私の部屋への侵入者は認知症の祖父。恐怖と隣合わせだった高校時代

私の部屋への侵入者は認知症の祖父。恐怖と隣合わせだった高校時代

  • かがみよかがみ
  • 更新日:2021/02/22
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私は、亡くなった祖父にこう謝りたい。謝りたい。

「大嫌いでした、ごめんなさい。そしてありがとう。」

私が高校1年次のある晩、打ち込んでいた部活の朝練の為に朝4:00には起きなくてはと言う焦燥感に駆られながらベッドに横たわった。夜中の2:00頃、私は突然起きてしまった。部屋のドアがいきなり開く音が聞こえたからだ。最初私は「泥棒……?まさか……。でもやけにゆっくりとした足音だ……。」と考えていた。そして気づくと、そのゆっくりとした足音が私の足の辺りで止まり、私の足をさすり出した。大声を上げたくても恐怖で声を発せない。そんな張り詰めた状況の中、丁度父がトイレで部屋を出て、私の部屋が空いているのに気付いてくれた。

「何やってるんだ!父さん!」父はそう叫んだ。そう、その私の部屋に入ってきた不快な不審者は、同居していた父方の祖父だったのだ。

仕事が続かない私に、祖父がくれた魔法の言葉。「そんな完璧な人間にはなれない」と思っていたけど

祖父の部屋は私の部屋の斜め前にあり、祖父にとってはとても入りやすい部屋だった。父と母の部屋は三階にある為、トイレのある2階に両親のどちらかが来ない限り、祖父の侵入行為に気付くことはなかった。

祖父は当時、認知症を患っていた。だからか、昼夜問わずよく徘徊していた。家中そしてひどい時には、隣の市まで行ってしまい、行方不明にまでなった。 そんな祖父は幾度となく私の部屋へ「侵入」し、その度に私は起きてしまい中々眠りにつけない日々を送っていた。

その事件が私のトラウマとなり、次第に私は「不眠症」に悩まされる日々を送る事となった。祖父が侵入してくるのが、とても怖かった。当時は怖いという言葉も発せない程、恐怖におびえていた。

これはまずいと母と父は私の部屋に内側から鍵を付けてくれた。そして父は1階に祖父がよく徘徊しに来るとの事で、毎日1階のリビングに寝るようになった。父は祖父を介護老人施設へ入れようとしたが、このご時世、殆どの施設は人が一杯だった。やっと見つけた施設は、私が恐怖の体験をしてから約2年後、祖父の認知症レベルが上がったというのもあり、優先的に施設へ入る事が出来た。施設に入るまでの約2年間、つまり私の黄金青春期であった高校1~3年までの間、家族そろって精神的にも身体的にも辛かった。

徘徊癖が治らずしょっちゅう行方不明になり、まともに運転も出来ないのに運転をして事故を起こしてしまったり、おまけに風呂に入れと言っても入るのは3日に1回。祖父が近くに通ったら鼻を塞ぐしかなかった。

幼かったころの私と祖父の思い出。素敵なんかではなかった

「私が幼かったころの祖父はどこへ行ってしまったのだろう。」ずっとそう思っていたが、よく思い出したら素敵な思い出なんかではなかったと気づいた。

私が小学生の頃、両親は共働きであった為学校から帰っても家にいない事が多かった。一人で家に帰り、祖父の部屋へ遊びに行っては、よく祖父は昔の武勇伝を私に聞かせた。「俺は学校一喧嘩が強かった。」「先生に喧嘩を売った。」なにが「武勇伝」だ。祖父がその話しを意気揚々と話している時、私は「ただのいじめっ子だろ。」そう心の中でつぶやいていた。

だがそんな祖父でも、両親は見捨てなかった。施設へ行った後も2週間に一度は施設へ面会をしに行き、急病で倒れた際にもずっと病院でつきっきりだった。

恐怖の体験から4年後、祖父が他界。私は祖父を見送らなかった。

祖父が私の部屋へ侵入してきて約4年経った日に、祖父は他界した。突然だった。ろくにお見舞いにも行っていなかった私は、悲しさと言うよりも「あぁ、そういえば。」としか感じていなかった。お葬式の日、私は適当な理由を付けて行かなかった。父が私に気を使って、「大丈夫。あの日以来Emmaは一言もおじいちゃんと話してないでしょ。話せなかったでしょ。無理しないで。」と言ってくれた。

常識的に考えて肉親の祖父のお葬式は行かないなんてあり得ないが、当時私は祖父に対してとんでもなく憎悪を抱いていた為、最後も見たくなかった。お葬式後、私は母に、「何であんな奴の事面倒見てたの、死に際だけ面会できればよかったじゃん。」と言い放つと、「おじいちゃんはEmmaのお父さんのお父さんなんだよ。Emmaのお父さんがもし、ああなっちゃったらそう簡単に見捨てられる?」と言われた。

私は父が大好きだ。いつも私の味方である父をそんな簡単に見捨てられるわけがない。そう考えると、私の知らない、父と祖父のストーリーがあるのだと気づいた。父が幼少期の頃、もしかしたら祖父は頼りがいのある良いお父さんだったのかもしれない。ずっと味方でいてくれるお父さんであったのかもしれない。

大嫌いだったおじいちゃんへ。遅くなったけれど、ごめんなさい。そしてありがとう

私は今、祖父の眠っているお墓の前で大泣きをしている。せめて、せめてでも、お葬式には参列して、祖父の顔を見ればよかったと。あんなに嫌いだった祖父ではあるが、両親と遊べない寂しさを少しでも埋めてくれた祖父に、感謝は伝えたかった。認知症は仕方ないと考えればよかったと。

もう今は何を言っても遅い。ただただ、毎回実家へ帰った際に、祖父のお仏壇の前で手を合わせる事しか出来ない自分が悔しい。なんて薄情であったのかと。どんなに憎い人でも、人間である限り、心のどこかに「美しさ」は残っているはずだ。

そう信じて私は今日もお仏壇の前で祖父に伝える。

「大嫌いでした。ごめんなさい。そしてありがとう。」

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Emma

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