死罪、追放、身体刑...身分や性別によっても違いがあった江戸時代のさまざまな刑罰

死罪、追放、身体刑...身分や性別によっても違いがあった江戸時代のさまざまな刑罰

  • Japaaan
  • 更新日:2021/06/10
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みなさんは、江戸時代の刑罰というと、どんな印象を持ちますか?

普段、学校の歴史の授業ではそれほど扱われることもないため、イメージできない、という方も多いのではないでしょうか。江戸時代の刑罰は、身分によって違いがありました。

そこで今回は、江戸時代にあった様々な刑罰をご紹介します!

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江戸時代の刑罰とは?

江戸時代の刑罰は、その種類によって大きく3つに分けられました。「死罪」、「追放刑」、そして「身体刑」です。

1747年(寛保2年)に8代将軍徳川吉宗によって「公事方御定書」が制定され、犯罪に対する刑罰の目安が確立されました。

しかし、『公事方御定書』を持っていたのは町奉行・勘定奉行・寺社奉行の奉行所のみで、庶民はその内容を知らなかったといいます。

3つの刑罰の種類

江戸時代の刑罰のなかで、もっとも重い刑は「死刑」でした。死刑と一言でいっても、切腹は武士だけに許された刑でした。また、女性には「剃髪」という刑もあり、女性は死刑になることはほとんどなかったそうです。

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死刑の次に重い刑、今でいう無期懲役にあたるものが、「追放刑」でした。恩赦により赦免されることもありました。基準は、武士が30年、庶民が5年とされていました。居住地やある一定の地域から追い出されるのが、「追放」という刑罰で、奄美大島や伊豆七島などに追いやられる遠島がありました。

「身体刑」は、身体を傷つける刑罰で、主刑としてだけではなく、付加刑として処されることもありました。例としては入墨、敲(たたき)などで、敲きは庶民階級の成人男性にのみ科されました。

窃盗・交通事故には重い刑が科された

現代の間隔で考えると驚くのが、窃盗や交通事故に対する刑の重さです。江戸時代、「10両盗めば死刑」という言葉があり、現代の貨幣価値でいうと、10両は約130万円です。

これほど刑が重かった理由には、江戸時代には窃盗が多く、人々への見せしめとして刑を重くする必要があったことがあげられます。

また、人口密度が高かった江戸では、交通事故に対する刑罰も重いものでした。事故を起こした人だけでなく、その雇い主にも事故の重大さによって島流しや罰金が科されました。

いかがでしたか?

刑罰、と一言で言っても、その種類は様々で、また地位や身分によっても違ったことがおわかりいただけたかと思います。

もちろんこの記事で詳しく全ての刑をご紹介できたわけではありませんが、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです!

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