フィールドレコーディングの祖アラン・ロマックスが発掘した、ふたりのブルースマンの“原石”のような記録

フィールドレコーディングの祖アラン・ロマックスが発掘した、ふたりのブルースマンの“原石”のような記録

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  • 更新日:2022/08/05

ことさら細かく分類する必要などないのだが、ブルースのジャンルの中に「カントリーブルース」という括りがある。カントリーミュージックとブルースの合体という意味ではなく、シンプルに、主にアコースティックギター1本で弾き語るスタイルのものを指している。と言っても、エレキを使った弾き語りの人もいるし、電気/生に限った分類とは言えないとは思うのだが。

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ことさら細かく分類する必要などないのだが、ブルースのジャンルの中に「カントリーブルース」という括りがある。カントリーミュージックとブルースの合体という意味ではなく、シンプルに、主にアコースティックギター1本で弾き語るスタイルのものを指している。と言っても、エレキを使った弾き語りの人もいるし、電気/生に限った分類とは言えないとは思うのだが。

代表的なミュージシャンの名を例に挙げると、ロバート・ジョンソンやブッカ・ホワイト、サン・ハウス、チャーリー・パットン、ライトニン・ホプキンスといった人たちが思い浮かぶ。ということから考えられるのは、シカゴ等の工業地帯で勃興した電化ブルースではなく、ミシシッピーやテキサスなどのデルタ、農場などで生まれ、奏でられた古いブルースなのだと言えるかもしれない。今回の主役のひとり、フレッド・マクダウェル(1904〜1972)は先に挙げたロバートジョンソン(1911〜1938)よりも年長であるにもかかわらず、名前が知られるのはジョンソンの死後ずっと後の1959年という遅咲きのブルースマンである。

もうひとり、ブルースの巨人を挙げておきたい。シカゴブルース、モダンブルースの巨人、マディ・ウォーターズ(1913〜1983)。彼はシカゴに活動拠点を移し、エレキギターを用い、チェスレコードからデビューして大成することになるが、出身はミシシッピーの農園でアコギを弾きながら唸っていた。

マディ・ウォーターズとフレッド・マクダウェル。ふたりに関わる共通の人物と、ドラマチックな出会いのストーリーがある。

ロマックスがいなければポピュラー音楽の歴史は異なっていた…とまで言われることになるのが上記のふたりに共通する人物であるアラン・ロマックス(1915〜2002)である。ロマックスはテキサス(オースティン)出身の民俗音楽の録音収集・映像記録・研究家・ミュージシャンとして、今日では知られる人物である。録音収集、“現地録音=フィールドレコーディング”と言い換えればもっと分かりやすいだろうか。

彼は父親のジョン・A・ロマック(1867〜1948)の助手という形で、1930年代からアメリカの、特に南部一帯(アパラチアからミシシッピー、テキサス…etc)を隈なく回り、車に積んだ録音機で現地の音楽を収集した。時あたかも世界大恐慌(1929年)の混乱のさなかで、都市では失業者があふれ…という状況だったはずだが、フランクリン・ルーズベルト大統領による景気回復のためのニューディール政策の文化事業の一環として民謡収集がはじめられることになり、民俗学の担当者として父ジョン・ロマックスが指名されたことによる収集旅行でした。

ロマックス父子の民謡=フォークソングに対する考え方は、それまでの研究者よりも間口の広いものだった。それは南部に伝承されているフォークソングを収集する中に、奴隷としてアメリカに連れてこられたアフリカ系移民の音楽、つまりブルースを含んでいたからだ。それにしても、テキサス育ちとはいえ、今より人種問題が色濃く残る時代に、勝手の分からない南部、幹線道路から外れた村々を回るのは、さそがし心細いものではなかったに違いない。いくら国家事業のお墨付きを得てのこととはいえ、アフリカ系移民ばかりの村へ乗り込んでいくのは、時には身の危険も伴ったのではないかと察せられる。住民にとっても生活習慣も環境もまるで異なるところからやってくる白人父子の姿は奇異なもの、それこそ自分たちに災いをもたらす非道な役人のように映ったかもしれない。例え柔和な笑みを浮かべ、自分たちの目的を説明したとしても、警戒しないわけはなかったはずだ。それでも、結果的に彼らは膨大な量の民謡を集め、最初の年だけでも25枚のアルミニウムのディスクと15枚のセルロイドのディスクに約100曲の歌を収集している。

