5年連続ランキング1位...日本ダーツ界の絶対王者・浅田斉吾が語る「イップス明け前夜」

5年連続ランキング1位...日本ダーツ界の絶対王者・浅田斉吾が語る「イップス明け前夜」

  • 文春オンライン
  • 更新日:2020/11/21

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スポーツは大まかに2種類に分けることができる。「起動のスポーツ」と「反応のスポーツ」だ。前者は自らが動き出さなければ始まらない競技で、ボウリングやダーツはその典型である。逆に、サッカーやテニスは後者に当たる。テニスはサービスのみ起動が求められるが、ひと度、打ち合いになれば反応のスポーツと言える。イップスが多いのは、圧倒的に前者だ。

日本ダーツ界の絶対王者・浅田斉吾もやはり一時期、極度のイップス症状に悩まされた経験を持つ。しかし、そのイップスを乗り越え、プロリーグ「PERFECT」で2015年から5年連続ランキング1位に輝いている。浅田はそれを「イップス明けの爆発」と表現する。

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浅田斉吾さん ©文藝春秋

◆ ◆ ◆

試合中、いきなり腕が前に出なくなった

――浅田さんは07年、日本初のプロリーグ「PERFECT」が開幕したと同時にプロになっています。まだダーツを始めて1年足らずのキャリアで、6戦目で早くも優勝し、天才と騒がれました。しかし翌08年、イップスと呼ばれる症状に苦しまれました。きっかけは何だったのでしょう。

浅田 シーズン終盤、近畿王者を決める試合で、ゲーム中、いきなり投げられなくなってしまったんです。手は引けるのですが、前に出せない。体だけ前にいっちゃうような状態でした。偶然、1年目で優勝してしまったので、周りの期待値がすごく高かった。それだけにすごく緊張していたんです。そのときはメンタルもぜんぜんついてきていなかったので。それが原因だと思います。

――その試合は、何とか投げられたのですか。

浅田 いえ。ボードまでの距離は2メートルちょっとしかないのですが、それでも届きませんでした。腕が出ないので、下に落とすぐらいしかできないんです。なので「すいません……」って謝りながら試合を続けて、当然、負けました。予兆とかもまったくなくて。いきなりでしたね。そこからは長かったです。

――よく練習は大丈夫だけど、試合になるとダメだという話も聞きますが、浅田さんのケースはどうでしたか。

浅田 僕は練習でも投げられなかったです。素振りはできても、ボードの前に立つと投げられませんでした。

これまで500人はイップスになった人を見てきた

――シンプルで、簡単な動きほど、イップスにかかりやすいと言われますが、そういう意味でいうと、ダーツはイップスになる人が多そうですね。

浅田 多いですよ。これまで500人くらいはイップスになった人を見てきたと思います。ゴルフのパターもなりやすいと聞きますが、ダーツはパターばっかりやっている感じに近いと思います。スポーツの中で、いちばん多いんじゃないですか。

――あるプレーヤーが「ダーツはあるレベルを超えると、入れることじゃなくて、外しちゃいけない勝負になる」と。サッカーのPKとか、バスケットのフリースローみたいですよね。

浅田 そうです、そうです。入れて当たり前。しかも究極の「静」から「動」への動きでもあるので、非常に緊張を強いられるんです。

――うまく腕が出せなくなったあと、どのように対処されたのですか。

浅田 ダーツは20グラム弱の矢を2メートルなんぼ飛ばす力が伝わりさえすればいいんです。その微量な力をどこから出すか。僕の場合は、腕を引いたら出なくなってしまったので、引かなければいいんだ、と。つまり、最初から引いておく。でも、それでは力が伝わらないので、ちょっと腕の位置を高くして、そこから落とすような感覚にしました。それでもうまく腕が出ないのであれば、手首だけで投げればいい。あとは極論ですが、指先で弾くだけでも、2メートルくらいなら飛ばすことができるかもしれない。そんなところから始めるだけでもだいぶ気分が楽になりました。

イップスの根本原因はリズム

――そこから少しずつ改善していったわけですか。

浅田 フォームを変えても、ほとんど何も変わりませんでしたね。ただ、フォームを変えているときに、どんな投げ方でも結局、リズムが大事なことに気づいたんです。結論を言ってしまうと、僕はイップスになるのもイップスを治すのも要はリズムだと思っているんです。リズムを変え始めたら、ちょっとはマシになってきました。普段、「1、2」のタイミングで投げていたものを「1、2、3、4、5、6……」と数えていって、このタイミングなら行けそうだというところまで5分でも10分でも待つ。行けると思ったら、あとはボードに向かって腕を振るだけ。15秒ぐらいかけて1から5まで数えたこともありますし、逆に、2秒くらいで「1、2、3、4、5」と早く数えたこともある。そんなことばかりやっていました。そうしたら、怪しいながらも、少しずつ腕が出るようになっていったんです。イップスになって2ヶ月くらい経った頃でしょうか。

――そこからは日に日に症状が軽くなっていったのでしょうか。

浅田 ダーツは一度に3本投げるのですが、最初は、3本とも投げられなかったのが、この投げ方なら1本は投げられる、みたいな。それが2本になり、あれ、3本とも何とか腕が出るようになったぞみたいな感じでしたね。1週間単位、1ヶ月単位で、少しずつ変わっていきました。

――プロ1年目はランキング8位で、2年目はイップスに苦しめられながらも11位と健闘しています。それもすごいですね。

浅田 その頃には、2本目、3本目は何とか投げられるようになっていたので。1本目は腕が出ないと思いながら「うーん、うーん……」みたいになるのですが、2本目は普通に出る。なので、1本目は捨ててもいいので投げられさえすれば、2本目、3本目で取り返せる。それで何とか食らいついていったという感じでした。

2009年はランキング4位と躍進した浅田選手は、いかにして「イップス明け」を果たしたのか。インタビューの続きは、「文藝春秋digital」で公開中です。

福原愛とダブルスで全日本選手権制覇も…卓球・坂本竜介が語る「イップスの闇の深さ」へ続く

(中村 計/文藝春秋 digital)

中村 計

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