門田博光さんを悼む 江本孟紀氏「門田は打撃の求道者。天国では野村さんと打撃談議を...そしてまた、譲らないのだろう」

門田博光さんを悼む 江本孟紀氏「門田は打撃の求道者。天国では野村さんと打撃談議を...そしてまた、譲らないのだろう」

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  • 更新日:2023/01/25
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リーグ優勝を果たし、野村監督(左)にビールをかける門田さん(中央)=1973年10月撮影

南海、ダイエー、オリックスでプロ野球歴代3位となる通算567本塁打を放った門田博光(かどた・ひろみつ)氏が死去した。74歳だった。サンケイスポーツ専属評論家の江本孟紀氏(75)は24日、同学年の門田氏の急死を悼み、特別寄稿。南海(ソフトバンクの前身球団)でチームメートだった故人との記憶を披露してくれた。

また同学年の仲間が逝った。思えば半世紀以上前からの顔なじみ。門田のような強打者がいたから、われわれ投手も進歩できたと感謝している。

私が東映でプロ入りした1971年に、南海2年目の門田と対戦した。もっぱら敗戦処理だったこちらと違い、むこうは打率・300、31本塁打。打たれたことしか覚えていない。翌72年、南海へ移籍してから4年間は、チームメート。さらなる強烈な印象を持ったものだ。

体は決して筋肉質とはいえない。むしろ太っていた。その分、柔軟性があり、手首の返しも強かった。そのため、バットスイングがとにかく速い。当時、南海で監督兼捕手兼4番の野村克也さんを上回っていた。バットの風を切る音が、聞こえたくらいだ。

しかも、測ったようなレベルスイング。バットのヘッドがブレることはない。ストレートを、真っすぐのスイング軌道で打ち返す。今でも打撃の手本にしてもらいたいほど、技術にたけていた。

体形に似合わず…というか、守備もうまく、肩も強かった。試合で大きなミスをした記憶はない。足もまずまず速い。間近で見ていた限り、三拍子そろっていた。

■1日にコーラ10本

ただ、いかんせん、コーラを飲みすぎる。1日10本! トレーナーらによる講義で「コーラにどれくらいの砂糖が入っているのか」などと、やり玉にあげられていた。

野村さんからは、私と江夏豊と並び、「南海の三悪人」と呼ばれた。ひとの言うことを聞かないからだ。

「ホームランはヒットの延長やで」と説く野村さんに対し、「監督はズルい。ホームランを狙っているはずでしょう」と言い返し、あくまで本塁打にこだわったのは有名な話。それができたのも、あのスイングがあればこそ、だった。

付け加えておくと門田は、私と違い、極悪人ではない。いわば打撃の〝求道者〟。それゆえ〝孤高の人〟。したがって、プライベートでの接点はほとんどない。もうずいぶん前に、野村さんをテーマにしたテレビ番組で、江夏とともに共演したのが最後だ。

たぶん天国では、野村さんと打撃談議を蒸し返すのだろう。そしてまた、譲らないのだろう。プロ野球の一時代を担った門田には、「悪人」を貫き通す資格があると思う。(サンケイスポーツ専属評論家)

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