足が速い、肩が強い、動きがよい...落合博満監督を楽しませ続けた“ナンバーワン控え選手”が見せた“最後の雄姿”

足が速い、肩が強い、動きがよい...落合博満監督を楽しませ続けた“ナンバーワン控え選手”が見せた“最後の雄姿”

  • 文春オンライン
  • 更新日:2021/07/21

「高校では7回入部8回退部」「野球入学した大学は半年で中退」…天才・落合博満がプロ入りするまでの知られざる“足跡”から続く

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選手として圧倒的な実績を残し、中日ドラゴンズの監督に就任した落合博満氏は「一芸に秀でた選手を使う」という方針を打ち出し、これまで脚光を浴びてこなかった選手も積極的に起用。ドラゴンズに黄金時代をもたらした。

ここではねじめ正一氏の著書『落合博満論』(集英社新書)の一部を抜粋し、落合政権を象徴する2人の選手を振り返る。(全2回の2回目/前編を読む)

◆◆◆

思い出のブランコ

私は落合の、8年間の監督生活のなかで、トニー・ブランコ選手のことをかなり強烈に覚えている。ドミニカ共和国出身で、森ピッチングコーチがドミニカまで出かけていって探してきた選手である。

ブランコ選手が来日したのは2009年であった。そのシーズンの中日は、前半こそBクラスをうろうろしていたが、後半戦になってぐいぐい追い上げ、喜ばせてくれた。

歳は28歳、身長188センチ、体重102キロ。筋肉質のがっちりした体格で打つわ、打つわ、どデカいのをガンガン飛ばす。

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©文藝春秋

なかでも驚いたのは5月7日、対広島戦で前田健太から打った、ナゴヤドームの天井スピーカーを直撃する一発であった。あれはすごかった。私が見た打球のなかでは最高であった。天井スピーカーの高さは50メートル、推定飛距離160メートル。あんな打球をバカスカ打たれたら、対戦投手はたまらないものだ。

しかも、その翌日、東京ドームでの巨人戦で今度は左中間の看板の上を直撃する特大ホームランを打った。この2本のホームランで薄情な中日ファンである私は、去年までいたタイロン・ウッズと中村ノリ(紀洋)をさっぱり忘れてしまった。

打撃練習見にナゴヤドームへ

そんなわけでブランコ選手のホームランにすっかり魅了された私は、一度ナゴヤドームであの超特大ホームランを見たいものだと願っていたのだが、すぐにチャンスが訪れたのであった。

ナゴヤドームのチケットが2日続きで手に入ったのだ。試合開始前に行われるブランコ選手の打撃練習を、どうしても見たかった。

中日の打撃練習は開門前に行われるために、ずっと見ることができなかったのだが、ブランコ選手が入団してからは、練習とはいえあのホームランをファンたちに見せないのはもったいない、ということになって、1日300名限定で見学できる日を設けることになった。落合監督のときには、こんなファンサービスもちゃんとやっていたのだ。

当日、私が列に並んだのは午後2時半であった。夏休みとあって、親子連れがたくさん並んでいたのだが、運よく300名のなかに入ることができた。

ほかの選手には申し訳なかったが、この日だけはブランコ以外の打撃練習を見ていても上の空であった。ブランコ早く! ブランコ早く! と、ブランコ選手が登場するのを待ちこがれていた。

ブランコ選手は、その4日前のヤクルト戦で左肘に死球を受けて途中退場していた。その左肘の怪我の具合も気になっていた。

落合監督の現役時代を彷彿とさせるフォーム

球場がざわつき始めた。待ってました! ブランコ! いよいよブランコ選手の打撃練習が始まった。やっぱり左肘を気にしているようで、思いっきり引っ張らずに軽くライト打ちに徹している。

力を入れずにライト方向に打つのだが、それがそのままライトスタンドにぽんぽん入っていった。私の目から見ても、ブランコの調子は落ちている。その落ちた調子を上げるには、本気モードになってガンガン打ってはいけない。軽くライト打ちに徹するのがよいのだと、ブランコ選手はわかっている。軽く、軽くと自分に言い聞かせながら打っている。

ライト中心の打撃がだんだんセンター中心になってきた。バットの振りが強くなってきた。

体が前に突っ込まず、そのままくるっと回転するように打った。落合監督の現役時代を彷彿とさせるフォームであった。

そういえば、落合監督の現役時代のホームランはふわっとボールが上がって、ホームランだと確信を持つまでに時間がかかった。

日本人野球の匂い

だからといって、観客席最前列にギリギリで入るせこいホームランではなかった。省エネホームラン、余計なエネルギーは使いたくない、というホームランであった。爪楊枝でゴマを弾くように打っていた。まさしく日本人野球の匂いがしたのだ。