その後もロマックス父子、後には息子アランはアメリカ中の民謡を収集/録音し、それは大西洋を越えて英国、ヨーロッパ各地、太平洋の島々にまで拡大されていくのだが、彼らの収集した膨大な音源は現在もスミソニアン・フォークウェイズやラウンダーレコードといったレーベルを通じて購入し、聴くことができるほか、動画サイトにはアラン・ロマックス・アーカイブスとして記録映像がアップロードされている。静止画像で音声が中心ですが、中には1933年にロマックス父子によって記録された彼らの最も古い録音を聴くことができます。

ロマックスが残した功績は計り知れず、あの「♬グッドナイト・アイリーン」の作者でもあるレッドベリーを刑務所から表舞台へと引っ張り出したことも挙げられる。同様に、彼らの録音によって埋もれていたミュージシャン、その音楽が多くの知るところとなり、フォーク・リバイバル・ムーブメントの勃興に少なからず影響を及ぼしたことは、とても意味のあることだと言える。

マディ・ウォーターズ、現る

1941年、8月、アラン・ロマックスはミシシッピー州のクラークスデール周辺をさまよっていた。彼はすでにニューヨークにも噂が伝わってきていた伝説のブルースマン、クロスロードで悪魔と取り引きをして驚異的な演奏能力を身につけたという、あのロバート・ジョンソンの身元を突き止めようとしていた。しかし、住まいさえ見つからない。伝説なのか? 幻か? と途方に暮れていた彼の元にさらに落胆の度を深めるように、同じくジョンソンを捕まえ、カーネギーホールで企画していた催しに彼を出演させようと接触を試みていたジョン・ハモンド(父)から、ジョンソンがすでに3年前に毒殺されているという知らせが届く。愕然とするロマックスに、地元民のひとりが「お前さん、奴(ボブ/ロバート)みたいに歌って弾ける奴なら知ってるぜ」と耳打ちした。破れかぶれな気分で訪ね当てた農場でロマックスの前に現れたのがマッキンレー・モーガンフィールドと名乗る若い男だった。試しに何かやってくれと頼み、男が1節、2節やり始めたのを聴いて、ロマックスは腰を抜かしそうになるくらい驚き、即座に演奏を中断させると「分かった。もう一回、最初からやってくれ、録るから」と告げた。ロマックスは翌年の7月24日にも再びマディのもとを訪れて録音を試み、その記録はアメリカ議会図書館に収録されるのだが、1993年になって『The Complete Plantation Recordings』と題されてその時に録音された音源、インタビュー録音がチェスレコードからリリースされた時は世界中が驚いた。そこにはシカゴへ旅立つ前、まだまだ田舎でくすぶっていた28歳のマディの生々しいカントリー・ブルースと、どういう理由でそのブルースを作ったのか等、あまり知られることのないブルースの発生する状況などが語られる貴重な証言が残されていたのだ。マディがひとりでアコギを弾きながら歌うもの、フィドルや別にギターを加えたものなどからなる音源からは、すでに将来の大物になるのを予感させるような凄味を放っているし、その言動からも、自信のようなものを感じさせる。

(ミシシッピー) フレッド・マクダウェル、発見される

それから18年後、ロマックスは英国の女性シンガー、シャーリー・コリンズを伴って再び南部を回ってフィールドレコーディングの旅を続けていた。ミシシッピー州のコモという村でロニー・ヤングとエド・ヤングによるファイフ吹きと太鼓のふたり組のブルースを録音していた時のこと。
※ファイフとは日本の篠笛のような短い横笛で、ブルースの発生以前から、村や集会場などで、太鼓と共に、踊りの伴奏などおこなっていたようです。奇跡的にこの時の映像が記録されている。

