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「あやうく有観客になるところだった」なぜ矛盾だらけの五輪が開催されるのか

「あやうく有観客になるところだった」なぜ矛盾だらけの五輪が開催されるのか

  • PRESIDENT Online
  • 更新日:2021/07/21

東京オリンピック(五輪)・パラリンピックは、開催への批判が高まる中、5月から7月にかけて「観客上限1万人」「5000人」「無観客開催」と揺れました。そうしたさなかの6月のある日、河崎環さんは出演したワイドショーで猛烈な違和感を持ったといいます――。

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写真=時事通信フォト東京五輪の1都3県での無観客開催が決まり、記者団の質問に答える菅義偉首相。2021年7月9日午前、首相官邸 - 写真=時事通信フォト

「1万人で有観客」にドン引き

「太平洋戦争って、たぶんこんな感じで始まったんだろうなぁ」

朝の情報番組に出演したその日、私は「瞬きしたら世間はこんなことに」と、ちょっとした浦島太郎もいいところだった。その日の大ネタは、改訂された東京五輪・パラリンピック「プレイブック第3版」。

既に開催強行の段階でさんざん批判が噴き出していたのに、当時大会委員会が「1万人を上限とした有観客での開催を目指す」などと腰を抜かすほど突拍子もないことを言い出したために、ワイドショーも五輪の感染予防対策の内容に焦点を当てたのだ。

疫病の世界的感染拡大という異常な状況にありながら、開催都市・東京や開催国・日本が控えめに申し出る意向に全く耳が傾けられない。何があろうとも世界中から選手や関係者を受け入れて「今夏もう絶対開催デス。何か文句ありマスか? 聞きませんケド」という、日本にいない(しかも我々が直接選んだわけでもない)どこかの誰かさんたちによる無茶で理不尽な結論ありき、の開催強行。

国内弁慶のわりに外交では空気読んでスゴスゴ帰ってきちゃうキャラの日本の政治家は、世界中の新型コロナウイルスの変異株を集めて出会わせ、東京という鍋の中でグツグツ煮込んでまた誰も見たことのないスーパー変異株を生んじゃうかもしれない「夏の自由研究」を「ハイします」というとんでもない貧乏くじを引いてきた。それを国民の前ではレガシーだ、人類の疫病克服の証しだ、(そういえば)復興五輪なんだと、借りてきた語彙を総動員して精いっぱいに強がるから痛々しい。

国内1万人を上限に有観客開催、との発表(6月16日当時)。日本国民ではないどこかの誰かの利益や思惑を最大限に尊重して妥協に妥協を重ねたつぎはぎだらけの方針に、「有観客? 冗談でしょ」「ばか言ってんじゃないよ」「ワクチン接種スピードにちょっと弾みがついた途端、調子に乗ったな」と、私も私が知る人々も漏れなくドン引きしていた。

「もうやるって決まったんです」の同調圧力

海外から来日した選手団を隔離するロジスティクスを指す「バブル方式」なる言葉がいつの間にか常識であるかのように大手を振って「バブル方式で国民の安心安全を」「バブルに本当に穴がないか心配ですよね~」とバブルバブル連呼されており、「私にとってバブルなる言葉が意味するものは、90年代初頭に無惨に弾けたやつですけど?」と違和感満載で聞いていた。

五輪に詳しいというスポーツジャーナリスト氏が「もうやるんですよ、決まったんです、有観客です」とばかりのテンションでスラスラと新版プレイブックを解説し、それに誰も異論を挟めないまま、当惑のうちに朝の情報番組が進んでいく。「もうやるって決まったんです」の空気に、「えっ、世の中ってもうそっち賛成に舵を切ったの? せめて無観客じゃないの?」とびっくりして口をつぐんでしまったダサい私は、「何も言えなかった自己嫌悪」でひとりゲー吐きそうなほどの敗北感に打ちひしがれて帰った。

角を立てません、とその場の全員が「大人らしくわきまえた」配慮というか忖度(そんたく)の結果、表舞台できちんと反論されなかった無茶なアイデアが事実として「発進」していく。地上波全国放送で、いろいろな世代や性別の人が見る朝のワイドショーで、一時的ではあっても「(ノーダウトに見える)五輪有観客開催」が流れたことに、私は恐怖を感じた。「無茶」にきちんと反論しないことが、それをいつの間にか「既成事実」に成長させてしまうプロセスを見た気がした。

お互い顔を見合わせて忖度する「常識的な社会」。日本の太平洋戦争はこうやって、みんなが「えっ本当に? 本当にやるの?」って思う中で地滑りみたいに始まっていったんだな、と思っていたら、ネットでも同じように違和感を感じた人たちが沸騰していて、ああこの気持ち悪さは自分だけじゃなかったのかと、ちょっと安心した。

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写真=iStock.com/ebico東京五輪・パラリンピックのメイン会場となる国立競技場 ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ebico

忖度してる場合じゃない

7月9日、一転、感染再拡大の影響で、東京など1都3県ではすべての会場で無観客開催が決定。五輪を無事開催するために緊急事態宣言しておきながら有観客開催だったらメッセージがブレすぎている、そりゃそうだよ無観客だよ、というのが私の感想である。

あのいっとき有観客に振れたのも、一種IOCへのアリバイづくり——僕らも有観客開催の可能性はもちろん探ったんですけどね、的な——じゃなかったのかと邪推したくらいだが、政府はメンツを立てるためにかなりギリギリまで有観客に固執していたとの報道もあり、本気だったのかとむしろ驚く。だが無観客支持の世論が秋の総選挙を人質に取って沸いたため、断腸の思いで都市部の無観客転換に至ったというから、沸いただけの効果があったのだなぁとかみ締めた。

あまり普段「ネットのチカラ」のようなものを過大評価しないようにしているのだけれど、今回は「なるほど、戦前と違ってネット社会であること、一般の人が意見を表明できるSNSがあるということは、忖度型の地滑りを阻止できるってことだな」と感じた。

実名や実社会では角を立てづらい日本人も、SNSや記事コメントでなら雄弁だ。みんな、自分の意見を持っていないわけじゃないのである。「教師が聞きたくない発言は私語扱い。だから私語禁止! 静かに!」と、口を開けない教育を長らく受けてきてしまっただけなのである。

実社会で口を開けないなら、ネットでいい、どこかに残さないと。SNSですら人の顔色見て忖度してる場合じゃなくて、意見はどこかでちゃんと言っておかないと、アウトプットしておかないと、そんな意見は存在すらしなかったことになる。議事録に「反対意見なく満場の一致」と書かれて採決される歴史を繰り返している場合じゃないのだ。

2020年、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大のため東京五輪延期。2021年、ワクチン接種普及への注力が一定の効果を見せ、無観客で東京五輪開催へ。あの夏の正解も、この夏の正解も、誰もわからないけれど、この時代を生きる自分たちなりに考えたことを必ずアウトプットして歴史の議事録に残すことは、きっと諦めちゃいけないんだと思う。

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河崎 環(かわさき・たまき)
コラムニスト
1973年、京都府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。時事、カルチャー、政治経済、子育て・教育など多くの分野で執筆中。著書に『オタク中年女子のすすめ』『女子の生き様は顔に出る』ほか。
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河崎 環

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