
「仮面ライダー 本郷猛の真実」著者・藤岡弘、(ぶんか社)
いつまでも仮面ライダーでいるわけがない?
2023年3月17日より、映画『シン・仮面ライダー』が絶賛公開中です。これを機に、1971年にスタートした『仮面ライダー』を、DVDや動画配信サービスで見返した人、あるいは初めて観た人も多いでしょう。見続けていると、第66・67話に違和感を覚えた人も必ずいるはずです。理由は、主人公の本郷猛がほとんど画面に出てこないからです。
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ただ、姿は出てきませんが、ドラマは本郷がどこかで動いている設定で進行します。それ以前にも、本郷役の藤岡弘、さん(当時は「、」なしの芸名)が、第9・10話のロケ中のバイク事故で大けがを負ったため、過去映像などを使用して第11から13話を乗り切ったエピソードはよく知られていますが、第66・67話の不在に関しては何があったのでしょう? コアなファンならご存じでしょうが、実は主役の藤岡さんが失踪したため、撮影ができなかったのです。
藤岡さんは事故から約9か月後の1972年4月1日放送の第53話から、新1号ライダーとして主役の座に復帰します。新しい変身ポーズも好評で、その人気は絶調でした。……そんな春頃のこと、藤岡さんはNHKで10月からスタートする大型時代劇ドラマ『赤ひげ』のオーディションを受け、準主役の保本登役に合格します。
そのことを事後報告で知らされた、『仮面ライダー』側の毎日放送と東映は怒りました。もちろん番組が好調なので、主役降板はありえません。NHK側も掛け持ちは認められないので、どちらにも迷惑をかける形になってしまい、思い悩んだ藤岡さんは「失踪」します。この騒動は当時、新聞記事にもなり、マスコミも取り上げました。
数日後、藤岡さんは川崎市の工事現場にいたところを記者に発見され、『仮面ライダー』の現場に戻ることになります。これが、いわゆる「藤岡弘、失踪騒動」でした。この空白の期間、藤岡さんが撮影に参加できなかったため、第66・67話は本郷猛がいる設定ながら、画面には映せない状態で進行せざるを得なかったわけです。

映画『仮面ライダー対じごく大使』ポスタービジュアル (C)石森プロ・東映
仮面ライダーが最大の敵?
ここで疑問なのは、どうして藤岡さんは『仮面ライダー』の制作側に断りもせず、他の番組のオーディションを受けたのか? という点です。藤岡さんは1999年に発表した著書「仮面ライダー 本郷猛の真実」(ぶんか社)の「勇み足で失踪騒ぎ」という章で、この件について触れています。内容を簡単にまとめると……
・いつまで本郷猛をやっていられるか、将来が不安だった。役者は制作側と出演契約を結ばないのが普通だから。
・そんなときに、NHKドラマオーディションの話がきた。マネージャーは、受けてみる価値はあると言ったので受けてみた。受かるとは思っておらず、挑戦のつもりだった。それが受かってしまった。
・両方出演するのは可能か、と思ったができなかった。自分としては、いつまで続くか分からない仕事に将来を賭けるわけにはいかないし、新しい役柄にチャレンジしてみたかった。『仮面ライダー』のスタッフを裏切るつもりはなかったが、結果的に迷惑をかけてしまった。
・NHKと板挟みになって人間不信に陥り、しばらく川崎の工事現場に身を潜めた。マスコミに「もう俳優は辞めます」と言って、覚悟の失踪だった。芸能界の人間は信用できない、自分の意思で物事が進められないなら、こんな仕事をしていても意味がない。
・新聞記者に見つかって、ライダーの現場へ戻ることに。平山亨さん(プロデューサー)は優しく迎えてくれた。
といったようなことが書かれています。一般的な目線で見ると、藤岡さん側からオーディションを受けたいという意向を、ひと言でも『仮面ライダー』側に相談すべきだったのでしょう(言えば認めてくれないかもしれませんが)。また、人気絶頂の『仮面ライダー』の主役と知った上で、NHKが合格させたのも配慮に欠けたように思います。
とにかく、裏事情の詳細は分かりませんが、騒動があったことは事実です。ひとつ言えることは、『仮面ライダー』側はなんとしても藤岡さんを降板させるわけにはいかなかった、ということでしょう。第66・67話の制作も困難でしたが、東映はTV版とリンクさせた映画『仮面ライダー対じごく大使』の撮影を同時進行させていたので、これを潰すわけにはいかなかったはずです。
藤岡さんが取った行動は物議を醸しました。世間では、藤岡さんに同情する声もかなりあったようです。確かに俳優としての将来を案ずる気持ちは、分からなくはありません。
『仮面ライダーV3』の風見志郎を演じた宮内洋さんは、その後『秘密戦隊ゴレンジャー』(アオレンジャー)、『怪傑ズバット』など多くのヒーローを演じて活躍しました。このように特撮を渡り歩く俳優もたくさんいましたが、昭和の「変身ブーム」が過ぎた後、ヒーローのイメージを拭えず、役者として苦労した人も多くいます。
藤岡さんはそもそも、さまざまな役を演じたいという意識が強かったため、『仮面ライダー』以外のヒーロー役は受けていません。逆に言うと強烈な本郷猛のイメージ色を早く塗り替えなければならないため、その後はさまざまな作品に出演しました。『仮面ライダー』終了後からしばらくは、ドラマや映画の仕事現場で「ライダー」と呼ばれたり、「子ども番組出身」と陰で言われたりと、つらい思いもしたそうです。
しかし、映画『日本沈没』(73)、NHK大河ドラマ『勝海舟』(74)、ドラマ『特捜最前線』(77、テレビ朝日)など、さまざまな役を好演して俳優としての名前を徐々に高めていきました。
藤岡さんは『仮面ライダー』で栄光をつかみましたが、その後ライダー役は陰となり、戦わざるをえない「最大の敵」に変わりました。そして死闘の末、ライダーに勝利したのです。ライダーを倒した唯一の男は藤岡弘、さん自身なのかもしれません。昭和のヒーロー俳優として名を上げ、今も活躍する藤岡さんはまぎれもないレジェンドです。
(石原久稔)