まさか八百長?平安時代、源頼政が退治した怪物・鵺(ぬえ)の正体とは

まさか八百長?平安時代、源頼政が退治した怪物・鵺(ぬえ)の正体とは

  • Japaaan
  • 更新日:2021/06/10
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猿の顔に狸の胴体、手足は虎で尻尾は蛇……中世日本のモンスター・鵺(ぬえ。鵼、恠鳥、奴延鳥など)。

『平家物語』や『源平盛衰記』など様々な文献に登場し、夜な夜な不気味な声(※)で啼いては人々を脅かしたと言います。

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鵺。あまり鳥には見えないけど……Wikipediaより。

そんな鵺の正体はトラツグミと考えられており、夜間「ヒィー、ヒィー」「ヒョー、ヒョー」などと啼く様子は、確かに薄気味悪いですね。

今回は、この鵺を退治した源頼政(みなもとの よりまさ)にまつわるエピソードを紹介したいと思います。

清涼殿に怪鳥あらわる

時は平安、第76代・近衛天皇の御代、仁平(西暦1151~1154年)ごろのこと。天皇陛下のお住まいである清涼殿(せいりょうでん)に、突如黒煙が湧き起こって鵺が出現。何か笑っているような、あるいは苦しみ喘いでいるような啼き声が辺りに響きわたります。

清涼殿に現れ、近衛天皇を悩ませた鵺。Wikipediaより。

「何とも奇怪な……これは朕の政治に、過ちがあるという報せなのか、それとも天変地異の凶兆か……?」

近衛天皇は思い当たる限りの改善を試みましたが、鵺の啼き声がやむことはなく、あまりに毎晩続いたため、気に病んだ近衛天皇は体調を崩されてしまいました。

「このままでは帝が心配だ……何か、良い手はないものか?」

祈祷をさせても薬師を呼んでも効き目がなく、困り果てた朝臣らは、かつて似たような事例があったことを思い出します。

「そうだ。寛治(西暦1087~1094年)のころ、堀河天皇(第73代)が鵺に悩まされた折、武士に弓弦を鳴らせしめて魔物を追い払った(※)と言うではないか。此度もそれが有効であろう」

(※)弓に矢をつがえず射放ち、弦が空を切る音が魔除けになると信じられました。鳴弦(めいげん)または弦打(つるうち)とも言います。

そこでさっそく当代随一の名手であった源頼政が呼び出され、清涼殿の警護をすることになりました。

「得体の知れぬ物怪(もののけ)を退治するなど及びもつきませぬが、陛下のお召しとあらば最善を尽くさぬ訳には参りませぬ」

郎党の猪早太(いの はやた)と共に時を待つ頼政の前に、やがて黒煙と共に鵺が出現します。

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鵺を射る頼政。Wikipediaより。

「南無八幡大菩薩、我が生死は度外のこと、願わくは帝を安んぜんがため、この矢を射当てさせ給え……!」

頼政は満月の如くギリギリ弓を引き絞り、矢をびょうと射放った次の瞬間、ドスとの音と共に、鵺の身体へ矢の突き立ったのが見えました。

「得たりや、応!」

矢が当たったことを周囲に示して味方の士気を高め、敵の士気をくじく頼政の矢叫び(やたけび)が上げられ、続いて脇差を抜き放った猪早太が、屋根より転げ落ちてきた鵺にトドメを刺します。

「おぉ、これは……!」

仕留められた鵺の姿を見て、一同は驚愕。鵺が死んでその術が解けたのか、辺りに立ち込めていた黒煙はすっかり消えて、清らかな雲間からホトトギスの声が響きました。

「見事みごと……」

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鵺を仕留めた猪早太。Wikipediaより。

近くにいた左大臣の藤原頼長(ふじわらの よりなが)が、頼政に和歌を贈ります。

郭公(ホトトギス) 名をも雲居に あぐるかな

【意訳】雲間に啼くホトトギスの声は、そなたが名を上げたことを讃えておるぞ。

これに対して頼政は、即興で下の句を添えました。

弓はり月の ゐるにまかせて

【意訳】いえ、私はただ弓を張ったように丸い月を目当てに射ただけですから、大したことではありません。

「ゐる」という言葉を、矢を「射る」のと月が西へ「入る」のとかけた機転に喜んだ近衛天皇は、頼政に獅子王という太刀を褒美に与えます。

弓の腕前だけでなく、当意即妙の歌才まで備えている……そんな文武両道の頼政は大いに名を上げ、その後出世して源三位(げんざんみ)と呼ばれるまでに昇進したのでした。

めでたし、めでたし。

頼政に手柄を立てさせたくて……?

……なのですが、この鵺退治が実は八百長だった?可能性を伝える逸話が残っています。

伝承によると頼政の母である藤原友実女(ふじわらの ともざねのむすめ)が、どうにか息子を立身出世させたいと懸命に祈願していたところ、神の思し召しなのか鵺の姿に変えられてしまいました。

おとぎ話であれば、多分「欲を出したから、醜い怪物にされてしまったのだ」とオチがつきそうなものですが、母はこれを「悪さをして息子に倒させ、手柄を立てさせてやれ」と前向き?に解釈。

怪物相応の能力も使えるようなので、善は急げ?とさっそく清涼殿へ飛んでいって悪さを働いたのです。

畏れ多くも近衛天皇に怨みなんてないけれど、これも息子が立身出世を果たすため……かくして頼政に倒された母ですが、実は死んでおらず(※)、故郷の伊予国浮穴郡(現:愛媛県久万高原町)に帰りました。

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息子・頼政の出世に母も満足?(イメージ)

(※)遺骸は舟に乗せて海へ流されたそうですが、その流れ着いたという先々(バラバラに流した?)で鵺伝承が残っています。

そして赤蔵ヶ池(あかぞがいけ)に棲む大蛇「池大明神(いけのだいみょうじん)」として末永く祀られたということです。大蛇ということは、きっと鵺は尻尾の蛇部分が「本体」だったのかも知れませんね。

逆にこの赤蔵ヶ池は元々妖怪が棲んでおり、それを頼政が退治したという伝承もあるそうで、そのエピソードが頼政の母=鵺伝承に変化した可能性も考えられます。

いくら息子のためとは言え、自分自身が化け物になって倒されてやるという考えはちょっと理解しがたいものですが、史実性はともかく親心の篤さを感じられるエピソードですね。

※参考文献:
西川照子『京都異界紀行』講談社現代新書、2019年9月
村上健司『京都妖怪紀行—地図でめぐる不思議・伝説地案内』角川書店、2007年8月

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