酒の席に蔓延する「有害な男らしさ」の大きすぎるリスク

酒の席に蔓延する「有害な男らしさ」の大きすぎるリスク

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2021/01/13
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昨年末、恵比寿の高級ラウンジでテキーラ一気飲みゲームによって、女性スタッフが亡くなるというニュースがネット上を駆けめぐった。「750ミリリットルのテキーラを15分以内に飲めたら10万円」という内容の凄まじさと、そのゲームを考案したのがとあるカリスマ起業家であったことがニュースの衝撃さを強めた。

この悲しい出来事に、自分の経験を重ねてしまった人は少なくないのではないだろうか。僕自身もそうだった。コロナ禍で例年よりだいぶ新年会の数が減っているようだが、この時期に、改めて酒の席で顕在化する“有害な男らしさ”の問題について考えてみたい。

酒の強さと性体験の多さが「男らしさ」になる社会

これまで僕はいくつかの会社で働いてきたが、男性上司たちと飲みに行った際、どれだけお酒が飲めるか、もしくはどれだけ女性と性的な行為をしてきたか、という自慢を聞かされることが多かった。すべての勤務先でそうだったとは言わないが、体育会系の雰囲気を持つ会社では、例外なくそうだった。

特にベンチャー企業を立ち上げるような、上昇志向の強い役員ほどそうした傾向が見られた。さらに彼らに共通していたのは、酒の強さと性体験の多さが、「男らしい」「頼りがいがある」として彼らの高評価につながるという点だった。酒の強さと性体験の多さを求められることは、それが好きでない者にとっては苦しみでしかない。

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〔PHOTO〕iStock

だから冒頭のニュースを目にした際、亡くなられた方に対する痛ましい思いとは別に、その“有害な男らしさ”に悩まされてきた自分の過去についても思い返さずにはいられなかった。

元々、僕はあまりお酒が好きではない。そして、体育会系のノリが苦手な文化系の男で、なおかつゲイだ。そんな僕にとって、お酒と女性の話が場を支配する空間は、はっきり言って地獄だった。職場ではあまり目立たぬようにし、飲み会の席でも空気のような存在でいることが、いつしか処世術になっていた。

だが、飲みの席では否応なしに、男性上司たちからのジャッジの視線にさらされる。まるで、「お前は一人前の男なのか」と聞かれているような気分だった。

高校時代から男性の友達などほとんどいなかったし、大学に入ったあたりからは、男社会からはみ出てしまっても、それで構わないという思いが強まっていた。でも、会社となると話は別だ。はみ出したら男性上司からの評価が下がる。評価が下がれば給料も下がる可能性がある。

そうやって無言のプレッシャーに縛られてしまう人は、僕以外にもきっと大勢いるのではないかと思っている。逃げ出そうと思えば逃げ出せたはずの飲み会の席で、逃げ出すことができないままお酒をあおり、体調を崩した経験を持つ人はどれだけいるだろう。

お酒がさほど強くもなく、女性との性的エピソードもほとんどない僕は、男性ホモソーシャルのヒエラルキーではほぼ底辺だ。でも、ある話をした途端、ヒエラルキーにおける僕の立ち位置が一瞬にして変わる出来事があった。

「アブノーマル」でヒラルキー上位に

僕はかつて、女王様がいるSMバーで働いていた経験を持つ。実際に縄や鞭の使い方を学び、客(男女ともに含む)を縛ったり、言葉攻めをしたりなど、様々なプレイの勉強をした。そのときの話をすると、どの男性上司も、例外なく僕を見る目が変わるのだ。女性との性的な要素を含み、それでいて世間一般的にはアブノーマルとされる世界を知っているというだけで一目置かれた。つまり、「面白い奴」として認められ、ヒエラルキー上位として認められたのだ。

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SMの話をしたのは、そうした「評価」を得るのが目的だったわけではない。僕にはこの話をするメリットが2つあった。1つは、お酒を飲まなくてもその場を盛り上げられること。そしてもう1つは、その話が盛り上がれば盛り上がるほど、話したくないプライベートなことを深く聞かれずに済むこと。

つまり、彼らは決して僕の恋愛事情が聞きたいわけではなく、女性といかにして性的な関係を結んできたかが知りたいのだ。いかに女性を愛してきたかではなく、どれだけ女性を性的な存在として扱ってきたかを。

そうした暴力的なエピソードを、男性上司や男性の同僚から聞かされた経験は数えきれない。子どもが生まれて間もない先輩社員が、マッチングアプリで浮気をしている話。後輩が風俗店に行き、キャストに対してすごいプレイをした話。そして、満員電車の中でタイプの女性を見つけた同僚が、じろじろとその人を見た話などなど……。

裏切りやハラスメント以外の何物でもない話を、時には近くに女性社員がいるにもかかわらず、彼らは嬉々として語る。そんな風にして盛り上がる空間で、自分がゲイであることなど言えるはずもなく、またハラスメントだと指摘する勇気も持てない僕は、SMの話をすることで場を切り抜けてきた。

お酒を飲むなどして自分自身を雑に扱うか、それとも女性を雑に扱うか。男性ホモソーシャルの中ではいつもこの2択を迫られる。

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こうした空気はいつから醸成されるのだろうか。僕が明確に覚えている生まれて初めての「男性ホモソーシャル体験」は、高校一年生の頃にさかのぼる。

それが「正しい男らしさ」だと思っていた

体育の授業中にクラスメイトの男子数人と話していた際、一人の男子がこんな話を語りだした。

「女子トイレに入って、使用済みの生理用品を味わったんだよね」

それを聞いて、他の連中がドッと笑いだしたのを覚えている。僕ははっきり言って、その行為にゾッとした。質の悪いジョークなのではないかと思ったのだが、話している本人が鼻高々な表情を浮かべていることや、周囲が彼をもてはやしていることなどから、それが「正当な自慢話」として扱われていることを理解した。だから恥ずかしいことに、僕も彼らと同じように笑ったのだ。

それが「正しい男らしさ」なのだと、当時はそう思ったから。

その男らしさを演じていれば輪からはみ出ることもなく、馬鹿にされることもない。
何よりもゲイだと知られずに済む。そんな保身のために、僕は自分の感じた耐えがたい気持ち悪さに対し、見て見ぬ振りをした。

僕たちは犠牲者にも加害者にもなり得る

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また、そうした男同士の世界においては、ゲイという存在が嘲笑される場面にも度々出くわしたが、そのときですら僕は率先して笑った。評価されないことや排除されることよりも、僕が恐れていたのは、自分がヒエラルキーの最底辺になることだからだ。もし最底辺になってしまったら、彼らが女性に対して向けている暴力性が、今度は僕にも向かうだろうと肌で感じていた。

男社会はまるでヒエラルキーの頂点に立つための椅子取りゲームのようだ、と時々感じる。自分の傷を他者への傷で埋め合わせるだけで、誰のことも救わないまま、その負の連鎖が続いていく。上層に上がれば上がるほど、そこから引きずり落とされないように気を張らなければいけない。そして、ヒエラルキーの下層に落ちれば、今度はそれ以上下がらずにいるために、自分よりさらに弱い存在を探し傷つけるのだ。

僕やクラスメイトたちのように、社会に出る前からこうしたホモソーシャル特有の加害性を内包していく男性は割と多いのではないだろうか。だからこそ、テキーラ一気飲みの事件には、つい自分を投影してしまう。犠牲者にも加害者にも、そのどちらにもなり得たことに、静かな恐怖を抱いている。

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