家の前の空地のようなところで録音していると、その向こうの森の中から、ギターを手にしたオーバオールを着た男がふらっと現れた。男はマイクを立て、録音機の側に座っている白人の男女に気がつくと、いつもと違う雰囲気にしばらくたじろぎ、何もせずに離れたところに座っていた。ファイフ演奏が途切れたタイミングで、ロマックスはロニー・ヤングに彼は誰だと訊ねると、「ようフレッド、今日は遅かったな。この御仁らが俺の笛を録音したいっていうんでやってたわけさ。おめえさんも一緒にやるかい?」とヤング。フレッドというその男はロニー・ヤングの隣人で、農場でフルタイムで働いていて、仕事が終わったあとや村のパーティ、それから時折ジュークジョイントで演奏して小銭を稼いでいるということだった。挨拶も交わさないうちに、いきなり始まった演奏に、ロマックスはひっくり返りそうになり、慌てて録音スイッチをオンする。呆気に取られ、こんな演奏をする人間がいることに今まで気が付かなかった自分の調査の浅さに恥じ入る思いだった。男は左手にポケットナイフを持ちそれをフレット上を滑らすようにして、今ではボトルネック/スライド奏法という言い方で知られるスタイルでギターを鳴らしていた(後年、樹脂製のボトルを使うようになる)。右手の親指で低音弦をはじいてリズムを生みながら、時に鋭利に、感傷的なフレーズを弾く。そのコンビネーションが生む独創的なリフ、うねり。まるでふたりで弾いているように聴こえるほど、それは巧みな演奏だった。基本的に同じフレーズを繰り返し、繰り返し弾くというスタイルなのだが、次第に熱を帯び、トランス状態というのか、陶酔していく。いつのまにか彼の妻だという女性たちも混ざり、ギター演奏に合わせて歌い踊る。この時の演奏を記録したのがフレッド・マクダウェルの『ザ・ファースト・レコーディング(原題:First Recording)』(’97)だった。これもCD化されてラウンダーレコードからリリースされた時は大きな話題になったものだ。ベックやGラヴ&スペシャル・ソースがデビューしたり、何度目かのロバート・ジョンソンのコンプリートレコーディングスのCD再発があり、電化以前のカントリーブルースに注目が集まっていた時期でもあった。

(ミシシッピー)フレッド・マクダウェルは、1904年、メンフィス近郊、ミシシッピ州境に近い、テネシー州ロスヴィルで生まれたという。両親は農民で、フレッドが若い頃にふたりとも亡くなっている。彼は14歳でギターを手にすると、ロスヴィル周辺のダンスの集まりや集会場で演奏するようになる。覚えがはやかったのだろう。ただ、誰にも習ったことはない、自己流だと何かのインタビューの折に語っている。1926年にメンフィスに移り、そこで綿や油、飼料工場などで働くが、2年ほどで綿を選ぶための仕事についてミシシッピに引っ越した。最終的にミシシッピ州コモに定住し、週末にダンスやピクニックで音楽を演奏し続けながら、農民として働いていたのだ。そのギターの腕前は近辺ではちょっと知られる存在ではあったのだが、音楽で身を立てられるとはハナから思っていなかった彼は、他のブルースマンのようにあちこちの酒場やジュークジョイントを回ったり、旅をすることもなく、ずっと地元で農作業のかたわら、自分の楽しみと仲間を喜ばすためにだけギターを弾くという暮らしを続けていたのだ。ロマックスが彼を発見した時、フレッドは55歳だった。

彼の演奏するのはブルースとゴスペル。そして、自分の奏でる音楽というのは上品に腰掛けて神妙に聴かせるものなどではなく、みなを踊らせ、酔わせる伴奏音楽なのだと徹底していた。1967年頃に録音されたというフレッドとジョニー・ウッズによる『ママ・セッズ・アイム・クレイジー(原題:Mama Says I’m Crazy)』などは、ギターとハーモニカ、ヴォーカルだけの演奏ながら、体をじっとさせておられないような激しいグルーブとバイブレーションを起こさせる。こんな演奏は誰にも真似できない。一方、地元コモで通っている教会のコーラス隊とレコーディングしたゴスペル集『アメイジング・グレイス(原題:Amazing Grace)』(’66)などは、そのあまりにも深淵なブルースのトーンに身動きが取れなくなるほどだ。

それから13年、1972年に亡くなるまで、フレッドはフルタイムのミュージシャンとして、そして本物のブルースマンとして、充実した音楽活動を続けた。ミシシッピーの田舎町から出たこともなかった彼が、全米を回り大都市でライブをする、それどころか大西洋を渡って英国、欧州まで招かれて演奏する。大きな会場で演奏する機会も増え、エレキも使ってみた。そして、レコーディングも頻繁に行なわれ、それがリリースされるや、大変な評判になった。といってもブルースというジャンルがヒットチャートに登場するようなことはない。1962年〜70年にかけて英国やヨーロッパで開催された『アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバル』、米国でも,あのボブ・ディランが登場するのと同じ1964年頃から『ニューポート・ジャズ&フォーク・フェスティバル』(フェス自体は50年代から開催されている)にハウリン・ウルフや最初に紹介したマディ・ウォーターズ、ミシシッピー・ジョン・ハートらブルース勢が出演しだしてから、若者がブルースに惹かれだしていく。そうしたブルースマンらがフェスに出演するようになる理由というのが、これまた先に紹介したアラン・ロマックスらによる米国南部のアパラチアのマウンテンミュージックからミシシッピー、テキサスのブルースを発見したことが起因となるフォーク&ブルース・リバイバル・ムーブメントだった。

