原因不明で治療が困難な病気の実体は何か

原因不明で治療が困難な病気の実体は何か

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  • 更新日:2021/10/15
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かつて狐の憑依現象は人助けや恩返しと結びつける考え方があり、狐は元来、民衆の友であり、恐れたり、憎んだりする悪霊でもなかった

人が生きるこの世の中の裏側に、幽かなものが棲む冥(くら)い闇の異界がある。

霊とは神々が零落した存在で、神とは姿を隠す「かくれみ」からきている。だが、姿を隠したままではいられず、表に出てくるものもいる。

霊などが表に出て人に乗り移ることを憑依という。人に取り憑く霊は様々で、悪魔によるものは悪魔憑き、狐によるものは狐憑きなどといわれている。

科学技術が発展した現代、憑依は迷信だと考えられがちだが、いまも霊が取り憑く現象は存在すると世界各地で信じられている。

「物託(ものつき)の女、物託つて云く、己は狐也、祟をなして来れるに非ず」

これは「狐憑き」について『今昔物語』に記された最も古い記述である。

かつて、わが国で各地に頻繁に見られた狐憑きは、いまは稀な存在となり、私たちは憑霊といった現象には、あまり直面しなくなったようにも見える。

だが、狐憑きは、いまも私たちのすぐ近くに密かに身を潜めている。

人が、ある種の霊力に「憑依」されると、その人の精神と行動が支配され、神懸かった五感の鋭敏さだけでなく第六感といった直感の鋭さを見せることがある。

そうした普段とは全く別人の魂が入り込んだような、あるいは本来の魂が抜けたような状態を変性意識状態という。

古来、日本では霊的な状態に身心が支配される現象を「憑(つ)く」と称してきた。

「つく」という言葉は、ことがうまくいき幸運である、というツキがあるといった良い意味で用いることも、負けてばっかりで今日はツイていないといった使われ方をする。

日本における憑依の別名には様々なものがある。

神霊が宿っている「神宿り」。神を宿すための儀式である「神降ろし」。「人」に神霊が宿る「神懸」。人や動物や道具に妖怪や貧乏神、怨霊や生霊など良くない神霊の憑依を「憑き物」と称する。

憑き物の「物」とは「神」にも「者(もの:人間)」にもなれない、神と人とを媒介する中間的な霊的存在を指す。

世の中に存在する事物は「物」であるが、かつて目に見えない存在や気配を「もの」と呼んだ。

憑依霊が一方的に人間に憑く場合もあれば、守護霊や精霊などが何かを伝えるために人に憑くこともある。また、人が自らの意思で怨念や嫉妬、憎悪など心の毒が生き霊となって憑く場合もある。

動物霊が憑依したときは、仕草や行動がその動物のようにあらわれる。悪霊や動物霊など憑依霊がもたらす禍を霊障という。

霊が人に憑くといった話は古今東西、語り伝えられるが、その多くは神や悪魔の介入と考えられた。

キリスト教では憑依に対し、中世では魔女や異端として迫害をし、近代や現代でも悪魔祓いの対象とされるが、良い憑依というのもあり、聖霊が祝福のため憑依するということもある。

悪魔が人に憑依し心身が取って替られると、憑かれた人が決してしないような行動をするばかりではなく、その人の周りでは自然や動物にも変調をきたす。

エクソシストは、カトリック教会の場合、悪魔に取り憑かれた人の心身から、悪魔を追い出す役目の人を指す教会の叙階の一つである。

日本語では祓魔師(ふつまし)と訳される。祓魔師の起源はイエス・キリストが悪魔払いをしたことに始まる。

ローマでは教皇コルネリウスの時代の西暦260年にはローマの司祭46人、助祭7人に対しエクソシスト(祓魔師)は56人おり、悪魔を祓う祓魔師は、当時の教会ではかなりの割合を占めていた。

キリスト教の歴史は悪魔と対峙し、それを闇に葬る歴史だったといっていい。

新約聖書にはキリストによって伝道の使命を与えられた 12人の使徒の中の1人、ユダが最後の晩餐のときイエスを裏切ることを決意すると、イエスは「ユダの中にサタンが入った」と言った。