ブランコ選手からは、体格は目を見張るほど大きいのだが、不思議に日本人野球の匂いがしていた。落合監督に引きだしてもらった自分の素質をどうやって磨いていけばよいのか、ああでもない、こうでもないともがいていた。

その証拠にブランコは、三振数はかなり多いが、気を抜いたスイングを見たことがない。

そのことを落合監督はわかっているから、不調のときもブランコを四番から外さなかったのであった。

打撃練習のあとで始まった試合は、チェン・ウェイン(2020年末、阪神タイガースと契約)の好投で中日が勝ったものの、ブランコは残念ながら内野ゴロばかりで、ホームランは見ることができなかった。だが、私にとってブランコは中日の外国人選手のなかで落合監督と一番つながりの深い選手であった。

落合博満を楽しませた男

落合が中日の監督のときに、蔵本英智という選手がいた。後に苗字を外し、英智と登録名を変えた。中日の選手のなかでは体の大きな方ではなかったが、肩が強いし守備が上手だった。落合が監督になった1年目から、守備固めで9回から試合に入っていた。その試合の流れで、外野のポジションはどこになるかわからない。

9回に英智が守備固めに入ると、不思議と英智のところへ難しい球が飛んでくる。英智はそれを軽く捌く。いやいや、ギリギリで飛び込んでキャッチすることもあるし、ホームにノーバウンドで返球してタッチアウトにすることもある。

ともかく足が速い。肩が強い。動きがよい。躊躇しないで飛び込んでいく。

しかし、ときには失敗もある。ランナーがいて、レフト前ヒットを打たれたときに、英智はホームで刺そうと前に突っ込んだ。だが、そのまま股下を抜かれサヨナラ負け。悔しがり方は半端なかった。膝をついて、しばらく立てず、本当に悔しがっていた。

それでも、英智は1回きりの出番で、見せ場をつくるのだ。落合はその才能を見抜いて、必ず使う。迷いなく使う。

欠かせない存在

英智は、落合の計算通りに動いてくれる控え選手のナンバーワンである。自分の役割を充分に果たした選手だ。落合の守りの野球では欠かせない存在であった。

英智はときどきバッターボックスにも入った。テーマソングはザ・ハイロウズの「日曜日よりの使者」と、RCサクセションの「雨あがりの夜空に」である。

英智は脚が細くてスタイルがよく、顎に鬚をたくわえ、一見、野球選手には見えない。ロックンローラーのような風貌にも見える。ふたつの曲で自らのテンションを上げマイナス・オーラを吹き飛ばし、観客に元気潑剌としたプレーを見せるのが、自分の使命だと信じているのだ。

ではなぜ、英智はそういうプレーを観客に見せたいと思うのか。それは、落合監督が彼にそういうプレーを期待していたからだ。英智は、どんなときも落合の期待に応えたかったのだ。

落合と野球ができる幸せ

英智は子どもの頃から落合のファンであった。その落合が中日の監督になったときに、一番喜んだのは英智であった。落合の存在が身近になることで、野球が楽しくて楽しくて仕方がなかった。落合と野球ができる幸せを感じて野球をやっていた。

この英智が2006年、2試合連続でお立ち台に上がったことがあった。

1試合目のお立ち台では、

「代えられるんじゃないかと、ベンチを4回見たのですが、自分の音楽が鳴りだしても(落合)監督がベンチから出てこないから、これは代えられないと思ったので、頑張りました」

2試合目のお立ち台では、

「今日は監督に代えられない自信がありました。バッターボックスでちょっと間を外したのは、いい打者はこんなふうに間を外すことがあるな、と思って。それがよかったです」

と、言っていた。

英智のなかには、いつも落合監督がいるのだ。落合監督にファインプレーを見せたいのだ。いつも、落合の照り返しを受けながら野球をやっているのが、本当に楽しそうだった。

母親のために、ライトスタンドに向けて遠投

2012年、英智の引退セレモニーは最高であった。恐らく何も考えず、その場で即興の挨拶をしていたが、本当に言葉が生き生きしていた。

2011年に監督を退いていた落合は、この引退セレモニーにはいなかった。

英智はセレモニーの最後、一度も試合を観にきてくれなかった母親のために、ライトスタンドに向けて遠投した。彼は、このシーンを落合監督に球場で観て欲しかったにちがいない。

英智は最後の最後まで、落合の期待する見せ場をつくった選手であった。そう言っても過言ではない。

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(ねじめ 正一)

ねじめ 正一

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