ジダン頭突き事件の舞台は、ドイツの「負の遺産」をあえて残している

ジダン頭突き事件の舞台は、ドイツの「負の遺産」をあえて残している

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  • 更新日:2020/09/15

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ベルリン・オリンピアシュタディオン(ベルリン)

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ドイツの首都はそれまでボンだった。

1999年4月、ベルリンのテーゲル空港から乗ったタクシーはもちろんメルセデス・ベンツ。しかもピカピカの新車である。運転手のハンドルさばきもクルマに似合う上等さだ。

「何しにベルリンへ?」と聞かれ、「サッカー観戦。ヘルタ・ベルリンの試合を見に来ました」と答えれば「ベルリンは来年、首都機能の移転が完了するのだけれど、それに伴い、ご覧の通り街中も建築ラッシュさ。サッカーもベルリンの街同様、生まれ変わってもらわないと格好がつかないんだ」と返してきた。

サッカーのクラブの規模、そして実力は、街の大きさと概ね比例する。しかしベルリンは、当時のパリ(パリ・サンジェルマン=PSGが金満クラブとなって台頭する以前のパリ)とともに例外だった。ベルリンの人口は、欧州(ロシアを除く)ではロンドンに次いで2番目にあたる約360万人だが、ヘルタは、チャンピオンズカップ時代を含めチャンピオンズリーグ(CL)に一度も出場したことがなかった。

それが1998-99シーズンは、4月までブンデスリーガ4位。CLの予備予選出場圏内を維持していた。

「首都移転とCL初出場。2000年は記念すべきいい年になりそうですね」と、持ち上げると、ドライバーは相好を崩すのだった。

ベルリンの街には、それまでスピードスケートW杯の取材等で3度ほど訪れたことがあった。1989年に倒壊したベルリンの壁の象徴とも言えるブランデンブルグ門の先、すなわち東ベルリン側の風景は、訪れるたびに西側の風景に近づいていった。かつての社会主義色は薄れていった。

ブランデンブルグ門は、くぐるたびにこちらを厳かな気持ちへと誘うのだった。嫌でも過去を振り返ることになる歴史的な舞台。それは、ベルリン五輪シュタディオンを訪れた際にも抱く感情だ。

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かつて細貝萌、原口元気が所属したヘルタ・ベルリンの本拠地、ベルリン・オリンピアシュタディオン

最寄り駅は2つ。UバーンとSバーンの「オリンピアシュタディオン駅」だ。ベルリン中央駅からの所要時間は30分弱。それぞれの駅舎がイカしている。醸し出す古風で素朴な雰囲気に、心を持っていかれる。特にUバーンの駅舎は一度見たら忘れない独創性に富む形状だ。

だが、それ以上にビジュアルショックを受けるのは、ベルリン五輪シュタディオンの正面スタンド右側にそそり立つ入場ゲートだ。高くそびえる2本の支柱から、ワイヤーで宙づりになった五輪のシンボルマークを見上げた瞬間、そのあまりに浮世離れした超然たる光景に圧倒される。

言わずと知れた1936年ベルリン五輪のメイン会場だ。軍国主義思想に染まるナチスドイツ時代の遺産である。入場ゲートと反対側に位置するゴール裏スタンド付近には、ベルリン五輪の優勝者の名前が刻まれていて、その石碑の中にMAEHATA(前畑秀子さん=女子200m平泳ぎ)の名前を発見することもできる。

前畑さんが金メダルを獲得した当時のプールは、スタジアムのバックスタンド側にある。スタジアム周辺は様々なスポーツ施設が点在するスポーツコンプレックス風の作りになっているのだ。

さらに石碑を眺めると、衝撃的な文字が浮かび上がってきた。マラソン優勝者として刻まれるSON(孫基禎<そん きてい、ソン・ギジョン>さん※)だ。その3文字の後に付記されるJAPANの文字は、日本人にとってこのスタジアム最大の見どころかもしれない。朝鮮人の孫さんを日本人としてベルリン五輪に出場させた日本の過去を再認識させられる瞬間である。筆者はこの石碑の刻印と、予備知識ゼロの状態で向き合ったので、より心に刺さった記憶がある。

※1910年の日韓併合の後、日本統治時代の朝鮮出身のマラソン選手。1936年のベルリン五輪ではアジア地域出身で初めてマラソンで金メダルを獲得した。第二次世界大戦が終了し、大韓民国建国後は韓国の陸上チームのコーチや陸連会長を務めた。

ドイツは2006年、W杯を開催した。ベルリン五輪シュタディオンはイタリアとフランスが対戦した決勝戦など、計6試合を行なっている。

開会式の舞台はミュンヘンのアリアンツ・アレーナだった。こちらがスタジアムを囲むパネルが変色する超今日的な新築スタジアムだったのに対し、ベルリンは改築だ。ナチスドイツ時代の負の遺産をあえて残し、W杯決勝の舞台に充てた。

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ベルリン五輪シュタディオンは、しかしパッと見、改築されたスタジアムには見えない。改築前と後で、外見にほとんど変化はない。スタジアムを囲むように伸びる回廊は、まるで遺跡を歩いているような、神々しい威厳を保っている。

改築という選択は正解だと言いたくなる。石造りの外観が放つ威厳は半端ないのだ。しかし、この石は一度バラして補強し、配置やデザインそのままに再構築したのだという。スクラップ&ビルトの新築にしたほうが、簡単だった可能性があるが、ドイツはそうしなかった。ドイツ人のセンスのよさを感じる。負の遺産に目を背けず、より堅牢なものにリニューアルして後世に残した。パッと見で、それが簡単にわからないところに、さらなる価値を感じる。

違いが明白になるのは、スタジアムに入った瞬間だ。もともと「掘り下げ式」だったスタンドはさらに深く掘られ、その分がそのまま観客席増となった。

収容人数は7万4475人。その割にスタンドの嵩は低い。スタジアムは、外観を維持したまま巨大化した。スタジアムの外からは、せいぜい3万人程度のスタジアムにしか見えない。景観を損なうことなく建てられた、周囲と調和したスタジアムなのだ。

99年4月の取材ノートに、筆者はこう記している。近い将来、「このベルリン五輪シュタディオンでCL決勝を」。CLの権威を高める舞台になるはずだ、と。そうしたら、その翌年、ドイツが2006年W杯を開催することが決定した。ベルリンが決勝の舞台に選ばれた。

CL決勝の前に実現したW杯決勝。フランス対イタリア。ジネディーヌ・ジダンがマルコ・マテラッツィに頭突きを食らわして退場となった一戦である。

CL決勝の舞台になったのはその9年後。バルセロナが3-1でユベントスを下した2014-15シーズンのファイナルだ。ネイマール、ルイス・スアレス、リオネル・メッシの3人が前線に綺麗に並んだことと、大きな関係がある。

ポルトガルのリスボンで準々決勝以降を争った今季(2019-20)のCLは、バイエルンとPSGが決勝に進出した。バイエルンの優勝で幕を閉じたが、敗れたPSGも、サッカーのイメージが薄かったパリを、メジャーなサッカータウンに押し上げることができた。

しかもPSGを決勝で破った相手はバイエルンだ。首都ベルリンの、"置いてきぼり感"はいっそう露わになっている。ヘルタがCLに出場したのは結局、1999-00シーズンの1回のみ。ベルリンがサッカーと観光をセットで楽しめる、欧州で知られたサッカータウンになる日は訪れるのか。

杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki

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