サタンや悪魔は神や天使に匹敵する力をもつ存在とされ、人間を悪しき道へと誘導する霊的な存在を指す。

エクソシストの資格はカトリック神父であることと、所属する教区の司教に任命されることで、その徐階が受けられる。

エクソシスム(悪魔払い)は厳密な教会法に沿ってなされ、叙任を受けた司祭の認可により行われる。

『ローマ典礼儀礼書』には悪魔祓いにおける、いくつかの規定がある。

「依頼者が悪魔に憑かれているのか、精神疾患などの病気かを正しく見極めること」

「依頼者が通常では発揮し得ない力を発揮したり、本来の声ではない声を発したりするなどしていれば、何者かが憑依している可能性が高い」

「悪魔祓いをするにあたって、憑依された者が自らの意思で祈祷、断食、告解、聖体拝領を受ける姿勢を示さなければ効果は薄い」

「司祭自身が祈祷と断食を行い、慈悲の心と謙虚な姿勢、清廉で正しい生活を送ること」

悪魔祓いは十字架とマリア像が備わった窓のない礼拝用の部屋で行われ、数人の霊的な能力をもつ者が助手として立ち会う。

そして祓魔師は祈願者に向けて十字架を掲げながら、ひたすら神へ祈る。

それは悪魔払いが祓魔師の特別な呪力だけで悪魔と対峙するのではなく、祓魔師の神に対する信仰心の強さが悪魔に対しての最大の武器となる。

そのため祓魔師は神の威力を顕現するために全身全霊で祈るのである。

悪魔払いといった行為は、昨今では迷信のようにとらわれがちである。だが、サタンや悪魔の存在は旧約聖書の「創世記」「ヨブ記」「ゼカリヤ書」「エゼキエル書」にも具体的に綴られている。

最近の米調査会社ギャラップの世論調査によれば、米国人の70%が悪魔の存在を信じており、半数が悪魔の憑依を信じているという報告がある。

ローマ法王庁公認のエクソシスト養成講座を開催するレジーナ使徒大学によれば、昨今、悪魔憑きが増えているため悪魔祓いの要請が増えているという。

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エクソシスト養成講座に参加する司祭たち。サタンや悪魔の存在を信じる人は年々多くなっているという

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日本各地で飼われた憑き物

憑き物の話は全国各地で伝えられているが、日本でいう憑き物とは人に憑依すると本人や周りの人々に災いをもたらす低級な霊を指す。

憑き物となる動物は狐、犬、蛇などがあるが、圧倒的に多いのが、やはり狐の霊獣である。

それは全国各地に生息し、種類も様々である。もし、狐の霊が人に憑依すれば、飛び跳ね、暴れまわり、奇妙なうねり声を上げるなどの奇行がみられる。

狐の憑依と聞くと、私たち現代人にはマイナスのイメージしかないが、かつては人助けや恩返しといった憑依現象と結びつける考え方があり、狐は元来、民衆の友であって、恐れたり、憎んだりする悪霊でもない。

狐の霊獣は私たちのすぐ側に棲んでいる。

尾先(おさき)狐は埼玉県、東京都奥多摩地方、群馬県、栃木県、茨城県、長野県などの山村。

管狐(くだぎつね)は長野県をはじめとする中部地方や東海地方、千葉県や神奈川県、東北地方など。

島根県など山陰地方では人狐、九州地方では野狐(やこ)。

新潟県や島根県、岡山県ではトウビョウ狐。

中国地方では外道(げどう)という狐の霊獣が、かつて盛んに飼われ、人や家に憑依したと伝わる。

狐のいない四国や新潟県の佐渡島では狸の憑き物の勢力圏となっている。

時に狐と稲荷神が同一視されることがある。だがそれは誤りで、狐を使役する神である稲荷神が、俗界に遣わした「狐」は「神の使い」である。

江戸や東日本の多くの農村では屋敷稲荷を祀るのは理由がある。

稲荷神は五穀豊穣を司る神でその眷属が狐。農事が行われている最中、狐は田の神となる。きつねはケツネで「食(け)の(つ)根(ね)」の意である。

狐に対する信仰は、狐を稲荷神やその使いとみなす稲荷信仰、密教僧や修験者の修法である荼枳尼天法、巫者や修験者が狐を使う託宣に示されるように、信仰をよりどころにした習俗が、その背景にある。

狐憑きの多くは稲荷との関連で発生しているが、地方の農村などでは、憑き物は家系に代々伝わると信じられている地域や村が存在する。

そうした家系は「憑き物筋」あるいは「持ち筋」「持ち家」といわれた。

憑き物筋の家は、憑き物を使役して、他の家からお金や財産を持って来させることで富をもたらすと信じられた。

江戸時代の奇談集『梅翁随筆』によれば、家筋についた憑き物はどんな手段を用いても家から離すことができないとある。

狐憑きはどこへ行ったのか

現代では狐憑きは迷信ととらえられている。だが、昭和の時代まで狐憑きは、珍しいことではなかった。

こうした狐の霊獣による憑依現象は、ごく身近に存在していたのである。

それは、当時、精神病が今日ほど、医学的に解明されていなかったため奇行や奇声を発したり、幻覚や妄想などに見舞われたりする異常を、霊がとり憑いていると判断したためであろう。

