「もっと幸せになりたい」と「今も十分幸せ」を行ったり来たり...

「もっと幸せになりたい」と「今も十分幸せ」を行ったり来たり...

  • かがみよかがみ
  • 更新日:2020/10/17
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「彼氏欲しい」「誰か良い人いたら紹介して」

女友達と集まって、気づいたら発している言葉。

この1年で言いすぎて、誰かに彼氏ができたと言われればとりあえず「いいな〜」あるいは「おめでとう」と発し、上記フレーズのどちらかをつける。そうすると「彼氏がいなくても十分楽しそうだよ?」と友人にはよく言われる。

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私は、彼氏がいなくても「人生」楽しそうな人と思われている

確かに私は今、幸せだ。

彼氏がいなくても、週末一緒にご飯に行ってくれる友人もいるし、何かあったら電話できる家族もいる。一人で東京に暮らせるだけの給料をもらっているし、学費の借金もきちんと返すだけの余裕もある。

周りの人に「彼氏がいないかもしれないけど人生楽しそうな人」と思われるくらいには、私の毎日は充実していて、楽しそうに映っているのだなと思う。そう言われて考えると、週末はなんだかんだ友達との予定で詰まっているし、彼氏がいなくもて楽しいと思うことも多い。

週末の予定が埋まらない時は、マッチングアプリの出番だ(週末の予定がなさすぎた時、2日間で4人と会ったこともある)。そして、アプリで出会った初対面の方々にも「彼氏いなくても楽しそうだね。本当に彼氏探している?」と言われるくらい、私は彼氏が欲しいと思っているようには見えないらしい。

人生を楽しくするのは「自分次第」。だから、現状に不満がないとは…

でも、私だって一人は寂しい。誰かと一緒にいたい。嫌なことがあった時に遠慮せずに電話できる存在がほしいし、しょうもないことでも報告できる存在が欲しい。

また、毎日楽しんでそうに見えるのかもしれないけど、自分では正直そんなに楽しんでいるつもりはない。私が多分1番輝いていたのは、アドレナリンが出まくっていた大学時代の3年間で、それ以降はそんなに人生楽しいと思う瞬間はきていない。ここ2年ほどはむしろ停滞気味で「人生楽しい〜!」というよりかは「私の人生もっと楽しいはずじゃなかったけ?」という気持ちの方が強い。

そもそも私は「私の人生こんなもんだろう」と客観視し、妥協したところからスタートした人間だった。それが人との出会いによって進路変更も含めて、やっと自分で自分の人生の舵を取るようになり、人生って自分次第でいくらでも楽しくできるんだなということを知った。

しかし、現実主義を捨てきれず無難な人生を送りつつある今、自分の人生に不満がないとは言えない。それもこれも、私には幸せと思えるだけの要素が十分揃っているのに、もっと幸せになれると思ってしまっているのが原因だろう。もっともっと…と願ってしまう。なんで現状に満足できないんだろう。

現状に「満足する」日は来るのだろうか…自分の中にある矛盾と葛藤

世界で一番貧しい大統領として話題となった、ウルグアイのムヒカ元大統領は「本当に貧しい人とは現状に満足できない人だ」と言ったそうだ。であれば、幸せな状況だと分かっていても満足できない私は、貧しい人なのかもしれない。

彼氏がいないということは、多分たくさんある「もっと幸せになる」ための1要素で、それが手に入ったところで「私は幸せだ」と言い切れるか微妙なところだ。彼氏ができても、今度はまた何らかしら見つけて、自分の人生もっと楽しくなるはずだなんて思うんだろう。

一体、私が現状に満足する日は来るのだろうか。おそらく、ないんだろうなと思う。

そう考えると、やっぱり、つまらないと思ってしまう時間(=日常)こそに幸せを見つけるべきなんだと思う。もっともっとと思うことは悪くないとは思うし、現状に満足しない自分も好きだけれど、つまらないと思ってしまうことの中にも幸せを見つけることが今すぐにできる幸せだと思える方法なのかもしれない。

そんな自分の中にある矛盾、そして葛藤と今日もまた、向き合う日々。

Karen

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