大谷翔平の活躍に門田博光は「ワシの頭では理解できん。スーパーマンや」

大谷翔平の活躍に門田博光は「ワシの頭では理解できん。スーパーマンや」

  • Sportiva
  • 更新日:2021/10/14

ホームランに憑かれた男~孤高の奇才・門田博光伝
第9回

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9月も後半に入ったある日の午後。外を歩いていると、電話がかかってきた。スマートフォンの表示には「門田博光」。定期的に話を聞くようになって10年以上経つが、いまだに思いがけないタイミングでの連絡には一瞬にして緊張が走る。

いい知らせか、悪い知らせか、難しい話か......頭をめぐらせながら電話に出ると、少し疲れた感じの声が聞こえてきた。

「45本目、出たな。この間、あんたにあんなこと言うたから、謝っとかなあかんと思うてな。これはその電話や」

悪い知らせでも、難しい話でもなく、ひとまずホッとしながら、この電話でエンゼルスの大谷翔平が久しぶりのホームランを打ったことを知った。同時に、思いがけない電話の意味も理解した。

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現役時代、歴代3位の567本塁打を放った門田博光(写真中央)

この1週間前に門田と話す機会があった。その時はこちらから電話をかけ、用件が終わったところで大谷の話になった。

本塁打王争いでブラディミール・ゲレーロJr.に単独トップの座を奪われた翌日だった。シーズン終盤にタイトルを争う心境や、ペースダウンの状況をどう見ているのか。興味があり聞いてみると、「最近の彼は周りを見始めてしまっているんやないか」と、門田らしい目に見えない部分の変化を挙げてきた。

「それまではひたすら自分のペースで、ピッチャーをやって、ホームランも打って、盗塁もして......ファンやマスコミがそんな姿を『グレイト! グレイト!』と絶賛して、すべてが大谷のペースで進んでいた。その頃は、ゲレーロJr.やほかのバッターのことなんか頭に浮かぶこともなかったはずや。

それが今はゲレーロに抜かれて、(サルバドール・)ペレスも追ってきて、残り20試合を切って、周りも騒がしくなってきた。ずっと自分を見て戦ってきた男が、ふと周りを見るようになってしまっているんやないか。周りに目が向くようになると、そこからペースが崩れてスイングだけに集中できなくなる。ここが一番の敵になってくるんや」

門田にも同様の経験がある。周りの動きにペースを乱されたシーズンとして、もっとも記憶に残っているのが1988年だ。

「トリプルキング(三冠王)も狙える位置におった夏場に、南海の身売りの話が出るようになって、そこからマスコミがどこへ行くにもついてくるようになってな。今みたいに品のいい記者ばかりじゃない時代や。そこからいつもどおりの野球ができんようになって、ペースをガタガタにされたんや」

門田はなによりも集中力を大切にする打者だった。とくにアキレス腱を断裂してからは「鳥肌が立つほどの極限の集中力」で打席に立ち、1試合に1球あるかの失投をスタンドへ打ち込むべく、神経を研ぎすました。

「30本と40本を打つヤツの差は、難しいボールをどれだけ打てるかという技術の差やない。打てるボールをどれだけミスショットせずに打てるかという集中力の差や」

打てる球を打ち損じないため、集中力を削ぐような行動は徹底して遠ざけた。DHになって以降、試合で自軍が守りの時はベンチに座らなかった。一度でも気持ちを緩めると、再び集中するのが難しいと知ったからだ。オールスターのホームラン競争への出場を断ったことがあったのだが、その時も「遊びのスイング」をして形が崩れること、集中力が途切れることを嫌ったからだ。

ゲレーロJr.を追う立場となった大谷の終盤戦について展望を向けると、門田は少し声を落として言った。

「ひょっとすると、ここからシーズン終了まで1本も出んかもしれんな」

その時点でエンゼルスはまだ18試合を残していたが、門田の予言めいた言葉には重みがあった。その時は「みんなが応援している時に、これは書かんといてや」というひと言もついてきたが、そんなやりとりを受けての45号直後の電話だった。

話題はそこから露骨になってきた四球攻めへとつながった。

「とくに敬遠が堪えるんや。極限まで集中力を高めて打席に入ったら、フワーッとした球を4つ見せられて歩かされる。その4球を投げられている間、集中力を切らさんように立っとくことがどれだけ大変なことか。今はボールも投げんと歩かされる、なんとかというあれもバッターにとってはたまらんやろうけど。『さぁ、勝負や!』と打席に入ろうとしたら、『どうぞ一塁に歩いてください』って。オレやったらそれだけでガタガタになってしまうわ」

「なんとかというあれ」とは、申告敬遠のことだ。ちなみに、門田は23年の現役生活のうちシーズン最多敬遠は7回あり、20個を超えた年も4度あった(最多は1987年の24個)。集中力を大切にするがゆえ、敬遠された時の苦しさも深く味わってきた。

「歩かされることが増えるなかでひとつ気をつけなあかんのは、自分で自分の打席を読み始めたらあかんということ。『絶対打ってやる』と思って打席に入ったのに歩かされた時、逆に『ここは歩かされるな』と思ったのに勝負された時......それだけで気持ちが狂わされ、次の打席でも戻らないようになる。だから、自分で勝手に決めつけないと、そこは常に思って打席に入っとった」

8月末のある試合で、大谷が7点リードの3回、二死二、三塁の場面で申告敬遠され、ニュースになったことがあった。その話を向けると、門田はこう返してきた。

「切り替えたらええと思うやろ? でもな、プロのレベルでやっている勝負はそんな簡単なものやないんや。わずかなことで狂いが生じてくるんや」

45号を打った時点で残り11試合。最終盤の展望を尋ねると門田は言った。

「いつも言うでしょ? バッターは1球で不調になることもあるし、1球で調子が戻ることもあるって。まして、彼は1週間で6本打った男やからね。ここで1本出ることで、どうなっていくか......。周りを見ずに、ひたすら自分のスイングだけに集中して、1試合にあるかどうかの1球をとらえられるか。ここの勝負や」

しかし、その後も大谷のペースは上がらなかった。4試合で13四球のメジャータイ記録を記録するなど、四球攻めが続いた。

この報道に触れた時、閑古鳥が泣くグラウンドで人知れず一塁へ歩き続けた門田の姿が浮かんできた。今のようにニュースになって騒がれることもない時代、ひたすら感情を押し殺し、四球を受け入れるしかなかったのだろう。

10月4日(日本時間)のチーム最終戦で大谷は46号を放ち、日本人選手では松井秀喜以来となる100打点に到達。ゲレーロJr.とペレスが48本で分け合った本塁打王には届かなかったが、もはや賞賛の言葉も浮かばないほどの活躍でシーズンを終えた。

「アメリカでピッチャーをやりながら(ホームラン)キングを争うって、ワシの頭では理解できん。ほんまにスーパーマンや」

天才、怪物、異端児......現役時代、さまざまな称号を与えられるたびに「見えんところでどれだけ努力しているのかも知らんと簡単に言わんといてくれ」と、心のなかでぼやいていた男が「スーパーマン」と表現するしかないところに、大谷の途方もない異次元さが伝わってきた。

最終戦を終え、インタビューに答える映像を見ていると、後ろから門田の声が重なって聞こえてくる気がした。

「ワシは明日から何を見たらええんや」

大谷がベースボールの歴史に挑んだシーズンが終わった時、孤高のレジェンド・門田を待ち受けているのは刺激のない退屈な時間なのだろう。

谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

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