16歳の悠仁さまを執拗に批判する社会は正しいのか? 幼い時期から各地に足を運び風土を学ぶ「帝王学」の芽

16歳の悠仁さまを執拗に批判する社会は正しいのか? 幼い時期から各地に足を運び風土を学ぶ「帝王学」の芽

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  • 更新日:2023/03/19
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赤坂御用地を秋篠宮さま、紀子さま、次女佳子さまとともに散策する悠仁さま(2022年11月)

筑波大学付属高校に進学された悠仁さまは今春、2年生になる。バドミントン部での活動など充実した高校生活を送っている。海外からの賓客への接遇に参加し、伊勢神宮にお一人で参拝するなど、ご両親の背中を見て学びを深める一方で、秋篠宮家への批判に乗じる形での悠仁さまへのバッシングもおさまらない。

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「高校生ともなれば、ネット上に氾濫するご自身に関する記事を目にすることもあるでしょう。皇室に生まれたというだけで中身は16歳の子どもです。実態も根拠もない臆測に基づいた批判を目にして、傷つかないとでも感じているのでしょうか」

そう嘆くのは、秋篠宮妃である紀子さまの友人だ。

進学に際しては、お茶の水女子大学との「提携校進学制度」により入学が決まった。しかし、この提携制度に対して「特別な配慮があったのでは」との臆測から始まり、さらに高校生活では「成績不振」といった批判的な報道が飛び交った。友人は憤りを隠さない。

「いったい何の根拠があって『特別な配慮で入学が決まった』と、批判的な声が出るのでしょうか」

友人によれば、悠仁さまの成績がトップクラスであることは、お茶の水女子大付属中学校の同級生や保護者の間では認識していたと話す。

「悠仁さまの学年で推薦をとるとすれば、(成績からも)1人は悠仁さまだろう。そう考えていた保護者の方は少なくなかったと聞いています」

もともと悠仁さまは、日頃からコツコツと努力を重ねて勉強するタイプ。お茶の水女子大付属中の入学式で、114人の新入生代表宣誓を悠仁さまが行った際も、選出過程に懐疑的な見方を示す記事が出た。当時、学校に選出基準を確認したところ、「学業を申し分なく修め、豊かな人格的成長が認められる生徒を総合的に判断して選出した」と答えている。

このとき、新入生代表の候補に選ばれた悠仁さまは、やる意思があるかどうかを聞かれた。

「やる」

そう、答えたという。

悠仁さまは地道な勉強を積み重ねてきた。だが、学びを深めてきたのは学校での勉強だけではない。

悠仁さまは、皇位継承順位2位にある。若い世代では唯一の皇位継承者だ。天皇陛下が幼いころから「帝王学」を身につけていったように、悠仁さまも幼いころから、学びを続けている。

たとえば、天皇陛下が浩宮と呼ばれていた10代のころ。12歳の誕生日前に、漢学の権威である宇野哲人・東京大学名誉教授に『論語』を学んでいる写真や、15歳の誕生日前に王朝和歌の研究者である橋本不美男・宮内庁図書調査官から『徒然草』の写本の講義を受けている写真が残っている。

浩宮時代の陛下は、学習院高等科で地理研究会に所属していた。友人らと岩手県の八幡平に登山に行った際などは、現地の風景や友人らとの旅行を和歌に詠みこんでいる。その和歌は、ご自身で英訳を添えてオーストラリアにいる友人にあてて手紙で送られた。10代にして教養の深さがにじむエピソードだ。

天皇陛下が昔から一貫して口にしていた言葉がある。

幼いころから背中を見てきた昭和天皇や上皇さまのように、

「自分の足で現地に行き、自分の言葉でじかに、人びとと話をすることを大事にしたい」

悠仁さまも同じだ。

幼いころから、当時天皇であった上皇さまとの時間を過ごし、その背中を見て育ってきた。

2歳のときから、葉山御用邸(神奈川県)に滞在すると、昭和天皇がお使いだった二挺艪(ちょうろ)の和船「たけ」で海に出ていた。和船の艪を漕いでいたのは上皇さまだった。

秋篠宮ご夫妻もまた、幼い悠仁さまに日本各地の自然や人に触れ文化を学ぶ機会を積んできた。

秋篠宮さまは、家禽(かきん)類の研究で理学博士号を取得している。悠仁さまも幼いころから図鑑を熱心に読み、皇居でも池のまわりのトンボの観察や虫捕りに熱中した。ときには、当時天皇であった上皇さまと一緒に虫を捕まえたこともあった。秋篠宮さまが幼いころに上皇さまからもらった『原色 前世紀の生物』(1962年刊行)は、いまは悠仁さまの手元にある。

悠仁さまが5歳の夏には、北海道を訪問。自然に触れるとともに、アイヌ文化を学んだ。7歳の冬には、沖縄に行き、沖縄や九州の在来家畜の与那国馬や島ヒージャー(ヤギ)、口之島牛に触れ合う経験もした。

2017年10歳の夏。悠仁さまはご両親に、こう口にした。

「東京の島を見たい」

紀子さまと2人で一般客と同じフェリーに乗り、24時間の船旅を経てたどりついたのは、東京・小笠原諸島の父島や母島だ。島で出会った人のなかには、その後もオンラインなどを通じて交流を続けている人もいる。

同じ年の春には、東京都最高峰2017メートルの雲取山に登頂。翌18年、11歳の夏には、天空を突き刺す山容から「日本のマッターホルン」と呼ばれ、難所としても知られる3180メートルの槍ケ岳にも挑戦した。

天皇陛下が小学生時代から側近を伴い、各地へ「一人旅」で見聞を広めたことは有名だが、悠仁さまも中学生のときには、長野県などの地方を“1人で”訪れている。

前出の友人は、こう嘆く。

「悠仁さまは明るく素直なご性格です。しかし、常に監視され行動にケチをつけられるようなことが続けば、誰でも精神的に参ってしまう。悠仁さまのご成長に影響が出ないかが心配です」

言われのない批判を受けながらも、高校生活を送る悠仁さま。バドミントン部では上級生からアドバイスを受けながら、持ち前の素直さで楽しく過ごしているようだ。

悠仁さまは登校の際に、学校の近くで車を降りて、そこからは徒歩で通っている。下校の際も、徒歩で歩いたあと、学校の近くで車に乗るという。

付近に住んでいるという女性は、自転車で学校のそばのわき道を走っているときに、道を半ばふさぐ形で停車している車に出くわした。やや面倒に感じたものの、車をよけて通り抜けた瞬間、歩いてきた悠仁さまにばったりと遭遇した。下校時だったのだろう。周囲には護衛らしき人間もいる。

悠仁さまは、女性の様子で察したのか、「車が邪魔でごめんなさい」とでもいうように、ペコリと頭を下げて車に乗ったという。すれ違った女性は言う。

「きちんと公共のマナーも理解されているし、周囲へ迷惑をかけて申し訳ない、と素直に頭を下げることもできている。よい形で成長されていらっしゃると感じました」

※この記事は<<「悠仁さまも愛子さまも、早いうちに海外王室との親善の機会を」 昭和天皇も上皇さまも見た“19歳の世界”>>に続く

(AERA dot.編集部・永井貴子)

永井貴子

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