マイアミの奇跡から25年。伊東輝悦が振り返る得点シーン「ボールに触ろうかギリギリまで迷った」

マイアミの奇跡から25年。伊東輝悦が振り返る得点シーン「ボールに触ろうかギリギリまで迷った」

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  • 更新日:2021/07/21

伊東輝悦(アスルクラロ沼津)インタビュー@前編

1996年7月21日、日本がブラジルから大金星を挙げた「マイアミの奇跡」は、サッカーファンの垣根を超えて今も人々の間で語り継がれ、日本のオリンピック史における伝説のひとつとして数えられる。

【写真】南アW杯のメンバー入りは絶望。そのとき突然、川口能活の携帯が鳴った

あれから25年。東京オリンピック開幕を目前に控えた今、あの伝説の試合で決勝ゴールを決めた伊東輝悦が、当時の思いを振り返ってくれた。

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アトランタ五輪ブラジル戦で決勝ゴールを決めた伊東輝悦

---- テレビ番組などで「マイアミの奇跡」の映像が流されるのは、もはやオリンピック前の風物詩になりました。そのことを当事者として、どのように受け止めていますか?

「あれがなかったら、こうした取材を受ける機会もなかったし、4年に1度、定期的にあの映像がテレビで流れることで僕のことを思い出してくれる人もいるわけだから、個人的には良い思い出になってますよ」

---- 当時の伊東選手にとって、オリンピックはどのような存在でしたか?

「僕にとっては、初めての世界大会。その大舞台で、ブラジル、ナイジェリア、ハンガリーという国々を相手にどれだけできるのか、自分のなかでワクワクするものがありました。それに、僕はアンダーカテゴリーのアジア予選で負けた経験があったから、あの時はアジア予選の段階から絶対に勝ち抜きたいって思っていて、ようやくたどり着いたという思いもありましたね」

---- 実際にオリンピック代表メンバーに選ばれた時の気持ちは?

「うーん......覚えてねぇなぁ(笑)。98年W杯の時、クラブから電話がかかってきたのは覚えているんですけどね。まだ当時はメンバー発表会見もなかったので、おそらくオリンピックの時もクラブ経由で知ったんだと思うんですけど。とくに両親に電話報告した記憶もないし、ひとりで喜びを噛みしめていたんじゃないかと(笑)」

---- 五輪代表ではボランチとしてプレーしましたが、所属クラブの清水エスパルスでは攻撃的MFとして活躍していました。そこにギャップはなかったですか?

「当然、初めの頃は感じましたよ。自分のなかでは『ボランチは守備の人』という勝手なイメージを持っていたから、そのポジションをやるとなった時、『いや、俺はそんなに守備は好きじゃないし、できるかな』って。

でも、実際にプレーしてみたら、ボランチは守備だけをするわけじゃなく、そこから攻撃にも出て行けることがわかって、それならできそうだ、面白いなって思えるようになりました。それに西野(朗)監督も、僕ができもしないような無茶な要求はしてこないだろうって」

当時の日本サッカー界は、プロ化してからまだ3年目。そんななかで、銅メダルを獲得した1968年メキシコ大会以来、実に28年ぶりのオリンピック出場を果たした日本は、グループステージ初戦でサッカー王国ブラジルと対戦。オーバーエイジ枠を駆使した優勝候補筆頭のブラジルに対し、日本は見事に下馬評を覆して見せた。

---- 初戦のブラジル戦には、どのような準備をして臨みましたか?

「担当スタッフが集めた映像などを見せてもらって、それなりの準備はしていたと思いますが、データ分析などの情報量は今とは比べものにならないくらい少なかった。それと、気持ち的なところでは当然、ブラジルはデカい相手なのでリスペクトはするけど、しすぎるのもよくない。だから、相手や会場の雰囲気に呑まれないように心がけました。

実際、整列するまでは自分でも緊張しているのがわかったけど、いざ試合が始まったら、それも気にならなくなった。適度な緊張感でプレーできていたと思いますよ」

---- 実際に戦ってみて、ブラジルはいかがでしたか?

「シンプルに、『こいつら、うめぇなぁ』って(笑)。ちょうど僕の対面でプレーしたのがリバウドだったんですけど、サイズもデカくて、ボールテクニックもあって。となりのジュニーニョ・パウリスタも速いし、うまいし、やっぱり強かった。

日本の試合の入りもよくなくて、ずっと相手に押し込まれて、最後に(川口)能活がセーブするという展開が続いたので、全体的にはうまくいってなかった。ただそれも、前線、中盤、最終ラインと、相手にプレッシャーをかけて、ある程度の制限をかけることができていたからだと思います。欲を言えば、あそこまでシュートチャンスを作らせないほうがよかったんですけどね」

---- 攻撃についての具体的なプランはありましたか?

