そもそも「ブラック」なんて存在するのか? 接触と分裂のアメリカ音楽から考える

そもそも「ブラック」なんて存在するのか? 接触と分裂のアメリカ音楽から考える

  • Forbes JAPAN
  • 更新日:2020/08/02
No image

「ブラックっていう切り出し方がもうすでに問題含みなんですよ。黒人って何?っていう」

アメリカでの近年のブラックミュージックの立ち位置について聞いたときだった。アメリカ文学、文化、ポピュラー音楽研究者であり、東京大学名誉教授の佐藤良明は冒頭のように語り始めた。たしかにそうだ。肌の色が黒い人が黒人、白い人は白人、比較的黄色い人は黄色人、ではアフリカ系と言われる先祖をもち、世代を経て白っぽい肌をもつようになった人は、何と言えば良いのだろう──。

音楽にも同じことが言える。アメリカ音楽はアメリカに生きる多種多様なバックグラウンドをもつ人々にもまれながら根付いている。黒人/白人というようにさまざまな「人種」という区分を背負った人々だ。そんな一様には語れないバックグラウンドが合わさって形成される環境において、ブラックミュージックとは何だろうか。いま一度ブラックミュージックを通してアメリカに続く分断について考えてみたい。

No image

接触と分裂のアメリカ音楽

黒人たちによるリズム&ブルースの「黒いサウンド」が、人種の枠を超えて徐々に受け入れられるようになったのは1950年代、ロックンロール世代の出現からだ。

「バッドなものがかっこよくて消費されるようになったんですね。消費力も購買力もある若者が力をもち、時代が大きく変わっていた。若者を理解しない大人たちがフランク・シナトラみたいな音楽を聞いていたらそれとは逆の歌を歌おうみたいな。そうすると黒人が模範になるわけですよ」

加えて、反西洋近代主義を掲げる一部のボヘミアンな白人の若者たちがその最たるものとして黒人文化にのめり込むようになり、ユースの音楽は体制への抗議のスピリットを表すものとなっていった。カウンターカルチャーの誕生だ。

「キングオブ・ロックンロール」と称されるエルヴィス・プレスリーはその歌い方、身体の動き、彼のパフォーマンスのひとつひとつで黒人のように振る舞い、それまでにあった黒人と白人の音楽間の「分断」を超えてみせたと言われる。60年代に入ると公民権運動がいよいよ盛り上がり、「白黒の融合」というリベラルな動きがはっきりと国の目標として掲げられ、白人と黒人の接触は強まる。そして黒人たちのソウル・ミュージックが白人市場に広まっていく。

エルヴィス・プレスリー「Jailhouse Rock」 彼のパフォーマンスはアメリカを熱狂させた。

しかし68年にキング牧師が殺害され、公民権運動が一気に落ち込むと、黒人たちは「自分たちのポップス」への志向を強めるようになる。ジェームス・ブラウンも民族色の強いファンクな音楽に向かうようになり、黒人同士に向けて発信されていくようになるのだ。

注目したいのは、彼らの音楽は元来彼らのコミュニティ内で楽しむものとしての性格が強かったということだ。教会で歌われるゴスペルは、いつの日か解放される時の喜びを夢見て高まる感情を表現した音楽であり、酒場で歌われるブルースは希望のない日常をむき出しの言葉で表現するものだった。

しばしばブラックミュージックは黒人という差別を受け続ける人々の、抑圧された声を代弁するメロディーとして捉えられる。音楽は外の世界、すなわち白人社会へのプロテストの意を表するものである、と。しかし彼らは彼らの音楽を自分たち自身で楽しみ、鼓舞するために奏でていたのであり、外のコミュニティへ向けてプロテストしたり、悲痛を訴えるようなものではなかったのだ。

アメリカで出世したい。でも白人のようには生きたくない。

彼らにとっての「自分たちの音楽」とは、コミュニティ性が強いことからも、「白人のようには生きたくない」といったキーワードで表すことができよう。

アメリカで生きていく限り、今もなお根強く残る白人中心主義の規範に従わなくてはならない。しかしながら自分たちの言葉のアクセントを変えないように、黒人文化の中で生きることを大切にし、決して白人社会に迎合することはなく、少なくともそうするつもりはないのだ。佐藤はこう解説を続ける。

「黒人は白人のように生きたくないわけです。その結果として、バックビートというような白人音楽の流れるようなリズム感に反したものが起こるんですよ。あるいは拍をくうような喋り方からもそうですよね。それがブラックのスタイルになっていって、それを今度は逆に白人の若者がかっこいいと思って取り入れる。それがポップカルチャーをつくっていて、20世紀のポップミュージックは、ほぼ黒人たちから新しい動きが起こってきましたね」

ジェームス・ブラウンの「Say It Loud – Im Black and Im Proud」は1968年に発表された。今年5月からのBLM運動の流れを受けて、ストリーミングサービスでの再生回数が急増しているという。

ブラック/ホワイトは誰にでも分かりやすいラベルだった

カントリーとフォーク、ヒップホップとブルースというように、アメリカの音楽には白人色、黒人色が強い音楽が存在するように思える。しかし佐藤は「すぐに混じり合う」という特性をもつ庶民の音楽において、元より白黒の明確な区分をもって生まれた音楽などなかったと指摘する。

