「ウンコは汚い」?社会から切り捨てられない「汚物の歴史」

「ウンコは汚い」?社会から切り捨てられない「汚物の歴史」

  • 文春オンライン
  • 更新日:2021/01/14
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『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか――人糞地理学ことはじめ』(湯澤規子 著)ちくま新書

いつの時代も子供には絶大な人気があるが、いつからか「汚物」として退けられるウンコ。だが、ウンコは果たして汚いのか?

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現代では当たり前のように「ウンコは汚い」とされるが、汚い/汚くないという評価は、それに向き合う主体の価値判断から生まれるものだ。本書はその「当たり前」に疑問を呈し、私たちの世界の認識と社会の在り様を問う。

「ウンコは『うん』といきばる音に接尾語の『こ』がついて親しみ易い響きですが、字面は無味乾燥です。一方、漢字の『糞』は語源的に『畑に両手でまく』ことを意味するという説があり、『屎』は屍を意味する『尸』と『米』から成ります。肥料として畑にまくのか、米の屍として処理するのか。字義一つとっても、人間の向き合い方の差が表れています。また、水洗トイレの普及と和式から洋式への移行により、ウンコに向き合う機会が減った今、多くの人が無味乾燥なのっぺらぼうの存在として捉えているのではないでしょうか。本書では、ニュートラルな片仮名表記のウンコを入口に、『汚物』の一言で切り捨てられる前のウンコが背負っていた多様な意味と役割を描きたかった」

著者の湯澤規子さんは、愛知県をフィールドとした織物業の研究に取り組む最中、とある工場で働く女工たちの糞尿の売買取引を記録した史料に出合った。それを機にウンコの歴史について考え始めたという。

「女工たちの糞尿は農村に売り渡され、引き換えに大根や卵が納入されていました。それらの食材は調理されて食卓にのぼり、女工たちが織物業に投下する労働力になる。その史料から、かつて工業と農業の間に成立していたウンコを中心とする交換・循環のシステムが見えてきました」

日本では近世から人糞尿が肥料として利用され、商品として活発に取引された。しかし近代になると都市への急激な人口流入によって、下肥(しもごえ)として土に還せる許容量を超えた排泄物が集まるようになる。ウンコは「商品」から「廃棄物」になっていった。高度経済成長期以降は更なる人口増加に伴う「超大量排泄時代」に突入する。

「近代以降、東京などの都市に人口が集中し、人々の胃袋を満たす食料を大量生産・大量消費する時代が到来しました。大量に食べることは大量に排泄することでもあります。都市は大量排泄とセットであり、各地域の清掃行政は膨大なコストと労力をかけてそれを制御している。排泄という観点から見ると、都市生活は非常に微妙なバランスの上に成り立っています。地球温暖化やSDGsなどを論じる前に、自分の身体を通して『生きる』ということを考えてみてもいいのではないでしょうか」

下肥利用や屎尿処理の歴史を辿り、最終章ではゴーギャンやボーヴォワールの思想に触れながら歴史的、文化的、社会的に形成された「汚名(スティグマ)」による差別や排除の構造について考える。

「社会のなかで汚名によって退けられてきた物事は、ウンコに限りません。ボーヴォワールは『人は女に生まれるのではない。女になるのだ』という言葉を残しましたが、ジェンダーもウンコも先入観を捨てて考えてみると世界が違って見えてくるはず。その意味で、ウンコは私たちの社会を逆照射する光なのです。

本書のタイトルは『ウンコ』の部分に他の言葉を当てはめても成立します。結論を手渡さない結末になっているので、読者の皆さんが新たな問いを立ててくだされば嬉しいですね」

ゆざわのりこ/1974年、大阪府生まれ。法政大学人間環境学部教授。筑波大学大学院歴史・人類学研究科単位取得満期退学。博士(文学)。明治大学経営学部専任講師、筑波大学生命環境系准教授を経て、現職。著書に『胃袋の近代――食と人びとの日常史』など。

(「週刊文春」編集部/週刊文春 2021年1月14日号)

「週刊文春」編集部

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