姿を目撃されたのを最後に失踪してしまう。

伊藤は「コスモポリタン」に270億円もの資金を貸し付けていた。追い詰められていた伊藤は、雅叙園観光そのものを手に入れようとする。そこで登場するのが在日韓国人の許永中。当時は、実業家と称していたが、許は伊藤と並ぶ時代を代表する怪人物だった。「コスモポリタン」倒産後、雅叙園観光を取り仕切っていた許と伊藤は手を結び、雅叙園観光の乱発されていた手形の回収に走る。

伊藤に魅せられたイトマン社長、河村良彦

伊藤と許とが急接近していたちょうどその頃、伊藤はイトマン社長、河村良彦を紹介される。2人を結びつけたのは、住友銀行栄町支店の支店長、大野斌代だった。

自称“不動産のプロ”の伊藤は、すぐに河村を虜にする。人の弱み、人の欲望、虚栄心を瞬時に読み取るある種の“天才”を前に、河村は赤子も同然だった。ましてや、およそ1兆3000億円までに膨れ上がった不動産の投融資の処理が焦眉の急だった河村ならば、尚更だった。

伊藤に魅せられた河村は、伊藤を副社長でイトマンに招こうとした。しかし、実績も経歴も定かでない人物の、いきなりの副社長就任にはさすがに住友銀行から待ったがかかる。両者の妥協の産物が、伊藤の不動産担当常務就任だった。こうしてイトマン、住友銀行は泥沼に引きずり込まれていく。

しかし、それは表層的な結果の話であって、その本質はみずからの地位、名誉、権力にしがみついた磯田一郎の転落であり、河村良彦の転落であり、そして磯田らをそうした地位に祭り上げた住友銀行の体質だった。

伊藤の背景にある闇の深さ

旧知の土屋弁護士、そしてイトマン社内の愛人から伊藤の存在を聞かされた國重は伊藤の背景を調べ始め、すぐにその闇の深さを知ることとなる。

「伊藤のバックに山口組の××がいるという話がすぐに入ってきたんだよ」

國重は当時を振り返りながら、話す。不思議なのだが、國重が実名を憚った人物は、経済ヤクザの代名詞として広く世間に知られ、後に神戸市内のホテルで暗殺された山口組若頭、宅見勝なのだが、國重は今もその名前を口にするのを恐れているようで、決して実名を口にすることはなかった。あれほど剛胆な國重が今もってすでに亡くなっている宅見の実名を恐れているのは奇妙だった。

國重が大蔵省銀行局長、土田に告発文を送る直前のことだ。國重は平和相互銀行合併の同志とも言うべき川崎定徳社長、佐藤茂、そして側近の桑原芳樹の2人が磯田を訪ねてくることを知る。

「磯田さんを訪問するからって聞いて、佐藤さんに電話したんだよ」

國重が電話すると佐藤は挨拶もそこそこに奇妙なことを言い出したという。國重の電話に佐藤は、磯田に観音様の仏像を進呈するんだと話した。

佐藤はかつての同志の声に懐かしげな声で答えた。「佐藤さん、観音様って何なの?」

「いやね、今の磯田さんには、観音様が必要かなって思ってね」

「ただそんな用事だけですか? 水臭いですよ」

「國重さん、住友は大丈夫なのか?」

会話はこんな他愛もないもので終わった。國重が電話を切ると、すかさず佐藤の側近、桑原から電話がかかってきた。

「國重さん、住友(銀行)は大丈夫なのか?」

のっけから桑原はこう言い立てた。どこか抜き差しならぬ雰囲気があった。

「どうしたんですか? 佐藤さんは、磯田に観音様の仏像を持って行くなんて話してるし……」

すると、桑原は意外な名前を口にした。

「國重さん、あんた、今度、イトマンに入社するっていう伊藤って男を知ってる? こいつとんでもない奴だよ」

國重はよもや桑原の口から伊藤の名前が出るとは思ってもみなかった。

思わず、

「桑原さん、伊藤を知っているの?」

國重の問いに「知っている」と答えた桑原は、こう続けた。

「河村が伊藤を役員として迎えるという話を聞いて、それをやめさせるために佐藤と磯田さんのところに行くんだ。観音様? ああ、それは持って行くけども、単なるレプリカだな」

「伊藤には、致命的な問題がある」

「岩間カントリークラブ」を手がけていた平和相互銀行傘下の岩間産業。平和相互銀行が住友銀行に買収された後、この岩間産業の社長には佐藤茂が就任していた。2ヶ月後、同社は東京佐川急便に買収される(岩間開発に改名)。そして、その3年後、岩間開発は第三者割当増資を実行。結果、筆頭株主となったのが不動産開発会社「北祥産業」、つまり暴力団「稲川会」会長、石井進が代表を務める会社だった。

金融当局が平和相互銀行に手を付けようとした理由の1つが、融資先に暴力団関係の会社が多かったことだ。事実、住友銀行への合併にはそうした暴力団関係者らはこぞって反対した。その矛先は大株主、佐藤茂に向かった。なぜなら、住友銀行に合併されてしまうと平和相互銀行のように自分たちの“打ち出の小槌”になってはくれなくなるからだ。暴力団から佐藤茂の身を守ったのが、稲川会会長の石井だった。佐藤は石井に深い恩義を感じていた。佐藤や桑原が、主に関西で暗躍していた伊藤の素性を知り得たのは、石井からの情報によるところが大きかった。

事ここに至り國重は確信した。伊藤には、致命的な問題があると。旧知の弁護士情報、愛人から得たイトマンの内部情報、そして桑原、佐藤から得た情報。何より、桑原、佐藤は“裏社会”の情報にも精通したプロだ。その桑原、佐藤が“危険”だとレッテルを貼る伊藤。そんな伊藤を素人の河村が使いこなせるとはとても思えなかった。國重は即座に動き、伊藤周辺の情報を掻き集めはじめる。実質的な“國重のイトマン事件”は、ここから始まったとも言える。

【続きを読む】今やまともに一人で立つこともできず……“地位”も“名誉”も失った「住友銀行の救世主」はいま何を思うのか

今やまともに一人で立つこともできず……“地位”も“名誉”も失った「住友銀行の救世主」はいま何を思うのかへ続く

(児玉 博)

児玉 博

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