いじめを無かったと思いたい小学校、虐待は嘘だと言えてしまう人生相談回答者

いじめを無かったと思いたい小学校、虐待は嘘だと言えてしまう人生相談回答者

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2021/05/01
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旭川で14歳の少女が死んだ。自殺をほのめかす文章を遺し、凍死体で見つかった。報道媒体が明らかにしたところによると、14歳の少女は、同級生から自慰行為を強制され、わいせつ画像を拡散されていたという。

いじめ(というより、犯罪だが)の内容も悲惨だが、私が驚かされたのは学校側の対応だ。弁護士の同席を求めた親の要望をしりぞけた上で、教頭から「わいせつ画像の拡散は、校内で起きたことではないので学校としては責任は負えない」などと告げられたという。

結局、この事件が明るみに出たのは文春オンラインの報道がきっかけだった。市教委が旭川の事件をいじめ防止対策推進法の「重大事態」に認定したのは、文春の報道を見た読者の苦情が殺到してからである。

果たしてこの教頭は鬼畜だったのだろうか?

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〔PHOTO〕iStock

被害をなかったことにしたい「否認」の心理

私たちには「悲惨な現実は、見なかったことにしたい」という願望がある。虐待、DV、いじめといった悲惨な情報を見ると、そんなひどいことは起きていないはずだ、だからきっと些細なことなんだ。そう思いたい欲望がある。

防衛機制」という用語がある。人はショッキングなもの、向き合えない現実から身を守るために、さまざまな方法を持つ。なかでも最も原始的なものに「否認」がある。簡単に言うと「○○なんて存在しなかったんだ」と、ストレス源そのものを、否定してしまうものだ。

校長の発言は、出世に影響するからいじめを認知したくないという計算がはたらいたものかもしれない。と同時に「いじめなんか存在しかったんだ」という、否認の最も典型的な表れとも見られる。

否認は、自分にまつわる事件でなくても起こりうる。「こんな悲惨な戦争なかったんだ」「日本人がそんなことをするはずがない」といった否認は、そこかしこに見られる。

被害を矮小化してしまった人生相談

旭川の事件と重なるように、オンライン媒体「cakes」での炎上があった。cakesは一部を除いて購読が有料なオンライン媒体であり、課金と引き換えに良質な記事を提供することでファンも多かった。しかし、そこで無料記事が炎上してしまったのである。

概要をまとめると、無料記事は一般読者からの相談を、執筆者が答える形式で成り立つ連載だった。新聞のお悩み相談を想像してもらうと、わかりやすいかと思う。

そして、最近届いた相談は「19歳の彼氏が避妊してくれない」「母親から暴力を振るわれる」と嘆く14歳の少女がおり、その友人がどう彼女をサポートすべきか相談した記事だった。しかし、著者は性暴力・虐待の存在を無視して「友達自身が気づいて成長していかないといけない」と相談者を諭したことで炎上したのである。

その著者は、過去にDVの被害者から届いた相談を「嘘」と書いたことで炎上。cakes・著者ともに謝罪し、DVについて学ぶ連載で“みそぎ”を行ったばかりだった。

これもまた、虐待や性暴力、DVを見逃す「否認」が起きた事例だといえる。本当はDVなんか存在しない、これは性暴力なんかじゃなくて痴話喧嘩だ……と否認したい気持ちが、私たちの目を曇らせる。そして、支援が必要な人たちを、さらに傷つけてしまう。

否認の壁を超えるためには

自分の心にフィルターがかかってしまう「否認」の壁を超えて「これはDVだ」「これは性暴力では?」と気づくには、典型的な被害者の像を知る必要がある。なぜなら、典型的な被害者は、私たちが日頃の人生で想像する被害者像から大きくかけ離れているからだ。

本当の被害者は――、

1. 逃避するために、世間から褒められないこともする

たとえばレイプの被害にあった方が、風俗で働き始めたり、突然性へ奔放になったりすることがある。「汚れた自分をさらに貶めることで安心する」と、被害を上塗りする行動でトラウマを合理化しようとするからだ。

