ベテラン記者コラム 勇退の下北沢成徳高・小川良樹監督、日本女子バレー界に残した大きな功績

ベテラン記者コラム 勇退の下北沢成徳高・小川良樹監督、日本女子バレー界に残した大きな功績

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  • 更新日:2022/11/25

高校バレーの名将が指導の第一線を去った。東京・下北沢成徳高監督として、2012年ロンドン五輪銅メダルの木村沙織や荒木絵里香らを育てた小川良樹氏(67)だ。

同校は11月13日、全日本高校選手権(春の高校バレー)の東京都予選で4位となり、来年1月の本大会出場(東京は3位まで)を逃した。今年度限りで勇退する小川氏にとって、共栄学園との3位決定戦が監督として最後の試合となったが、敗退後は穏やかな表情で自身の信条を振り返った。

「試合後に選手を叱り飛ばすのではなく、選手をリスペクトして、(選手が)バレーを好きになって勝利につなげられるように、と。それはしっかり思っていますね」

バレー、特に女子では選手に罵詈(ばり)雑言を浴びせたり、体罰をしたりする「厳しい指導」が長年、当たり前のように行われてきた。1981年に早大を卒業し、同校(当時は成徳学園)監督となった小川氏も当初はそうした指導法だったという。だが結果が出ない中、選手の自主性を尊重する指導に変えた。

「自分たちで課題を見つけ、考えるようにさせています。対応できないときは『こうした方がいいのでは』と声掛けしますが、あんまりいうと先生の指示を待つようになりますからね」

同校は荒木や2004年アテネ五輪代表となる大山加奈を擁した02年3月の選抜大会(旧春高バレー)で初の全国制覇。同年の高校総体、国体も制して3冠を獲得し、全国優勝の常連となった。

私が氏と親しく話すようになったのは、後に日本代表に選ばれる落合真理の在学時だから1990年代の後半だったか。すでに選手に手をあげない〝珍しい〟指導者として知られていた。

ここ十数年で主流となりつつある、自主性を尊重する指導の先駆者的存在だが「そういう気持ちは全然ないですね。まず自分がちゃんとしよう、普段話していることと違う姿を生徒には見せられないと(やってきた)。指導者はこうあるべきという、おこがましい気持ちはない」

目の前の試合の結果を優先した「やらせる」指導者は、今でも多い。小川氏は対極的で、常に結果を求められる立ち位置となっても先を見据え、高校の3年間が卒業後の人生にもたらす意味や価値を第一に考えてきた。

「将来、日の丸を着ける選手にとって高校時代は通過点。卒業後にどう力をつけてくれるかを考えてきた」。速いコンビバレーが主流となる中、高く上げたトスを力強く打ち切ることを重視。専門のトレーナーによる筋力強化も取り入れた。いずれも、将来に生きるという考えからだ。

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試合に負け、顔を覆う下北沢成徳の古川愛梨(2・手前右)ら

そこから育った典型例が木村沙織だ。高校時代のポジションはMB(センター)。一般的には短く速いトスを打つ速攻が主な役割だ。だが大きいトスをしっかり打てという小川氏の指導は後に、日本のエースとして五輪銅メダル獲得の原動力となって花開いた。

同様の指導で成長したのが東京五輪代表の黒後愛や石川真佑(ともに東レ)。そして最後の教え子となった古川愛梨(3年)の成長ぶりは、日本バレー界への置き土産のように感じられる。成徳高入学後に一から鍛えられてきた184センチの逸材は、今夏の総体後にMBからOH(レフト)に転向。かつての木村さんのように日本のエースへの道を歩み始めている。

「本大会のセンターコートをOHで体験できれば、いい経験になったと思いますが…。(都予選の)こういう試合をしたことが、日の丸を着けたときに生きるのでは。この先、どう成長するか楽しみです」と小川氏。

今後は伊藤崇博新監督に後を託し、当面は支援する立場になる。「どうすれば伊藤先生の迷惑にならず、どうすれば選手に少し安心を与えられるか。(監督でないのは)新しい経験。うまくできたら」。報道陣に囲まれ質問に答える様子は〝最後の授業〟のようで、言葉の一つ一つが金言に感じられた。(只木信昭)

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