英国でブルースに飛びついた若者の筆頭というのがエリック・クラプトンやアレクシス・コーナー、ジョン・メイオール、ローリング・ストーンズ、フリートウッド・マックといった面々であり、米国ではポール・バターフィールドやキャンド・ヒートといったバンドがいち早くブルースをベースにした音楽性で堂々とチャートインしてくる。60年代から70年代前半にかけて、続々とこうしたバンドが生まれては消えするのは、フォーク&ブルース・リバイバル・ムーブメントの刺激が絡んでいるのは間違いないだろう。

フレッドに話を戻すと、彼について最もポピュラーなエピソードとしては、米国の女性ブルース・ギター&シンガーを代表する存在であるボニー・レイットはまだデビューする以前、フレッドにボトルネックギターを習ったということだろう。フレッドとの付き合いはデビュー後も続き、1970年の夏、彼女は『フィラデルフィア・フォーク・フェスティバルでフレッド』と共演も果たしている。その経験が彼女のデビュー作『ボニー・レイット(原題:Bonnie Raitt)』(’71)、初期の傑作『ギヴ・イット・アップ(原題:Give It Up)』(’72)にたっぷり生かされている。レイットはフレッドの死後、私費で彼の墓碑を建立している。

もうひとつの大きなエピソードはローリング・ストーンズが1971年に全英、全米共に1位を記録した大傑作アルバム『スティッキー・フィンガーズ(原題:Sticky Fingers)』でフレッドの「ユー・ガッタ・ムーブ(原題:You Gotta Move)」をカバーしていること。アレンジもフレッドのものとほとんど同じである。その直前、フレッドは雑誌のインタビューを受け、「I Do Not Play No Rock’n ‘Roll(俺はロックンロールはやらない)」と言っていたのだが、ストーンズが自分の曲を取り上げたことに対しては素直に喜んでいたという。なにせ、結構な収益がもたらされたはずで、翌年には亡くなってしまう彼には、いい冥土の土産になった、というべきか。

TEXT:片山 明

アルバム『The Complete Plantation Recordings』/Muddy Waters

1993年発表作品

<収録曲>
1. Country Blues (Number One)
2. Interview #1 (Previously Unissued)
3. I Be's Troubled
4. Interview #2 (Previously Unissued)
5. Burr Clover Farm Blues (Previously Unissued)
6. Interview #3 (Previously Unissued)
7. Ramblin' Kid Blues (Partial. Previously Unissued)
8. Ramblin' Kid Blues
9. Rosalie
10. Joe Turner (Vocal: Percy Thomas)
11. Pearlie May Blues (Vocal: Percy Thomas)
12. Take A Walk With Me (Second Guitar: Son Simms)
13. Burr Clover Blues (Second Guitar: Son Simms)
14. Interview #4 (Previously Unrelaeased)
15. I Be Bound To Write To You
16. I Be Bound To Write To You (Second Version, Second Guitar: Charles Berry, Previously Unissued)
17. You're Gonna Miss Me When I'm Gone (Number One)
18. You Got To Take Sick & Die Some Of These Days
19. Why Don't You Live So God Can Use You
20. Country Blues
21. You're Gonna Miss Me When I'm Gone
22. 32-20 Blues

アルバム『First Recordings』/Mississippi Fred McDowell

1997年発表作品

<収録曲>
1. Going Down The River
2. 61 Highway
3. Wished I Was In Heaven Sitting Down
4. When The Train Comes Along
5. Shake 'Em On Down
6. Worried Mind
7. Woke Up This Morning With My Mind On Jesus
8. You Done Told Everybody
9. Keep Your Lamps Trimmed And Burning
10. What's The Matter Now?
11. Good Morning Little Schoolgirl
12. I Want Jesus To Walk With Me
13. Keep Your Lamps Trimmed And Burning
14. You're Gonna Be Sorry

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