「うーん、それもよく覚えてねぇなぁ(笑)。ゴールキーパーと最終ラインの連係に難があるっていう話をよく聞くんですけど、そんなこと言ってたかなぁ......。まあ、言っていたとしても、昔のことすぎて覚えてないんです」

---- 決勝ゴールのインパクトが強すぎたんでしょうね。

「あれはもう、ハッキリと覚えてます(笑)」

---- あのシーンを振り返ると、伊東選手は自陣で前にボールをつないでから、そのまま長い距離を走って相手ボックス内まで上がっていきました。それまでになかったプレーですが、それもプランでないとすれば、あれは本能的なものだったんですか?

「そう、まさにそれ。もともと僕は攻撃の人なので、あの場面で本能みたいなものが出てきたんでしょうね。あの局面を見て、『これはチャンスになりそうだ』っていう直感がしたので。まさかあんな感じでボールが来るとは、予想してなかったですけどね。

ただ、あの瞬間はボールに触ろうかどうか、ギリギリまで迷ったんですよ。あれはアウダイールと(城)彰二が交錯したあとに転がってきたボールなので、もし彰二が最後に触っていれば、あいつのゴールになるわけじゃないですか? だから迷ったんですけど、でも、やっぱりあれは触っちゃいますよね。あとで彰二に触ってないと聞いて、『助かったぁ』って(笑)」

結局、日本は後半72分に伊東が決めた1点を最後まで守り切り、グループ最強のブラジルを相手に勝ち点3をゲット。幸先のいいスタートを切った。だが、続くナイジェリア戦を落とし、最後のハンガリー戦に勝利したものの勝ち点6で3チーム(ブラジル、ナイジェリア、日本)が並び、得失点差で3位となった日本はグループ敗退を強いられてしまった。

結果的に、天国と地獄の両方を味わうこととなったアトランタ・オリンピックは、伊東のなかでどのように消化されているのか。

---- ブラジルに勝ったことと、グループ敗退した悔しさでは、どちらが上回っていますか?

「もちろん、次のステージに行きたかったほうが強いですよ。『2勝しても次に行けねぇんだ』って当時も思いましたから。

でも、あのオリンピックが自分のなかで大きな自信にはならなかったかもしれないけど、多少の自信にはなった。何事も『やれば、何とかなるんじゃねぇか』みたいに考えられるようになったことが、何より大きかったです」

---- あの大会以降、日本はオリンピックに出場し続け、来たる東京オリンピックでは「金メダル獲得」が選手や監督の口から目標として語られるようにもなりました。

「すごいですよね、金を獲りにいこうとしているんですからね。それに今回のチームは海外で経験を積んでいる選手がたくさんいて、そういう選手たちが言うんだから、きっと自信もあるんじゃないですかね。もう、僕の時代とは全然違いますよ」

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---- 経験者として、現在の選手たちに何かアドバイスをお願いします。

「いや、僕からは何もないっす(笑)。だって、今の選手のほうが海外でいろいろな経験を積んで、技術的、身体的な能力も上がっているので、僕が言えるようなことなんて、もう何もないですよ。

ただ、肩の力を抜いて楽しんで下さいっていうことだけですかね。緊張もあるだろうから、それが一番難しいのかもしれないですけど。でも、みんな場数も踏んでるし、できるんじゃないですか。普段はあまり代表の試合は見ないけど、今回は僕も期待して見てみようかなって思ってます」

伝説の『マイアミの奇跡』の立役者のひとりとして当時を感慨深げに振り返った伊東輝悦は、現在J3のアスルクラロ沼津でプレーしている。後編では、46歳になった今もなおJリーガーとして現役を続ける"鉄人"の素顔に迫る。

(後編につづく)

【profile】
伊東輝悦(いとう・てるよし)
1974年8月31日生まれ、静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身。1993年、東海大学第一高校(現・東海大学付属翔洋高校)から清水エスパルスに入団。中盤の要として活躍し、2010年まで在籍する。その後、ヴァンフォーレ甲府、AC長野パルセイロ、ブラウブリッツ秋田と渡り歩き、2017年からアスルクラロ沼津でプレー。各世代の日本代表に選ばれ、1996年アトランタ五輪出場、1998年フランスW杯メンバーにも選出される。ポジション=MF。168cm、70kg。

中山淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi

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