「うっ」と呻いて嘔吐、突然泣き出す、急に増えた独り言...留置所で同房だった女性が語る“凶悪犯”角田美代子の姿

「うっ」と呻いて嘔吐、突然泣き出す、急に増えた独り言...留置所で同房だった女性が語る“凶悪犯”角田美代子の姿

  • 文春オンライン
  • 更新日:2021/05/04

《尼崎連続変死》喉骨と肋骨3本が折れ、体重は22キログラムに半減…暴力で家族を乗っ取った“恐怖支配”の実態から続く

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暴行、監禁、脅迫……様々な手段で他人の家族を乗っ取り、複数の被害者を出した尼崎連続変死事件。主犯である角田美代子の逮捕により、非道な犯行の実態が明らかになろうとする矢先、彼女は2012年12月12日、留置施設内で自殺した。

主犯の死亡によって事件の全容解明が困難になるなか、尼崎連続変死事件について取材を重ねていたノンフィクション作家の小野一光氏は、角田美代子と同房で寝食を共にした女性との接触に成功する。ここでは同氏の著書『新版 家族喰い 尼崎連続変死事件の真相』(文春文庫)の一部を抜粋。角田美代子と同房で過ごした女性が語る凶悪犯の実像とは。(全2回の2回目/前編を読む)

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◆◆◆

「あーあ、これで死人に口なしや」

2012年12月12日の朝、大阪市内のホテルのベッドに潜りこんでいた私は、ニュース速報を知らせる通信社のメールサービスのバイブ音で目を覚ました。

そこで角田美代子の自殺を知り、携帯電話を握ったまま、ああ、と思った。具体的になにを感じた、考えたというのではなく、ただ、ああ、と文字通りの音だけが脳裏を駆けた。

しばらくそのままの姿勢でいると、じんわりと嫌な気持ちが全身の血管を満たしていった。これでまた、真実が遠くなる。そういった嫌な気持ちだ。

10分くらいして携帯電話に着信があった。見るとQさん(編集部注:角田美代子と知り合いだった取材対象者)からだ。すぐに出た。

「あーあ、これで死人に口なしや」

まず第一声がこの言葉だった。

「まわりで大騒ぎしとるで。残念やなあ。これで全容解明できんくなるわ」

そう断定すると、電話は切れた。

私はある女性との待ち合わせ場所で、“その日”のことを思い出していた。13年8月。もう自殺から8カ月以上経っている。

取材先では「まだあの事件のことやりよるんか」と呆れられることも少なくなかった。もっともである。当初は途方に暮れた登場人物の多さも、いまでは全員の名をフルネームでそらんじることができるようになった。

はたしてこの執念は本当に必要なものなのか。自問自答を繰り返す。陸地の見えない海で、ひとり浮かんでいるような気持ちだ。

そのとき、携帯電話が鳴った。窓の外を見ると携帯電話を耳にあてた女性と目が合った。向こうも気づいたようで互いに頭を下げる。私は一瞬見えた“陸地のようなもの”を、目指すことにした。

第一印象は「ふてぶてしい、キツそうな印象のある、図太いオバチャン」

「あの人って、ペットの名前からして変わってたんですよ……」

ホテルのレストランで向かいに座った谷岡めぐみさん(仮名)は、いきなりそう切り出した。

「イグアナの名前がイグちゃんでしょ、それからプードルがトマトとレタス。昔は猫も飼ってたらしいですよ。さすがに名前は聞かなかったんですけど。あと、パンに目がなくて、『よくダンナが食べに連れていってくれる』て話してたので、『愛されとんな』と私が言うと、『全然』ってシラーッとした顔で返してくるんです」

谷岡さんは、美代子が自殺した兵庫県警本部(神戸市)の留置施設で、12年9月前半から後半まで彼女と同房にいた30代の女性である。同県警本部3階にある留置施設には、第一から第三まで3つの房が横に並んでいて、谷岡さんと美代子は、監視台の正面にある第二の房にいた。基本的にひとつの房には3人が雑居していて、ときには4人になることもあったという。

