殿堂入りの山本昌氏 引退時に闘将・星野氏から “最初で最後” のほめ言葉「涙で声にならなくて」

殿堂入りの山本昌氏 引退時に闘将・星野氏から “最初で最後” のほめ言葉「涙で声にならなくて」

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  • 更新日:2022/01/15
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星野仙一さんのレリーフと記念撮影する山本昌(代表撮影)

レジェンド左腕がまた1つ、球史に名を刻んだ。公益財団法人「野球殿堂博物館」は14日、東京都内で「2022年野球殿堂入り通知式」を開催し、本年度の野球殿堂入りを発表。競技者表彰委員会のプレーヤー表彰ではドラゴンズ一筋で通算219勝を飾った元中日・山本昌氏(56)が資格2年目での殿堂入りを果たした。NPB史上最年長登板記録、最年長勝利、歴代1位タイとなる実働年数29年など、現役時代に数々の金字塔を打ち立てた伝説左腕が栄誉をつかんだ。

スピーチの中では一番最初にドジャースでオーナー補佐を務めた故アイク生原氏(本名・生原昭宏氏)の名を挙げた。

「特に5年目に、この殿堂にも入っていらっしゃいますけども、アイク生原さんと出会ったことが本当に私を大きく変えていただいたと思います。私が1勝するだけで大変喜んでいただいたアイクさんだったので、もし、このような殿堂に入らせていただくという報告ができたら、どれだけ喜んでいただけたかなというふうに、ほんとうに残念に思います」。

プロ5年目の1988年に中日が業務提携を結んでいたドジャースの傘下チームでの米野球留学を伝えられ、現地でアイク氏と出会い、約半年間の〝修行〟を積んだ。1Aで13勝をマークするなど急成長を遂げ、メジャー昇格も検討されるまでになったが、山本氏は当時について「今と違って野球留学はかっこいいものではなく実は当初、相当落ち込んでいた。野球を辞めて帰ろうかと思った時もあったが、アイクさんが一生懸命教えてくれて、そんな自分が恥ずかしくなった」と述懐。「嫌で嫌で仕方がなかったが、これ(野球留学)がなければ今の自分はない」と語気を強めて胸を張った。

中日監督を務めた歴代の故星野仙一氏、故高木守道氏、山田久志氏、落合博満氏にも謝意を示した。特に88年の野球留学を命じた当時の指揮官であり、後にも長きに渡って監督とエースの間柄だった星野氏との思い出については「現役時代はほめられたことがないんですよね。現役時代、2回監督をされて全期間教えていただいている。相当厳しかった。だけど、叱られていつもホッとしていたのが、星野さんだった。叱る選手は使ってくれるというところがあったので。いつも叱られては、今日も叱られたなという気持ちがあったような気がします。若い頃に直接『俺は怒るけれど使うぞ』と言ってもらったことがあったからです」と振り返った。

だが、50歳で現役を引退した2015年のラストイヤーに、闘将から〝最初で最後のほめ言葉〟をもらった。山本氏は「100勝、150勝、星野さんの勝ち星を抜いた時、200勝の時もお話ししましたが、それでもほめてもらえなかったです。でも、辞める時だけ、電話ですごくほめてくれたんですね。私のほうが涙で声にならなくて、星野さんがずっと一方的に話して『ありがとう』と。そこが初めてだったんじゃないかなと思います」と述べ、恩師との間に知られざる感動的な秘話があったことを明かした。

星野氏からは「お前はここまで野球に世話になったから、最後まで野球に貢献しなさい」との金言も授かったという。将来的な指導者就任に関しても「声がかかれば喜んでする。恩返しが大事だと思うので」と力強く語り、今後の野球人生にあらためて強い意欲をみなぎらせていた。

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