那覇の国際通り、中国人観光客向けに「ドラッグストア通り」となったが......【再び、沖縄を歩いてみる〈6〉】下川裕治

那覇の国際通り、中国人観光客向けに「ドラッグストア通り」となったが......【再び、沖縄を歩いてみる〈6〉】下川裕治

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  • 更新日:2022/06/25
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国際通りの空き店舗風景

文/下川裕治 写真・動画/中田浩資

■今の那覇の国際通りを歩いてみると……

那覇の国際通り……。僕はこの通りにあまり縁はなかった。関心もなかった。はじめて那覇を訪れたとき、この通りはすでに土産物通りと化していた。家への土産物といったら、もずくやかまぼこ、島豆腐といった物が多く、買い求めるのはもっぱらスーパーだった。

一時、豆腐餻をよく買っていたことがあったが、牧志の公設市場にあった大城のオバァの店と決めていた。

よく見れば、いろんなものがあるのかもしれないが、国際通りの土産物屋には、ちんすこうにはじまる菓子類やTシャツ、琉球ガラスといったものが中心だと思っていた。僕には無縁の世界で、店に入ることもなかった。

通りをじっくり眺めるのは、バス停でバスを待つときぐらいだった。いつもにぎやかな通りだったが、足早に歩道を歩いた記憶しかない。

いまの「てんぶす那覇」あたりにあったアーニー・パイル国際劇場という映画館が国際通りの名前の由来である。「奇跡の1マイル」とのいわれる復興を遂げた通りだということも知ってる。しかし通りには、その歴史を伝えるものはなにもない。

沖縄がブームになっていた頃、国際通りで知人とばったり会うことが何回かあった。20年以上も話したことがない知人に出会っても話すことはなく、なんとなく気まずさが残った記憶がある。しだいにこの通りから遠ざかっていった理由でもあった。足早に歩くのは、そのせいかもしれない。

しかしこの通りの本質のようなものに気づいたのは、日本に外国人観光客が多くやってきた頃だった。インバウンドブームのなか、この通りを歩くと、そこかしこから中国語が聞こえてきた。はじめの頃は台湾の人が多かったが、しだいに普通話が耳に届くようになる。普通話というのは中国の大陸の公用語で英語のRを発音するときのように、舌を上の歯の裏あたりにつけて発音する音が多い。それを耳にすると、大陸からの観光客だとすぐにわかった。

それは政府の沖縄振興策のひとつだった。大陸からやってくる中国人は日本に入国するとき、ビザが必要だった。しかし入国ポイントを沖縄にすると、次回のビザを優遇する措置がとられたのだ。

それによって沖縄にやってくる中国人はかなり増えたと聞いている。しかしやってくる中国人は、沖縄についての知識はあまりもっていなかった。独自の文化をもつ島だという理解は希薄だから、沖縄に求めるものは日本だった。そこで国際通りに増えていったのがドラッグストアーやラーメン店だった。

本土でも、ドラッグストアーで化粧品や目薬、熱さまシートなどを爆買いする中国人が話題になった時期である。それを沖縄でも求めたわけだ。

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国際通り屋台村。沖縄料理が多いが、沖縄っぽくないと思うのは僕だけだろうか

ラーメンは外国人が好む日本食の代表格である。中国人もそうだった。沖縄への知識は少ないから、沖縄そばには見向きもしない。SNSで話題になったラーメン店に列をつくった。

そもそも沖縄に興味はないから、翌日には東京や大阪・京都に向かってしまう。ビザのための滞在なのだ。ドラッグストアーで買い物をして、ラーメンを食べると、もう時間はなかった。ツアーには首里城なども組み込まれていたが、意識は買い物とラーメンに集まってしまうから、なんの印象も残さなかったのだろう。

そうこうしているうちに、国際通りはドラッグストアーだらけになっていった。

「国際通りはもう薬局通りさー。それも本土のチェーン店ばかり」

那覇生まれの知人はそういったものだった。

それが国際通りというものなのかもしれないと思った。もともと戦後の闇市から発達していった通りである。節操もなく商売に走る通りでもある。売れるとなると、一気に通りは変わっていく。この変わり身の早さが国際通りのような気がした。そこに本土の資本が流れ込むことも、この通りは織り込んでいた。

沖縄の人というと、その文化を大切にする性格が強調されがちだが、商売人としての資質もかなりのものだと思う。遡れば琉球王朝を支えたのは、沖縄人の商魂という面がある。琉球王朝は中間貿易でその存在感を見せつけた。中国に貢物を贈り、その見返り品を東南アジアで売りさばく。そして東南アジアで仕入れた物品を、新たな貢物として中国に贈る。その中間マージンが王朝を潤わせていく。

その後、薩摩や日本政府によって政治や戦争に巻き込まれ、商魂を発揮する手立てを封じられてしまう。それは地政学的にいたし方のないことだったかもしれないが、沖縄の存在感は商売で発揮される面がたしかにあるような気がするのだ。

その象徴が国際通りに映ってしまう。

薬局通りと揶揄された国際通りは、新型コロナウイルスに席巻されていく。中国からの観光客はパタリと途絶え、本土資本のドラッグストアーは次々に引きあげていく。その様子は動画で観てほしい。しかし国際通りは「奇跡の1マイル」といわれた通りである。沖縄商売の象徴通りは、そう簡単には消えない。

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いまの国際通りには空き店舗が目立つ。ここは以前、ドラッグストアーだった

小雨のなかの国際通り散策。ドラッグストアーを探して歩いたが……

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下川 裕治

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