「世界記録なんて大したことじゃない」衣笠祥雄が現役時代、最高に歓喜した瞬間とは?

「世界記録なんて大したことじゃない」衣笠祥雄が現役時代、最高に歓喜した瞬間とは?

  • マイナビニュース
  • 更新日:2021/07/21
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1987年6月13日、広島市民球場での中日ドラゴンズ戦で連続試合出場の世界記録を達成した「鉄人」衣笠祥雄。17年間、休むことなく試合に出場…そこに至る過程には、さまざまな苦難があった。

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度重なるデッドボール、極度の打撃不振…それでも彼は常に前を向き試合に挑み続けた。3年前に他界したレジェンドにとって野球とは何だったのか? そして、鉄人が最高の歓喜をおぼえた瞬間とは?
○■「デッドボールは仕方がない」

23年間の現役生活で衣笠祥雄は、161のデッドボールを喰らっている。
これは日本プロ野球界において、清原和博(西武→巨人→オリックス)196、竹之内雅史(西鉄・太平洋クラブ→阪神)166に次ぐ歴代3位の記録だ。
だが、ぶつけられた衣笠が相手投手に対して怒りを露わにするシーンを見た記憶がない。それどころか謝る相手投手に掌を向けて「大丈夫だから」と合図を送っていた。骨折に至る大怪我を負った時でさえもジッと耐えていたのを思い出す。

「悪意を持ってぶつけてくる投手はいません。私は、そう信じています。相手は打たれたくないからギリギリのコースを狙って投げて来るし、私も向かっていくタイプ。だから当たることもある。逃げ方もいろいろと研究したけど、それでも避けられないこともあった。デッドボールは仕方がない」
現役引退後に、衣笠はそう話していた。

2215試合連続出場─。
1970年10月19日、後楽園球場での巨人戦に衣笠は一塁手として途中出場した。一度だけ回ってきた打席では三振。この日から現役を引退する日(87年10月22日、大洋ホエールズ戦)までの17年間、一度も彼休むことなく彼は試合に出続けた。これは当時の世界記録(1996年6月にMLBボルチモア・オリオールズのカル・リプケン・ジュニアが更新)だ。

グラウンドで闘っていれば、スランプに悩まされることも怪我に見舞われることもある。
衣笠も幾度もピンチに陥った。83年には死球で左手の親指を骨折。また、シーズン半ばに打率が1割台に低迷する絶不調も経験した。そんな中での最大の危機は、プロ15年目の1979年夏に負った大怪我だったであろう。
○■骨折に負けずフルスイング

79年8月1日、広島市民球場での巨人戦。7回裏に相手投手・西本聖の制球が乱れに乱れた。三村敏之、萩原康弘に連続してデッドボール。その後に、衣笠は打席に入った。ここで惨劇が起こる。
足を高く上げて西本が投じたシュートが、衣笠の左肩を直撃したのだ。
カラダを回し対処するも避けきれなかった。倒れ込んだまま動かない。3連続死球に怒った広島の選手たちがベンチから飛び出す。両軍入り乱れての大乱闘。そんな中、表情をゆがめながら立ち上がった衣笠は、広島市内にある久安外科へと運ばれた。

エックス線検査の結果、左肩甲骨亀裂骨折が判明。全治2週間と診断される。
「肩にボールの縫い目がクッキリと残っていた。かなりの衝撃があったと思う。安静が必要、明日の試合出場は無理です」
久安徹医師は、衣笠本人及び球団にそう告げた。

激痛が収まらない。衣笠は何度か嘔吐もし、その夜は眠ることができなかった。
この時点で連続出場試合の記録は1122。かつて南海ホークス、国鉄スワローズで活躍した飯田徳治の持つ日本記録1246まで、124試合に迫っての惨事。
「残念だが、この怪我じゃ仕方がない」
球団関係者もファンも、記録は途絶えたと思った。
だが翌日、衣笠は球場に姿を現わす。この日の巨人戦でスタメンに名を連ねることはなかったが、7回裏にピンチヒッターとして打席に入った。スタンドからは敵味方関係なく大声援が送られた。

マウンドに立っていたのは江川卓。
3球、アウトコースのストレート勝負だった。衣笠は、すべてフルスイングし三振に倒れる。当時を振り返って彼は言った。
「そりゃ痛かったけど、打てると思って打席に入った。でも駄目だったね。無意識のうちに左肩をかばってしまっていた。その分、アウトコースのボールに対応できなかった。
ただ、試合に出させてもらったことには感謝している。もしあの日休んでいたら、記録は作れなかったし、もっと早く引退していただろうね」

あの三球三振の後に衣笠が、こうコメントしたとも実しやかに言われている。
「1球目はファンのために、2球目は自分のために、3球目は西本君のためにフルスイングした」
カッコ良過ぎはしないか。2015年に本人に確認してみた。
「もう忘れたよ。言ったかもしれないし、言ってないかもしれない」
そう言って鉄人は笑っていた。

その後も衣笠は試合に出続け翌80年に日本記録を達成。それから7年後の87年6月には、連続試合出場が2131に到達、ルー・ゲーリック(元ニューヨーク・ヤンキース)を抜き世界記録を樹立したのである。そして、この年限りでユニフォームを脱いだ。

最後に、私が一番好きな<衣笠の言葉>を紹介しておきたい。
「現役生活で一番嬉しかったことは?」
そう尋ねた時の答えだ。
「そりゃあ(75年の広島カープ)初優勝だよ。私は連続試合出場の記録を作ったことで注目された。
でも、世界記録なんて大したことじゃない。打てない時でも試合に出してもらえたから作れたんだ。野球は個人記録のためにやるものじゃない。チームが勝つために、優勝するために妥協なくやるもの。75年の初優勝、あの時の喜びに勝るものはなかった」

文/近藤隆夫

近藤隆夫 こんどうたかお 1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等でコメンテイターとしても活躍中。『プロレスが死んだ日。~ヒクソン・グレイシーvs.高田延彦20年目の真実~』(集英社インターナショナル)『グレイシー一族の真実 ~すべては敬愛するエリオのために~』(文藝春秋)『情熱のサイドスロー ~小林繁物語~』(竹書房)『ジャッキー・ロビンソン ~人種差別をのりこえたメジャーリーガー~』『柔道の父、体育の父 嘉納治五郎』(ともに汐文社)ほか著書多数。
『プロレスが死んだ日 ヒクソン・グレイシーVS髙田延彦 20年目の真実』(集英社インターナショナル) この著者の記事一覧はこちら

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