ハリウッド女優・忽那汐里が語る母への思い「アジア人差別、アイデンティティークライシスも...」

ハリウッド女優・忽那汐里が語る母への思い「アジア人差別、アイデンティティークライシスも...」

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  • 更新日:2021/09/16
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「母は一番に褒めてもらいたい存在」と話した忽那さん(撮影/写真部・東川哲也)

2007年にドラマ『3年B組金八先生』で女優としてデビューし、数々の話題作に出演している女優の忽那汐里さん(28)。近年は活動の場を海外へ広げ、18年には映画『デッドプール2』で本格的なハリウッドデビューを果たした。グローバルな活躍を続ける忽那さんに、女優としての覚悟、家族への思い、今後の「野望」などを聞いた。

【動画】「母は一番に褒めてもらいたい存在」忽那汐里のインタビュー動画はこちら

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――オーストラリアで生まれ、14歳で日本に移住しました。日本語はどこで勉強したんですか?

毎週土曜日に日本語の補習校があって、そこで勉強しました。ただ家では英語禁止だったんです。両親も日本人ですし、日本語と触れあう機会は多かったと思います。それでも、仕事をする上では難しい部分もありましたので、母と二人三脚で台本に振り仮名を書いたりしていました。母のサポートなしでは難しかったと思います。

――環境の変化による苦労はありましたか?

14歳という多感な時期に環境の変化があったのはすごく大きかったと思います。自分で客観的に感情を理解して、消化することができない年齢だったので戸惑いました。稀にですが、オーストラリアではアジア人として差別されたこともあって、「自分はアジア人なんだ」「日本人なんだ」って意識する機会が多かったんです。でも、いざ日本に来ると同級生との考え方とか価値観がまったく違う。若いうちからアイデンティティークライシスみたいな感覚は感じていました。

――そうした環境で学んだことはありますか?

今は自分の中で両方の文化が共存していて、いろんな視点で物事を見て感じとれるようになっていると思います。それは海外で仕事をする時にも、ちょうどバランスよく、うまく使えているんじゃないかなと。いろいろな国で仕事をするようになって、「日本人ほどまじめに仕事に向き合う人種はいないな」と感じます。そういう環境で仕事のベースを学ばせてもらえたのは、私の強みになっている気がします。

――海外で勝負をしようと決断したのはなぜですか?

実は、「ハリウッドに行きたい」と強く願っていたわけではないんです。日本で仕事をしていた後半の頃、海外の作品に出演する機会が増えて、台湾のホウ・シャオシェン監督やトルコとの合同作品に出演しました。16年に、ウェイン・ワン監督の『女が眠る時』という映画に出演したんですが、その時、ウェイン監督から「日本人でそんなに英語が話せるし、今はすごくいい時期。海外に挑戦したらいいと思う」と助言をいただいたんです。そこから徐々に扉が開いていった感じです。

――19年に所属していた事務所を退社しました。その当時のことを教えてください。

私は映画がすごく好きで、作品に対しての思いがすごい強いんです。とてもこだわっていたので、退社前の後半の方は、全部自分で作品を選ばせてもらっていて、事務所も自由な環境を与えてくれました。ただ、やはり徐々に目指す方向性だとか仕事に対する考え方などにずれが生じ始めました。もちろん私も、日本での活動を続けたいという思いもありましたが、「アメリカでオーディションに受かって、地に足を付けて仕事をしていきたい」という思いが強かったので。

――不安はありましたか?

不安はなかったです。そもそも数年はオーディションに受からないだろうと覚悟していました。「最初の2、3年はそのつもりでやるしかないな」と。最初はオーディションに全然受からず、現実を突きつけられて、「やっぱりそんなに簡単なことではないんだな」と感じることもありました。でも、挑戦したい思いは私にとって譲れないものだったので、「目標を忘れないこと」を常に自分に言い聞かせることでモチベーションを保っていました。

――これまでにオーディションはどのくらい受けましたか?

数十本……百本は超えていないと思います。

――実際に海外の作品に出演して違いを感じたことはありますか?

圧倒的に撮影時間が長いです。日本だと、監督のビジョン、カット割りに沿ってなるべく少ない回数で撮影していくのが主流ですが、アメリカは最終的に編集で作品を作っていきます。編集で方向性をいくらでも変えていくので、最初から最後までいろんなパターンでたくさん撮ることになります。初めは体力的にもメンタル的にも、本当に大変でした。あと海外ではキャストの方や監督と食事をするキャストディナーという習慣があります。19年にNetflixで公開された『マーダー・ミステリー』の時、遅刻しそうになってしまって、なんとか時間ピッタリに着いたんですが、誰もまだ来ていなくて、2,30分間ひとりきりでした(笑)。

――日本で活動を始めた頃は、「母と二人三脚だった」と話されましたが、グローバルに活躍する女優に成長した娘をどのように受け止めているのでしょうか?

実は、最近初めて母が褒めてくれる機会があって、とてもびっくりしました。

――初めてですか?

母は「今まではなかなか役者として見ることが難しくて、役者というより自分の娘だっていう感じだったのが、最近はちょっと変わってきた」と話していました。最近になってやっと安心できるようになって、娘を女優としても見られるようになったのかもしれません。どんな作品に出演したとしても、母は一番に感想を聞きたくて、褒めてもらいたい存在です。

――他の家族の反応はどうですか?

弟は私が出ている作品をまったく見ていないと思います(笑)。でも、マーベル作品がすごく好きなので、『デッドプール2』に出演した時はとても喜んでくれました。『デッドプール2』は日本でプレミアがあって、主演のライアン・レイノルズさんが来日されました。彼はとても気さくな方で「この後空いてる? 誰か家族とか友達とか呼びたい人がいたら呼びなよ、ご飯食べよう」って誘われたんです。関係者の方もいるのかなと思って、レストランに弟と母を呼んだんですが、ライアンが1人で待っていて驚きました。そこで4人で食事をして、その時は本当に感謝されました(笑)。

――仕事だけでなく人生において大切にされていることは何ですか?

仕事においては後悔しないことです。それは、大きい目標であっても、毎日の目標であっても同じです。悩むだけ悩んで後悔のない選択ができれば、最終的に結果がよくなくても、納得できる。これは大事にしています。あとは、本当に単純ですが、素直でいること、誰に対しても平等に接することです。私もアメリカで他のキャストの方に優しく接してもらってきたので、自分もそうしたいと思っています。

――最後に、今後の目標を教えてください。

今までと同じように目の前の目標に向かって挑戦し続けようと思っています。そして、大きな野望を言うと、みなさんに「これが代表作だよね」って認識してもらえるような海外作品に、いつか出演できたらいいなと思います。

(聞き手:AERAdot.編集部 大谷奈央)

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