大詰めで急速に支持を集める朝ドラ『おちょやん』、これまで過小評価されてきた理不尽なワケ

大詰めで急速に支持を集める朝ドラ『おちょやん』、これまで過小評価されてきた理不尽なワケ

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2021/05/01
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低視聴率と称賛コメントのギャップ

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photo by gettyimages

昨年11月30日にスタートした朝ドラ『おちょやん』(NHK)がいよいよ残り2週の放送を残すのみとなった。

ここまでは17%前後の世帯視聴率が「近年の朝ドラよりも2~5%も低い」と繰り返し報じられているほか、「話題にもならない」などと、さんざんな言われようであり、「失敗」のムードを醸し出すメディアが目立つ。

しかし、SNSを見ると、コメントの大半は称賛、感動、愛着などのポジティブなものが占め、見ている人の満足度はむしろ他の朝ドラよりも高い。

実際、低視聴率を報じる記事が出ると、それを打ち消すような反発のコメントで埋め尽くされ、しかもその声は中盤から終盤にかけて増えている。

では、なぜ『おちょやん』はメディアから過小評価されてしまったのか? また、そんな状況の中で、なぜ視聴者の支持を獲得できたのか?

苦労と不幸から逃げない志の高さ

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NHK『おちょやん』公式サイトより

『おちょやん』は大阪・南河内の貧しい家に生まれた竹井千代(杉咲花)が、奉公に出ていた道頓堀で芝居に魅了され、女優を目指す物語。こう書くと凡庸な物語に見えるが、千代の人生は近年の朝ドラでは特筆すべき、苦労と不幸の繰り返しだった。

千代は小学校すら通えない貧乏暮らしの中、毒父・テルヲ(トータス松本)と継母・栗子(宮澤エマ)から家を追い出され、9歳で道頓堀の芝居茶屋「岡安」へ奉公に出る。仕事に厳しい女将・岡田シズ(篠原涼子)から努力で認められ自分の居場所を見つけるが、またも毒父のせいで出ていかなければいけなくなってしまった。

京都に行き場を求めた千代は、カフェー「キネマ」の女給をしながら、女優の夢を見つけて歩きはじめる。その後、女優として精進を重ねながら、弟・ヨシヲ(倉悠貴)と悲しい再会。天海一平(成田凌)と結婚した一方で、父・テルヲが死去。身寄りのない松島寛治(前田旺志郎)との新たな生活がスタート。戦争で大切な人々や働き場を失うなど、千代は波乱万丈の日々を過ごす。

さらに終戦後の芝居公演再開後には、夫・一平と劇団の女優・朝比奈灯子(小西はる)の不倫によって、千代は女優を辞め、道頓堀を去ることになってしまった。

千代の人生は何もないところからスタートし、「何かを得ても、何かを失う」という苦労と不幸が続いている。しかし、このところの朝ドラは「朝から重い展開は避けたい」という視聴者の声に配慮して、主人公にそれほどの苦労や不幸を背負わせない傾向が強かった。

「悪人はほとんどおらず、いい人たちに助けられる」という展開が多かったのだが、『おちょやん』は人生の非情さから逃げずにしっかりと見せ、必死に生きる主人公の姿と、心に染みる人の温かさを描いてきた。

声の大きい一部の視聴者に迎合せず、主人公の人生をシビアに描いてきたのだが、もともとNHK大阪放送局制作の朝ドラは『カーネーション』『ごちそうさん』『まんぷく』『スカーレット』などでも、そんな傾向が見られた。

『おちょやん』は今なお「名作」と呼ばれるそれらと比べても、視聴者の反応を気にして無難な形を選ばず「重苦しいシーンから逃げない」という意味では頭1つ抜けているかもしれない。ましてや、コロナ禍の重苦しいムードの中でもブレなかったのだから、志の高さを感じさせられる。

想像を超える「まさか」で楽しませた

主人公の千代を取り囲む人々の人生もじっくり描かれてきた。

夫の一平と、その父・天海天海(茂山宗彦)、「岡安」の岡田シズと「福富」の富川菊(いしのようこ)、その子どもの岡田みつえ(東野絢香)と富川福助(井上拓哉)、須賀廼家千之助(星田英利)と須賀廼家万太郎(板尾創路)、弟・ヨシヲと松島寛治。これだけ多くの登場人物にスポットを当て、それぞれの目線から人生を描き、毎週見せ場のシーンが用意されてきた。

