
※写真はイメージです(Getty Images)
ゲノム編集技術が、著しいペースで進化を遂げている。狙った遺伝子を改変させることが可能なこの技術は、医療分野や農水産業などでの活用が期待されている。だが一方で、リスクもある。北海道大学客員教授の小川和也氏は、著書『人類滅亡2つのシナリオ AIと遺伝子操作が悪用された未来』(朝日新書)の中で、将来的に、ゲノム編集技術によって親が望む容姿や能力を備えた「デザイナーベビー」が量産されるリスクについて警鐘を鳴らしている。本書から一部抜粋して紹介する。
* * *
■デザイナーベビー 〝神の領域〞へ侵食し始めた人類
人類がCRISPRという遺伝子編集技術を手にしたことで、遺伝子編集された人間を誕生させることが理論的に可能となった。しかし、技術的、理論上可能であるからといって、現実化して良いか否かはまた別の問題である。実際、ほとんどの国において遺伝子工学で編集した胚の妊娠は非合法扱い、もしくは禁止されている。
ところが、2018年11月、中国の南方科技大学のゲノム編集研究者・賀建奎によって、世界初のゲノム編集ベビーが誕生した。エイズの原因となるウイルスであるHIVが細胞に侵入する際に利用する細胞側のタンパク質の遺伝子を、CRISPR-Cas9系ゲノム編集ツールを利用して無効化し、それらの胚を母体に着床させ、HIVに感染しにくい元気な双子の女児を誕生させた。双子女児のDNAの塩基配列解析からゲノム編集を行い、標的遺伝子のみ変更されたという。
遺伝学技術を使って人をHIVから守る、より安全で効果的な他の方法が存在する中、あえて胚の遺伝子編集を行っている。そして、そもそも子どもがHIVに感染する危険はないため、HIV陽性の父親を持つ家族を対象にしたことへの必然性も見いだせない。こうした理由などから批判が集中した。
このゲノム編集ベビー誕生の試みについては、南方科技大学も認識しておらず、中国の衛生部(現 国家衛生健康委員会)や科学技術部が2003年に公表した法的規制にも抵触する。結果的に賀建奎は不法な医療行為を行ったと判断され、罰金と懲役3年の実刑判決を受けたが、2022年春には出所している。
生殖細胞の遺伝子を改変すれば、編集された細胞とされていない細胞の両方を持つ新生児が誕生し、望ましくない突然変異などのリスクが伴う。さらに、世代を超えて受け継がれ、遺伝子プール全体に影響を与え、予想もしない影響を招く可能性もある。治療目的のみならず、親が望む容姿や能力を持つ「デザイナーベビー」の誕生につながる恐れもある。
世界初のゲノム編集ベビー誕生は、人類が自らの遺伝子を初めて操作してしまったことを意味する。
肉体的に操作され、個性や外観を変えられた「デザイナーベビー」を誕生させるための遺伝子編集は止めるべきであるという考え方は、概ねの合意事項である。
一方で、疾病の予防や治療に目的を限った子どもの遺伝子編集の合法化に賛成する声や、遺伝子編集自体に対して支持する人も多い。前出の賀建奎も、疾病の遺伝子を矯正することによって、人類は環境の急速な変化の中でもより良い生活が送れると考え、現代の生命倫理分野を牽引するオックスフォード大学のジュリアン・サバレスキュ教授も、全ての人間が遺伝的に適切な人生のスタートを切り、技術を活かして自分の人生を設計していく力を持つべきであることを主張している。つまり、生まれ持っての才能の有利不利をなくし、運任せにせずに自分自身を変えることを肯定している。
人類史上初めて手にした〝人間による人間の遺伝子編集技術〞により、恵まれた遺伝子だけを選別して持つことや、思い通りの子どもを作ることが可能になった。
ガイドラインや法制度があろうとも、デザイナーベビーを肯定する思想や目的、そして技術力が存在する以上、その拘束力はどれくらい有効であり続けられるのだろうか。病気を克服したいという医療的視点もあれば、特定の組織や国に大きな利益をもたらそうと色気を持つ者もいる。それらが入り乱れ、様々な思惑がこの技術の使い途を探る。
科学の可能性と一体化する野心は、倫理観、国際的なガイドラインや法制度よりも自利を優先させる原動力となる。この原動力は、国際的な協調や倫理を乱し、それがいきすぎた先に起こる悲劇を、人類は何度となく繰り返してきた。
現代人は過去の悲劇の反省のもと、過ちを繰り返さないよう慎重な議論を重ねている。しかし、技術の進化の流れは著しく速いため、議論を重ねているうちに状況はあっという間に変化し、次のフェイズへと進んでいく。議論は常にそれを追いかけることになり、世界を守り切るための結論を出す猶予は与えられない。誰かしらの私利私欲は、常にその隙を狙っている。
生殖、生命の根源を操作する技術を手にした人類は、〝神の領域〞を侵食し始めた。最初は恐る恐るでも、次第に大胆になっていくだろう。その先に、人類にはどのような運命が待ち受けているのだろうか。
《『人類滅亡2つのシナリオ AIと遺伝子操作が悪用された未来』(朝日新書)では、制度設計の不備が招く「想定しうる最悪な末路」と、その回避策を詳述している》
●小川和也(おがわ・かずや)
北海道大学 産学・地域協働推進機構 客員教授。グランドデザイン株式会社CEO。専門は人工知能を用いた社会システムデザイン。人工知能関連特許多数。フューチャリストとしてテクノロジーを基点に未来のあり方を提言。著書『デジタルは人間を奪うのか』(講談社現代新書)は教科書や入試問題に数多く採用され、テクノロジー教育を担っている。
小川和也