他にも、アルコール依存症になったり、薬物に手を出してしまったりと、世間から褒められない行動に出てしまうことがある。これが「だってこいつも悪いことしてるじゃん」「その状況じゃ、被害にあっても仕方ない」と、被害を矮小化させるロジックに使われてしまう。

2. 被害にあった経験を語ると、支離滅裂になる

犯罪被害など、大きなショックを受ける出来事があると、人の記憶は曖昧になる。「○月○日、私は○○の被害に遭いました。当日は晴れで、私は○時ごろの電車に乗って○○へ向かう途中でした」と、わかりやすく被害を話せる人はあまりいない。

話し方も変わる。ショックを和らげるために笑いながら話したり、あえて淡々と話したりもする。このような話し方が総じて、信憑性が低そうに見えてしまうこともある。たとえ嘘でも、ありありと情景を思い浮かべられるよう具体的に、ドラマティックに話せる被害者のほうが「一般ウケ」してもてはやされることは多い。

たとえば、私には過去にレイプされた経験があるが、それを「嘘なんでしょ?」「本当は合意だったんでしょ?」と笑われたことも少なくない。こうして文字にすると信じられないかもしれないが、それくらい私の記憶は飛び飛びであり、語るにしても不明瞭で、感情が暴発するのを防ぐために、抑揚なくしか話せないのだ。

私は面の皮が厚いのでなんとかなるが、一度でも被害を否定されてしまうと、ショックで被害を公に語れなくなってしまう人も多い。これがまた、被害を訴えるハードルを上げてしまう。

3. 取り憑かれたように、被害について話し続ける

公に訴えることはできないが、被害について話すこともやめられない。そういう症状が出る人もいる。

PTSDにはフラッシュバックといって、記憶が強制的に蘇り、当時の経験をありありと追体験してしまう症状がある。そうすると、何度も、地獄のように続く同じ体験について話さねばならなくなる。

だが被害があまりにも圧倒的なので、何度も何度も、相手がうんざりするまで話し続けるしかない。これが聞き手をうんざりさせ「またその話? どうせそんなにひどい目に遭わなかったんでしょ、どうせ?」と、思ってもない暴言を引き出すトリガーになってしまうこともある。

4. 支援者に感謝するとは限らない

災害のボランティアからレイプのサバイバー保護まで、とにかく支援を思い立つ人は、対価に感謝を求めがちだ。しかし、支援したからといって、感謝されるとは限らない。むしろ、恨まれることすらある。

支援が必要な人は、大半が感謝する余裕もない人だ。たとえばあなたが明日食べていくお金もなかったとき、目の前に10円を置いていった人へ感謝できるだろうか。もしかすると「何でもっと置いていかないんだ、10円じゃ食べていけないのを知っているくせに」と怒るのではないだろうか。

被害にあえぐ人は、似た状態にある。あなたの支援も、感謝されない可能性がある。だからしっぺ返しにあうと、ボランティア精神にあふれる人ほど「あんな人が被害者なんて信じられない」「あんな人は、被害にあっても仕方ない」と、被害を否認したくなるのである。

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被害を見落とさないトレーニングを

「泣きながら被害を語り、慰めを通じて輝きを取り戻していく」理想的被害者は、そんなに多くない。ヘラヘラ笑うことで痛みをごまかしながら語ったり、追体験するように自分を傷つける行動に出たり、何年も、何十年も同じ記憶と戦い続けることがある。

こういった傾向を、相談に乗る側である教師や相談に乗るプロは、知らなくてはならない。だが、そのトレーニングは現状、学校にも媒体にも届いていないように思う。

今後、類似の被害を防いでいくために、そしてさらに多くの人を支援するために、私たちができることは「深く傷ついた人が取る行動のリアル」を知ることだろう。それはあなたにとって、理想的な被害者ではないかもしれない。だが、そこに泣いている人がいるのは、事実なのだから。

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