【石毛博史コラム】野手としてプロを経験してみたかった(笑い)

【石毛博史コラム】野手としてプロを経験してみたかった(笑い)

  • 東スポWEB
  • 更新日:2022/11/25
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05年を最後に引退。17年の現役生活に悔いはない

【石毛博史コラム 火消しは任せろ(22)】 2003年に阪神は優勝し、所属した3球団で優勝を経験することができた。でも…現役生活は終わりに向かっていきました。04年から岡田彰布さんが監督に就任。一軍登板は2試合だけで、二軍生活が長かった。05年は状態がよくて腕も振れていたんですが、開幕二軍。4月の福岡の雁ノ巣での試合中、右ヒジがブチブチと音がするように部分断裂したんです。すぐに大阪に戻ってMRI検査を受けたら、右肘側副靱帯断裂。これまで大きなケガはなかったんですけど、全治4か月と言われ、手術するか、リハビリで自然治癒するしかなかった。

何とかリハビリを続け、9月にまた二軍戦で投げるまでになりました。でも140キロ出ないし、また切れるんじゃないかと思って、怖くて腕が振れない。入団したころから、ストレートで空振りが取れなくなったら辞め時だなって思っていた。

それが今、空振りを取りにいった真っすぐをファウルにされる…。ヒジの状態もまだまだ万全じゃないし、限界を感じました。ちょうど戦力外通告の時期だったので球団と話し「引退」にしてもらったんです。

ケガがなかったらまだやれていたかもしれない。やり残したことがないといえばウソになるけど、やり切った。一度、死んだ身で星野仙一さんに拾ってもらい、阪神で3年間続けられた。辞める寂しさと同時にやり切った感もありました。

現役生活17年、悪い時の方が多かったかもしれないけど、自分の中では充実してた。パ・リーグの野球も経験でき、巨人と阪神の両方のユニホームを着た選手は多くない。いいことも悪いこともいろんなことを経験できたことは今もずっと役に立っています。巨人時代に僕をリリーバーとして育ててくれたコーチの宮田征典さん、近鉄コーチの小林繁さん、テストに誘ってくれた阪神コーチの西本聖さん、星野監督、自主トレをさせてもらったジャンボ尾崎さん…。巡り合った人との運があるのかな。

最優秀救援投手のタイトルも取れたし、優勝も日本一にもなれた。巨人に戻りたいとも思わなかったし、よそに行って絶対巨人をやっつけようとも思わなかったし、やり残したことと言えば…野手としてプロを経験してみたかった(笑い)。僕って高校通算36本塁打。ドラフトも9球団が興味を持ってくれたんですが、ウチ7球団が野手での評価で、巨人と阪神だけが投手。僕が「投手をやりたい」って言ったので他が引いていったんです。

巨人時代には投手で成功しなかったら野手で、という線もなきにしもあらずでした。野手を1年でも経験したかったかな。中継ぎなんでほぼ打席に立たないですけど、1996年8月の横浜戦では回またぎで打席が回り、ホームランも1本打ってます。大成するとは思わないけど、やり直せるのならやってみたいかな。ぜいたくですね(笑い)。

石毛博史

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