「看守のことをみんな“担当さん”と呼ぶんですけど、美代子は担当さんから“65番”という番号で呼ばれてました。ほんで、私は彼女のことを“オカン”と呼んでいました」

美代子は谷岡さんに、自分の名前は“東三樹”だと嘘をついていた。

「出所したら連絡して欲しいと言って、その名前と携帯電話の番号を私のノートに書いていました。だから私はずっとそれがオカンの本名やと思ってたんです。事件が起きてしばらくしてから、テレビで本物の顔写真が出たのを見て、あ、オカンやと思い、初めて角田美代子という名前だと知りました」

私は谷岡さんに美代子の第一印象を尋ねた。

「ふてぶてしい、キツそうな印象のある、図太いオバチャンいう感じです。ほんで、私が『オカン、いつからおるん?』て聞いたら、『5月かな、7月やったかな』て小さな嘘をつくんです。あと、『自分は傷害で入っていて、弁護士は5人いる』と自慢してましたが、尼崎という地名はひとことも出しませんでした」

「消灯後に布団から起き上がって、ずっと目を逸らさず睨みつけてました」

テレビがないため、新聞と差し入れてもらった本を、毎日熱心に読んでいたそうだ。

「新聞で新刊をメモしては、すぐに本を買うんです。野村沙知代の本を読んでいたのを記憶しています。本がすぐに規定の量になり、宅下げ(編集部注:勾留されている人物が外の人間に物品を渡すこと)してもらっていました。それと食べ物の好き嫌いが多く、肉が嫌いでシーフードが好きやと言ってました。甘いものも好物で、アンパンがお気に入りやったし、チェルシーなんかもよう買うてましたね。服に関してはブランドは『バーバリーが好きや』と話していて、いつも黒のバーバリーのトレーナーにクリーム色のチノパンを穿いてました」

谷岡さんは、美代子と同房の韓国人女性との間に起きたトラブルを目にしていた。

「私が入った翌日にオカンと仲のよかった人が出ていったんですね。それで私とオカン、それから韓国人の3人になりました。オカンはときどき情緒不安定で、夜中に隣で寝ている韓国人を起こして、『つらい』と泣くことがあったんです。それが迷惑やったんやと思います。しばらくして息子を殺した女性が入ってきたときに、その韓国人が自分とオカンの間に彼女を入れたんです。そうしたらオカンが怒って、翌朝になって『あんた、気ぃ悪いねん。なんやの、それ』て文句を言ってました。韓国人はなにも言わずに黙ってたんですけど、その晩、消灯後にオカンが布団から起き上がって、担当さんに怒られるまで、ずっと目を逸らさず韓国人を睨みつけてました」

美代子の憤怒の表情に、その韓国人女性は身の危険を感じたようで、看守に申し出て房を変えてもらった。すると、美代子の甘えの対象は谷岡さんに向かってきたのだという。

横柄でワガママで寂しがり屋

「オカンは横柄でワガママなんですけど、寂しがり屋でもあるんです。急に私の手を握ってきて、私が外そうとすると『いやっ。ギュッとしかえして』と言ったり、喫煙所から部屋に帰るときに、私が『オカン、先に出て』って言うと、『そんな寂しいこと、先行ってなんか言わんといて』と、小さい声で訴えてました。あと嫌やったのは、オカンの背中にイボがあって、それを『掻いて』と頼んでくるんです。しょうがなしに服の上から掻くと、調子に乗って『直接掻いて』やら『これ、潰して欲しいねん』なんて言ってきたから、さすがに『そんなんできん』と断りました」

無防備に甘える姿を見せる一方で、相手の顔色を窺ったり、視線の先にあるものから予測したりする様子を見て、美代子には尋常ならざる洞察力があると感じたと、谷岡さんは語る。

