世界の名門クラブで活躍した〝ラモス瑠偉の後継者〟アモローゾ ヴェルディ川崎はなぜ大魚を逃したのか

世界の名門クラブで活躍した〝ラモス瑠偉の後継者〟アモローゾ ヴェルディ川崎はなぜ大魚を逃したのか

  • 東スポWeb
  • 更新日:2022/06/23
No image

05年のクラブW杯優勝にも貢献したアモローゾ(東スポWeb)

【多事蹴論(45)】ヴェルディ川崎はなぜブラジル出身の名ストライカーを手放したのか――。1992年にブラジルのグアラニからV川崎(現J2東京V)に加入したアモローゾは外国人枠(3枠)の問題もあり華々しく93年に開幕したJリーグに出場することもなく、サテライト(二軍)でプレー。卓越したテクニックを披露し「二軍でプレーするようなレベルではない」と他クラブ関係者を驚かせた。

19歳だった同シーズン後にV川崎を退団。94年からグアラニに復帰すると、すぐに定位置を確保。全国選手権で得点王になるなど、その名をブラジル全土にとどろかせた。同年には同国代表にも初選出。96年にイタリア1部ウディネーゼに移籍し、98―99年シーズンには母国代表FWロナウドを抑えて得点王を獲得した。パルマを経て2001年夏にドイツ1部の名門ドルトムントに加入すると、チームを優勝に導くとともに自身も得点王に輝いた。

その後も各クラブで活躍し、05年にはブラジル1部サンパウロの選手としてクラブW杯制覇に貢献し、イタリア1部ACミランでもプレー。まさにブラジル屈指の名ストライカーといえるが、V川崎はなぜ“逸材”を手放したのか。

Jリーグ創成期。V川崎側はアモローゾについて「かつてブラジルから来日してチームを支えたジョージ与那城やラモス瑠偉のように日本国籍を取得してくれることを思い描いていた。ラモスももう36歳(93年当時)だから、その後継者になってくれれば…」との意向で獲得したという。実際にアモローゾも日本への帰化を意識し、日本語をマスターするなど、日本の生活に適応していた。

肝心のパフォーマンスについても、クラブ側は抜群の才能を認め「トップで起用しても十分にレギュラーでプレーできるレベル」と太鼓判を押していた。ただ、Jリーグ開幕当時のV川崎には外国人選手が7人も所属していたこと。またチームの攻撃陣はカズことFW三浦知良を筆頭にFW武田修宏、MF北沢豪、MFラモスと盤石の布陣だったため、数年は「入り込む隙間がない」とみられていた。

アモローゾは日本でプレーすることこそ納得していたものの、トップに上がれないことに不満を抱えていた。契約更改の際に代理人を通じて「日本に残ってプレーするなら年俸5000万円」との要求を突き付けたという。当時ブラジル1部サンパウロに所属していた同国代表FWミューレルが年俸8000万円で同国最高額だったことを考えると破格の金額で、Jリーグでもトップクラスの年俸だった。

結局、契約交渉は“破談”となり、アモローゾはブラジルへ帰国。その後は日本でのうっぷんを晴らすかのように前述したように世界へと駆け上がった。逸材とわかっていながらもチーム事情で断念となったが、逃がした魚は予想以上に大きかった。 (敬称略)

東スポWeb

この記事をお届けした
グノシーの最新ニュース情報を、

でも最新ニュース情報をお届けしています。

外部リンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加