20世紀最大の哲学書、ハイデガー『存在と時間』を今読み解く意義とは?

20世紀最大の哲学書、ハイデガー『存在と時間』を今読み解く意義とは?

  • 日刊SPA!
  • 更新日:2023/09/19

日本では“周囲の目”を過度に気にする「同調圧力」がはびこっており、社会の障害となっている。現代日本に問題視されている同調圧力に疑問を投げかけていたのが、1889年生まれのドイツの哲学者、マルティン・ハイデガーだ。ハイデガーは、「20世紀最大の哲学書」とも称される『存在と時間』などの著者で知られる人物だ。

現代日本において、ハイデガーの『存在と時間』が改めて注目されている。ハイデガーとはどんな人物で、『存在と時間』はどんな内容なのか。NHKの人気番組から誕生した『まんが! 100分de名著 ハイデガー 存在と時間』(監修:戸谷洋志、NHK「100分de名著」制作班、マンガ:佐々木昭后)の監修を行った戸谷洋志に話を聞いた。

◆人はなぜ周囲に同調してしまうのか?

「一言で表現すれば、この本の最大のテーマは『人間はどのように存在しているのか』ということです。それは、過去、多くの哲学者たちが頭を悩ませてきた、もっとも根源的な問いに他なりません。彼はそれを明らかにするために、日常生活のなかで生きる人間の姿に注目します。私たちのごくごく平凡な、ありのままの姿から人間の存在を解明すること──それがハイデガーのアプローチでした。

しかし、そこで彼が描き出すのは、意外なほどネガティブな人間の姿です。日常生活において、人間は自分の本来の生き方を見失い、空気を読んで、『みんな』に同調している。そこでは誰もが無責任であり、自分が何者であるのかを忘れている──。彼はそう洞察しました」(戸谷洋志氏、以下同)

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では、そのような状態から脱出し、自分自身の生き方を取り戻すためには何が必要なのか。それが、『存在と時間』の核心部分の議論となる。

「たとえばSNSの普及によって、私たちは世間の動向からより直接的に影響を受けるようになりました。気がついたらいつでもスマホを眺めている現代人は、ハイデガーの生きた時代よりも、はるかに『みんな』の声に飲み込まれているはずです。もちろん、それが私たちに有益な情報を届けてくれることもありますが、ヘイトスピーチによって人々を分断したり、政治家による煽動に利用されたり、場合によっては戦争のために使われることもあります。また生徒たちの間では、SNSを使ったいじめが行われるようになり、学校に行けなくなってしまう子どもたちも増えています。

何よりも恐ろしいのは、そうした環境のなかで、私たちが知らず知らずのうちに誰かを傷つけてしまうかも知れない、ということです。

『みんなこうしているんだから仕方ないんだ』『今はこうするのが当たり前なんだ』──そうした、世間からの同調圧力に飲み込まれ、いつの間にか加害者になり、そのことに気づくことさえできなくなっている。現代社会は、過去のどんな時代よりもそうした危険性に直面しているのではないでしょうか」

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◆ハイデガーとはどんな人物か?

ハイデガーは、1889年にドイツ南部のメスキルヒという街で生まれた。20歳で名門フライブルク大学神学部に入学。当初はキリスト教神学を専攻していたが、そののちに哲学へと転向した。

「若かりし日々のハイデガーを苦しめていたのは、お金の問題でした。家がそれほど裕福ではなく、教会からの奨学金を得た彼は、学生寮でつつましい生活を送りながら、勉学に励むことになります。周りの学生たちが街へ繰り出し、学校では自慢ばかりしている姿を、もしかしたら苦い気持ちで眺めていたのかもしれません。

研究者の道を志したハイデガーは、当時の最先端の哲学者、フッサールに魅了されます。フッサールは『現象学』と呼ばれる新しい哲学の分野を開拓し、学界から大きな注目を集めていました。1919年、フッサールの助手に着任したハイデガーは、現象学の研究に本格的に取り組むようになります。1923年、マールブルク大学の員外教授に着任した彼は、ここでおよそ5年間にわたって教鞭を執ることになります。1927年、ハイデガーは主著となる『存在と時間』を公刊します。公刊当時から学界に大きな反響を巻き起こしました」

しかし、哲学書としては、実はかなり普通ではない書かれ方をしたという。

「まず、この本は極めて短い期間に書かれています。非常に分厚い本ですが、原稿がすべて揃うのを待つことなく、書けたところから順次印刷していく、という無茶苦茶なスケジュールで制作されました。というのも、ハイデガーは大学で教授に昇進するために、とにかく本を一冊出す必要があったからであり、それが執筆の動機の一つだったと言われています。

そのうえ、この本は完結していません。当初、『存在と時間』は全2巻になる予定でしたが、とりあえず最初の巻だけ先に公刊し、あとで第2巻が公刊されることになっていました。しかし、結果的に第2巻が公刊されることはなく、第1巻だけが今日の『存在と時間』として扱われています。つまりこの本は、もともと予定されていたうちの、半分の内容しかないということです」

しかし、こうした特殊な事情は、むしろ『存在と時間』の凄すさまじさを裏付けるものとなった。

「なぜなら、超特急で書かれ、しかも未完で終わっているにもかかわらず、現代における最大の哲学書として評価されているからです。そうした哲学書は、哲学史の全体を眺めてみても、『存在と時間』をおいてほかにないかもしれません」

◆自分自身の本来の生き方を取り戻すために必要なヒント

この本によって一躍哲学の世界の表舞台に立ったハイデガーだったが、その後の彼を待ち受けていたのは、波乱に満ちた生涯だった。

「1929年に世界恐慌が起こり、ドイツ経済は破綻していきます。そのさなかで、国民の不安を糧に台頭してきたのが、アドルフ・ヒトラー率いるナチ党(ナチス)でした。1933年、ナチ党が政権を掌握すると、ハイデガーはフライブルク大学の学長に就任し、なんとナチ党の党員になります。そして、あろうことか、学長就任演説ではナチスを擁護する発言をしてしまうのです。その姿は、同時代の多くの哲学者たちに、特に彼から指導を受けた優秀な弟子たちに、大きなショックを与えました。

1945年、第二次世界大戦が終結すると、ハイデガーはナチスに加担していた責任を問われ、学界から追放されてしまいます。そうして彼は、哲学の表舞台から退場することを余儀なくされたのです」

なぜ、私たちは世間に同調してしまうのか。なぜ、私たちは無責任になってしまうのか。そして、そのような状態から脱出し、自分自身の生き方を取り戻すためには何が必要か。

世間からの同調圧力に呑み込まれ、自分を見失ってしまう人。世間からの同調圧力に飲み込まれ、SNSでいつの間にか加害者になっている人が多い現代。そうならない生き方を見つけるためにも、そのヒントをハイデガーの『存在と時間』における人間の分析から学ぶことができるかもしれない。

<構成/日刊SPA!編集部 マンガ・イラスト/佐々木昭后>

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