裏メニュー「ハヤシライス」が一番人気。フランス料理老舗店の歴史

裏メニュー「ハヤシライス」が一番人気。フランス料理老舗店の歴史

  • 日刊SPA!
  • 更新日:2021/02/23

街角にひっそりと佇む昔ながらの洋食店。どんな街にも当たり前のようにある光景が、今、少しずつ姿を消しつつある。そんな町洋食の語り尽くせない本当のスゴさに迫る――。

◆フランス料理のタイムカプセルのような老舗

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フランス料理の文字をなくしたという店先の看板。フランス料理店を掲げていた名残は、奥の路地側にある看板で確かめることができる

洋食のルーツはフランス料理である。いまでこそ「洋レトロで気軽で庶民的な料理の一ジャンル」としてフランス料理とは明確に区別されるが、明治、大正、そして少なくとも戦後からしばらくまではそれは「西洋料理」とも呼ばれ、また「フランス料理」ともほぼ同義であった。

だから、現時点で50年以上の歴史を持つ洋食屋のなかには、「フランス料理」を標榜していた店が少なくない。今回ご紹介する「グリルエフ」もそんな洋食店の一つである。

フランス料理というものは伝統を大事にする一方で、時代と共にその姿を大きく変え続けている料理体系でもある。

例えばかつては花形であった「デミグラスソース」は現代フランス料理ではまず正面立って使われることはない。一説によるとそれはあまりにもおいしく完璧すぎて、ややもすると料理がすべてそこに収束してしまうという理由で、ある時期からフランス料理界は一斉にそれを手放したとも聞く。それはそれですさまじい矜恃ではあるが同時にもったいない話でもある。

そんなデミグラスソースだが、日本の洋食界では昔もいまも常に主役。洋食というものは、つまり100年前のフランス料理をいまに伝えるタイムカプセルでもあるのだ。

◆流麗な筆記体のフランス語と日本語が併記されたメニュー

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稲田さんを驚愕させたグリルエフの店内メニュー。メニュー部分の文字は、先代の斎藤シェフが書いたものを現在も使用している

私が初めてこのグリルエフを訪れたのは数年前、「ハヤシライスが抜群においしい洋食屋が五反田にある」という噂を耳にしてのことだった。

しかし、店に入りメニュー表を渡された瞬間、私は「これはハヤシライスを食べている場合ではないのでは」と心が揺らいだ。そのメニュー表は、流麗な筆記体のフランス語と日本語が併記された、あえて軽薄に言うなら「最高におしゃれでかっこいい」ものだった。

もちろん見た目だけではなくその内容も圧巻。まさに100年前、フランス料理の父とも呼ばれるエスコフィエの時代の古典ラインナップがそこにはずらりと並んでいたのである。私はすぐさま方針を転換し、仔牛の料理とチキンのサラダをワインと共に注文してゆっくりとそれらを堪能した。

もっとも、その後には結局しっかりとハヤシライスも追加注文し、胃も心も途方もなく満たされた状態で店を後にしたのだが。

◆フランス料理店として1950年に創業

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キッチンで調理をする長谷川シェフ。現在64歳で、18歳のときからこの店一筋のシェフだ

グリルエフは、フランス料理店として1950年創業。初代シェフの斎藤公男氏は「上野精養軒」や今でも伝説的に語られる「レストランエーワン」を経た、いわば当時のフランス料理業界におけるエリート中のエリートである。

グリルエフはこの街で一番高級でハイカラなレストランであり、夜ごとに財界人、文化人が集った。そんな店に高校卒業後すぐ入店したのが現オーナーシェフの長谷川清氏。’75年のことである。

当時の飲食業界における労働環境の過酷さはしばしば耳にするところだ。長時間の重労働は当然の上、技術は見て盗めと言われ、味見さえも大っぴらには許されず、鉄拳制裁もあった。まして格式高い店ならなおのことだったのではと思い、私は長谷川シェフに「さぞかし大変だったのでしょうね」と尋ねた。

ところがシェフは半ばキョトンとして「いや、こんなもんかくらいにしか思ってなかったですね。何しろ他を知らないし、真っ白でしたから」とこともなげに答えた。入店した時点で店に5人いる料理人の下っ端だった長谷川氏だったが、4年ほどで、先輩たちは家庭の事情などで次々と退職、それからは前述の初代シェフ斎藤氏の下で二番手として腕を磨くことに。さらにその10年後には斎藤シェフも引退し、グリルエフのすべてを受け継ぐことになり今に至る。

そして、さらに10年後、老朽化した看板を掛け替えるにあたって、ひっそりと「フランス料理」の文字を消した。当時すでにフランス料理はヌーベルキュイジーヌの時代を通過して大きく変容。

「これからはもうあくまで『洋食屋』ってことでやっていこうと思いましてね」と長谷川シェフは当時を語るが、だからといってそのメニューも味も何も変わっていない。それが現在のグリルエフだ。もしかすると看板の掛け替えで変わったのはお客さんのほうかもしれない。

◆一番人気・ハヤシライスはメニューに記載されていない

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グラタン、パスタ、サンドイッチなどのメニューはあるが、ハヤシライスの記載はなし。店先にある看板下のメニューにのみ記載がある

現在のグリルエフの一番人気メニューとなったハヤシライスは、実は昔も今もメニューには記載されていない。それはかつてはピラフやオムライスなどと共に、常連客にのみ供される「裏メニュー」だったのだ。にもかかわらず、今となってはそれを来店客の約7割が注文する。

少し意地の悪い質問であることは承知の上で、そのことについてどう思っているかを尋ねてみた。シェフの答えは「そりゃ、本音ではビーフシチューとかタンシチューとかを食べてほしいってのはありますよ。でもお客さんからしてみれば安くて手早く食べられるハヤシライスが嬉しいのは当然ですから」というものだった。正直なところ私もシェフの本音に同感である。極めて高品質な古典フランス料理のタイムカプセルであるこの店でハヤシライスだけなんてもったいない。

とはいうものの、悔しいかなこのハヤシライスは絶品なのである。私はこれまでさまざまなデミグラスソースを味わってきたが、この店ほど濃密なデミグラスソースは他で口にしたことがない。このハヤシライスももちろんそれがベースなのだが、その見た目は一般的なハヤシライスとは大きく異なる。

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この店の名物であるハヤシライス。先代より引き継いだ漆黒のデミグラスソースで作られたそれは、ほろ苦さもある他の店とは違った逸品だ

グリルエフのそれは一見「牛肉交じりの玉ねぎソテー」だ。しかし、よく見ると丁寧に切りそろえられシャキッとした食感を残して炒められた玉ねぎの表面には、満遍なくその濃密なデミグラスソースが纏わっている。割合的には少量にも見えるソースだが食べると存在感は圧巻。人気があるのにも納得だ。

それでもやはり、この店を語るのにハヤシライスだけではあまりに不完全。次回は、それ以外の正統派洋食メニューについても改めて触れていきたい。

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グリルエフ

【稲田俊輔】

鹿児島県生まれ。自身も飲食店を手掛ける飲食店プロデューサー。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社)、『南インド料理店総料理長が教えるだいたい15分!本格インドカレー』(柴田書店)

<取材・文/稲田俊輔 撮影/山川修一(本誌)>

―[スゴいぞ町洋食]―

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