ジャンルにおける人種間の分裂が起こる背景には、レコードやラジオの時代に入って音楽を簡単に選択できるようになったことが大きく影響している。ブラック/ホワイトの明確な線引きがないままいわば土着的に歌われていたものは、大衆に向けて発信される際に人種の間で区分がされるようになる。

「カントリーとブルースに同じソースから分かれたのはレコード市場ができたから。つまり黒人は俺たちの(黒人の)レコードしか買わないわけです。1920年代に黒人の歌ったブルースのレコードが随分と売れたんです。購買層は黒人たちでした。それに味をしめたレコード会社が南部の田舎に住む白人向けのレコードも出してみよう、と生まれたのがカントリーの市場。 黒人と白人が同じところに住んで接すると、それぞれが『自分たちの印』を音楽にも求めるので、ジャンルが分かれます。音楽が分裂するという現象が起きるんですね。分裂しながらまた接触するところに、刺激と緊張が生まれて盛り上がります」

音楽に限らず、商品化して大衆に提供する際には、ある種のラベリングを施して、その内容を明らかにすることが必要なのだ。そのラベルによって、商品が届く層は変化する。白人と黒人は誰の目にもわかりやすい、かっこうのラベルの一つだった。

「いまの大衆社会では知識とは逆向きに、一発で気分で理解できる言説だけが売れていくんですよね。ラップも最初はコミュニティに集まった少年たちがお互い好きに言い合っている感覚のもので、それをこれは商売になると思ったレコード会社が、彼らの厳しい現実の暮らしだとかを歌詞に載せたらいいんじゃないかと仕掛けていった。そしたらみんながわかりやすいって言ってそれに飛びついていったという経緯があります」

単純な型に物事を当てはめ理解しようとする姿勢を佐藤は「幼児化した感情」と表現し、過度の「わかりやすさ」を求める現代のあり方に危機感を抱く。

「今回のBlack Lives Matterに関しても注視しています。アメリカがいよいよ崩れてきて、ざわざわしています。銅像の引き倒しなどにも表れているように、分断された社会のなかでごく単純な敵意が剥き出されているような。つまりみんな幼児化した感情の中へ投げ込まれているんです。90年代にアメリカのテレビ番組を見ていて、その低俗さの質が別次元になってきたように感じたことがあります。気色悪い人を壇上に上げてしゃべらせて、それをフロアの人が罵倒するという番組が視聴率を上げていく。嫌なやつをターゲットにして攻撃することで、大衆の人気を得るという幼児的なやり方です。多くの人は心の幼い部分を抱えているから、そこに訴えかけると力になるんですね。このような幼児的な手法はその後さらに洗練されていって、悲しいことに、大統領選でも使われるようになっています」

今回のBlack Lives Matter運動は、コロナ禍の不安やトランプ政権下での不満が表出し、大きなうねりとなったとも言われている。佐藤の言う「幼児化」について、現代の分断社会を紐解く鍵となるかもしれない。そう思い、もう少し尋ねてみた。

No image

多くの音楽やミュージシャンがテネシー州メンフィスから輩出された。(Getty Images)

「例えばどういう映画がウケるかを考えると、その瞬間の反応でザクッ、バサッとくるような映像が釘付けにするわけですよ。アメリカはフリービジネスの国です。大衆の欲望に合致したコンテンツはもてはやされる。そこでウケる映像や音楽がだんだん刺激に依存していく。その場合の刺激は人間の精神のありようを変えていく。つまり動物的に怖かったり、ヒヤヒヤする状態に閉じ込めている方が集客力が大きいという発見がある。昔の映画を見ていると、テンポが遅くて、辛抱を強いられるでしょう? 現代のような、身体と直感に訴えかける情報過多の時代に、5秒で処理できないものはウケないですよね」

わかりやすさに依存する社会は人間の思考を奪い、そして「分断」が起こりつつある局面にももはや気づくことすらできなくなるのかもしれない。

冒頭の佐藤の問いに戻ろう。

「ブラックっていう切り出し方がもうすでに問題含みなんですよ。黒人って何? っていう」

「Amazing Grace」は黒人の賛歌ではなくイギリス人牧師が書いた歌だ。「白人による白人のための音楽」とも言われるカントリーミュージックはイギリスやアイルランドの民謡と、南部に暮らしていたアフリカ系の人々の音楽伝統が混じり合って生まれた音楽だ。元来「黒い音楽」と元来「白い音楽」があるわけではなく、庶民の音楽は混じり合い、互いに影響を与え合いながら生まれていく。そもそも脚色され、さまざまな要素が混在する社会において本質的に「黒い」人間や「ブラックな」音楽なんて存在するのだろうか。

「音楽が皮膚の色で規定されなくなったのは、進歩ではありますよね。ホイットニー・ヒューストンとセリーヌ・ディオンとどちらが黒いか白いかなんて気にとめる人もいないでしょう。そもそも人種で音楽は語れないんですよ」

ブラックとは何だろう? 分断が表出しやすい時代だからこそ、誰がどうやって生み出した区分なのか、いま一度冷静に考えたい。

この記事をお届けした
グノシーの最新ニュース情報を、

でも最新ニュース情報をお届けしています。

外部リンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加