私は「〇〇大学の英語ペラペラちゃん」じゃない。学歴じゃなく、私を見て

私は「〇〇大学の英語ペラペラちゃん」じゃない。学歴じゃなく、私を見て

  • かがみよかがみ
  • 更新日:2021/02/22
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はっきり言う。私は経歴だけ見れば、ハイスペックだ。

大学も結構いいところへ行っている。海外に住んでいた関係で、TOEICの点数も高い。

そんな私は履歴書という紙切れが大嫌いだ。

あんな経歴だけで人を判断するものに何の意味があるのだ。

バイトの応募で提出するたびに、

「え!?」

「すご…」

「今度〇〇大学の英語ペラペラちゃんが入ってくるんだって」

私の名前は”〇〇大学の英語ペラペラちゃん”じゃない。

おまけに私は自分の知らない世界を見ることが好きであるため、家庭教師や英会話教室など、経歴を生かせるようなところで働かない。

海外留学に行かせてくれた理由を両親は「娘だから。息子ならOKしない」と答えた

「〇〇大学すごいね」というワードに敏感になった

就活をしていたときに、SNSで

「私はFランだけれど、高学歴の人には負けない!」

「今日高学歴の人たちとグルディスをしたけれど、すごいマウントを取られた。やっぱ高学歴層はだめだ」

というつぶやきをしょっちゅう見かけた。

別に自分のことを言われていたわけではないけれど、きっと私がその場にいたら”高学歴の人”にまとめられていたのであろう。

私はもう見るに耐えなくなり、SNSをやめた。

「〇〇大学すごいね」「英語ペラペラだね」と言っている人たちも大したことを考えずに言っているのであろう。いわゆる社交辞令。「芸能人と知り合いなの!?すごい!」というコメントと同じ。

でもそれを何回も何回も言われている私にとって、それは敏感にならざるを得ないワードとなった。

本当はすごく頑張って入った自慢の大学

では逆に「すごいでしょ」と誇りに思えば?という人もいるかもしれない。

だが考えてみてほしい。

小学生の頃、テストの点数が良いことを自分から言う、勉強が得意だと言うと、どういう目で見られたか。

運動ができる子はすごいと囃し立てられ、できない子は蔑まれる。

でも勉強ができる子は異色の目で見られ、できない子に対しては「勉強が全てではない」と慰められる。

そんな私は美容室などで大学を聞かれても、答えなくなった。

本当はすごく頑張って入った大学。大好きな自慢の大学。

とても良いところだとみんなに話したい。

でも世間がそんなことを許さない。

次第に、自分も大学名を蔑むようになってきた気がする。この間、自分の大学名を言う機会があったとき、一瞬言葉に詰まり、嘲笑気味に言ってしまった。

悔しい。これでは周りの偏見を持っている人と同じではないか。結局私も社会に流されるのか。

どうか経歴だけで人を判断しないでほしい

だから皆さんに伝えたい。どうか経歴だけで人を判断しないでほしい。その人自身を見てほしい。そして最初は「すごい」「〇〇大学なんだね」と言いたくなる気持ちを抑えてほしい。

あと”英語が喋れる=留学をする、海外で働く”では必ずしもないことを理解していただきたい。

これも何百回も言われてきた。あまりに言われすぎて渋々短期留学をしたが、無意味に終わって時間とお金を無駄にしただけであった。

帰国子女は親の都合で海外に住んでいただけだ。みんながみんな海外大好きというわけではない。それこそ肩書きによる偏見だ。

「なんでそんなに言葉一つに突っかかるの?」「自意識過剰じゃない?」と思われる人もいるかもしれない。

それもそうかもしれない。

でもこう思わせたのは何年にもわたって、何百回も同じ言葉を聞いてきたからだ。

最初は「こういうものだ」「むしろ褒められて嬉しい」と思っていたことも、次第に鬱陶しくなってくる。

だからどうか皆さんは、少しでも苦しみを分かってほしい。切なる願いである。

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