それに加えて八津弘幸の脚本は、視聴者の予想を超えた「まさか」でも楽しませている。たとえば、高城百合子(井川遥)と小暮真治(若葉竜也)の結婚、一平と灯子の不倫と妊娠、千代と栗子の同居など、視聴者に驚きを与え、話題性を生み出すものを織り交ぜていた。

近年の朝ドラはリアリティ度外視の急展開で話題を集めるような脚本が目立ち、そのたびに視聴者を困惑させていただけに、リアリティを損ねることなく大胆に物語をつむぐ『おちょやん』の巧みさを感じさせられる。

そもそも『おちょやん』は、幼くして母を失い、継母に家を追い出された千代が、「大阪のお母さん」と呼ばれるまでを描いた作品。また、父から虐げられ、弟とも離れ、夫からも裏切られるなど、大切な人との別れを繰り返す孤独な女性の物語にも見える。

だからこそ残り2週間は、千代が戦争で家族を亡くした人々を笑顔にさせるだけでなく、これまでの苦労や不幸を乗り越えた新たな人生が見られるのではないか。

ラジオドラマでの活躍はもちろん、新たな居場所を見つける喜びや、ネガティブなままの一平との関係性も含めて、最後の最後に千代の人生がポジティブに染まりそうなムードが漂いはじめている。放送を重ねるとともに千代への感情移入が進む視聴者にとってはたまらない2週間になりそうだ。

世帯視聴率を使うメディアの時代錯誤

ではなぜ、これほどの作品が過小評価されてしまったのか。多くの責任はメディアにある。確かに『おちょやん』の世帯視聴率が近作と比べて低いのは間違いないだろう。

しかし、スタートの第1週から近作より2~5%も低い17%台だったのだから、作品の質ではない何らかの他の原因があるはずだ。

その最たるものは、コロナ禍でスタート時期が大幅に遅れ、あわただしい12月になってしまったこと。それをフォローするためのNHKによるPRも不十分であり、年末でエンタメニュースの多い時期のためかメディアの動きも少なかったなど、スタートからかなりの不利を受けていた。

さらに放送がはじまってからは、世帯視聴率の低迷を指摘するメディアがその不利に追い打ちをかける。スタート時点での不利や見ている人々の評価を無視して、低世帯視聴率を指摘する記事を連日報じた。

その世帯視聴率は、すでに民放各局の営業現場でほとんど取引に使われないレベルのデータに成り下がっている。また、録画機器が発達したほか、昨年スタートした番組同時配信アプリ「NHKプラス」も加わったことで、ますますリアルタイム視聴が減る中、そんなレベルのデータを持ち出すことにほとんど意味はないだろう。

ネットメディアとドラマの親和性は高く、エンタメ記事の多くを占めているが、業界内では「勝ちドラマを称え、負けドラマを叩くのが最もページビューを取れる」と言われている。ところが「勝ち負けを決める判断材料が世帯視聴率」という基準は時代錯誤であり、昭和から続くメディアの悪癖にほかならない。

千代と杉咲花の笑顔あふれる結末へ

冒頭に挙げた「話題にもならない」という見方も、世帯視聴率をベースにしたメディアが「見られていない」「支持されていない」とみなしているだけのこと。しかも、その世帯視聴率も「低い」と言っても17%台であり、日本のドラマでは最高峰の結果が出ている。

録画やネットでの視聴も含めて現在最も多くの人々が見ているのは間違いなく、さらに支持者の割合は高い。

たとえば、世帯視聴率20%超を記録し続けた『半分、青い。』や『なつぞら』などは、午前8時のリアルタイム視聴者こそ多かったかもしれないが、昼の再放送、BS、録画、ネットを含めた全視聴者がどれだけいて、『おちょやん』より支持者の割合が高かったか」と言えば疑問が残る。これらを踏まえると、メディアが世帯視聴率でドラマを語ることは、もはや無意味さを超えて罪深さを感じてしまうのだ。

最後に話を『おちょやん』に戻すと、もちろん演じる俳優たちも素晴らしく、とりわけ主演の杉咲花は、女優が女優を演じる難しさや、23歳にして女性の一代記を演じる違和感を抱かせない。

SNSなどの反応を見る限り、視聴者の多くはそんな杉咲の演じる千代に感情移入し、「幸せそうな顔を見たい」と思っているようだ。メディアによる過小評価なんて吹き飛ばしてしまう爽快なクライマックスを期待して待ちたい。

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