狐の憑依は明治時代に本格的に研究観察されるようになり、その全体像を解明しようという動きがあった。

東京帝国大学医科大学草創期の教授で日本の近代的精神病学の創立者、呉秀三(くれゆうぞう1865-1932)は初めて狐憑きを狐憑症と呼んだ。

また、同じく東京帝国大学医科大学の精神病医師で医学博士の榊俶(さかきはじめ1857-1897)は『狐憑病に就て(1893年)』にて狐つきの女5人・男6人が狐に取り憑かれ、うち女の1人には生き霊が憑依していると報告している。

現代医学によれば、狐憑きの症状は、脳の異常か、精神障害が原因とされる。

精神病性障害である統合失調症の精神病性とは、当人が日々生活する現実の中に、非現実が混入する状態を意味する。

もともと、統合失調症は日本精神神経学会が1937年に「精神分裂病」と称したが、2002年に差別的な意味合いがあるとして「統合失調症」に改称された。

統合失調症は思春期~青年期に発症することが多く、被害妄想、幻聴、思考の乱れ、知覚、感情、言語、自己の感覚、および行動における他者との歪みなどが特徴付けられる症状を持つ。

具体的には、「霊に取り憑かれている」「神の声が聞こえる」「先祖の霊が取り憑いた」など、聞こえないはずの声が聞こえてきたり、あり得ないことが起きていると確信したりするといった症状が「精神病性」という言葉に表わされている。

また、治療法でも薬物療法によって症状を抑えることはできるが、完治させることは稀だとされる。病態は多岐にわたり、根本的な原因が不明で定説さえ確立されていない。

厚生労働省データによると、統合失調症の患者数は約80万人。

かつて多く見られた狐憑きは、精神医学の発達により統合失調症という病名に置き換えられただけなのかもしれない。

最近では憑き物を退ける修法を行える密教行者を、ほとんど見かけることがなくなってしまったが、その伝統的なやり方を簡単に紹介しよう。

まず、祈祷の流れだが、念誦と密教法具を身につけ、最初に呼吸を整えてから合掌し、次に、護身法で祈願者に憑依している悪霊から身を護り、精神を統一させる。

次に、霊的な原因を見極めて憑き物の正体を突き止め対話をする。そこで、加持か護摩法か、もしくは双方かにより、ある時は鎮め、ある時は調伏をして悪因縁を断ち、退散させることになる。

憑き物の正体を見定める理由は、憑依した霊が活動できるのは自分の正体が知られていないからであり、魔物は正体を突き止められると、その霊能の力が失われる。

しかし、憑依した霊の素性を見極める眼力がないと、霊を完全に退散させることは難しい。

霊には高級、低級と様々な位があり、憑き物には人間の生霊、鬼神や狐、蛇、狸をはじめ、犬、猫、猿、などの動物霊、稲荷など人の想念がつくりあげた霊的なものまで、ありとあらゆるものがある。

動物霊が憑物した場合、調伏して退散させるが、狐などの場合、お供えをして鎮めることもある。

人に憑いて禍をもたらす悪霊を祀り上げることで封じ込めるといった方法は、過去にも頻繁に行われ、江戸時代に数多く建てられた稲荷社は、人に憑依した狐を追い出し、その狐を神として祀りあげたものもある。

憑き物の正体を見極めると、次に目に見えない世界に壇を築いて、神仏をお招きし、経を念誦し、祈願者の心身に入れていく。

経文は慈悲と智慧が具現化した力強く純粋な霊文であり、憑き物は真言や経文に敏感に反応する。

堪らずに霊が動き出した瞬間に衝いて緊縛し、霊界に戻るように引導を渡す。もしくは、集めた霊気を霊に向かって放ち昇天させて鎮める。

そして、不動の印を結び、宇宙に蔓延する清浄なる霊気を祈願者に注入すると、再び九字を切りさらに祈願者を清める。

再び不動の法の印契を組んで、神仏がお帰りになるのをお見送りする。目に見えない世界に築かれた壇を破壇して、護身法にて再び自身の心身を清めて、すべてに感謝をして合掌する。

祈祷によって、神の威力である験力が顕れたとすれば、それは行者の信仰心の強さが如来の力に感応したことによる。

だが、神仏との感応は、生活が乱れていたり、心に疑念があったり、崩れた姿勢にて想念をしていたならば、低級な霊と感応したとしても、如来に連動して感応することはない。

乱れた生活や、疑念の心、崩れた姿勢からは、それに相応した悪念、妄念が隆起し、精進した生活や、きちっとした正しい姿勢から想念は生じることによるものだからだ。

密教ではこうした憑き物を祓う祈祷は、『今昔物語』が成立した平安時代より行われてきた。

科学技術が発展した現代、憑依は迷信だととらえられがちである。

だが、原因不明で治療が困難な病気が多発しているのは、霊獣たちが姿を変えながら蠢いていることの顕われなのかもしれない。

現代社会でも幽かなるものによる憑依現象は、欧米などの先進国において、いまも多くの人々に信じられている。

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池口 恵観

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