「あるときオカンが、『隣の女の子、今日出る(出所する)わ』と言ったことがあり、実際に彼女は出ていきました。私が『なんでわかったん?』と聞くと、『カン』と答えてましたが、担当さんの動きとかを細かく観察していて、そういう結論になったんやと思います。本人は『私のカンはよく当たんねん』と口にしていました」

「自殺したんは、信じとった者に裏切られたという思いが強かったんやないでしょうか。」

そんな美代子の留置生活に変化が現れたのは、谷岡さんが房を出る数日前。9月後半のことだった。

「急に警察の事情聴取が入るようになり、しかも1回の時間が長かったんです。それで戻ってくると『おかしい、おかしい』と考え込んだり、『ハメられたな』と独り言を言うようになり、本も読まなくなったんです。突然泣き出したり、『奥歯にものの挟まったような言いかたして』と、いきなり担当刑事の態度に憤った声を上げたりするようになりました。だんだん食欲もなくなり、私が房を出る日には『うっ』と呻いて、胃のなかのものを戻していました」

この時期は、角田三枝子が全面自供に転じる直前である。身内から秘密が漏れるという、まさに美代子にとっては青天の霹靂ともいえる出来事が水面下で起きようとしていたのだ。彼女はそれを担当刑事の態度や口調から、人並み外れた洞察力で強く感じ取ったのだろう。

谷岡さんはその日以降の美代子の姿については知らない。だが、2週間以上をともに過ごした身としては、彼女が自殺という手段を選んだことについて、「あのオバハンやったらやる」と感じたそうだ。

「私が思うに、オカンが自殺したんは、事件がバレたことやなくて、自分が家族やと信じとった者に裏切られたという思いが強かったんやないでしょうか。それがショックで死を選んだんやと思います」

そう語る谷岡さんの意見に、私もまったく同感だった。

美代子は徹底して勝てる相手を選び、“家族殺し”を強要した

こんな話がある。04年頃、美代子はパチンコ店で知り合った若いカップルを1週間ほど自宅に軟禁し、その女性の家族に“落とし前”を要求したことがあった。しかし、その女性の姉妹の知り合いに現役の暴力団員がいて、逆に脅されたのだ。その際に美代子は「××様のご身内の方とは知りませんでしたので、本当に粗相な対応、どうかお許しください。知らなかったでは済まないことも充分承知しております。なんとか今回だけはお許しください」と平身低頭して謝罪を続けたという。

自分よりも強い者には徹底的に弱く、弱い者には徹底的に強い。それが美代子だった。自分を強く見せるためには手段を選ばず、虎の威を借りることが必要であれば、迷わず借りた。

そうして、美代子は虚勢が通用する相手しか、毒牙にかけてこなかったのである。それは“相手に勝とうとするのではなく、勝てる相手を選ぶ”ということで徹底していた。

彼女の洞察力は、相手をふるいにかける過程のなかで身についたものだ。

そして、自分が勝てると見た相手に対しては、決して歯向かうことのないよう、絶対的な恐怖を与えて支配した。弱い者を恐怖で支配するためには生贄が必要であり、忠誠を確認する手段として用いたのが、タブーである“家族殺し”の強要だった。まさにそれは“家族喰い”ともいえる所業である。

だがその結果が、まとめて自分に跳ね返ってきたのだ。

これまでの犯行が発覚したあと、美代子が絶対的に支配していると信じた“家族”たちは、警察の追及にたやすく落ちた。皮肉にも彼女自身がそこで“家族殺し”に遭遇することになり、卑怯にも自殺を選んだ。

私はそう見ている。

美代子は決してモンスターではない。弱いからこそ相手を殺した。そうしなければ、自分がいつ寝首を掻かれるか、不安でしょうがなかったのだ。

無辜の人生を蹂躙し尽くした64年の生涯は、かくして身勝手に幕を閉じた。

【前編を読む】《尼崎連続変死》喉骨と肋骨3本が折れ、体重は22キログラムに半減…暴力で家族を乗っ取った“恐怖支配”の実態

(小野 一光/文春文庫)

小野 一光

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