「授業準備は5分」に「小学校をなめているのか」 公立教員残業代訴訟の「仕分け」に教員ら困惑

「授業準備は5分」に「小学校をなめているのか」 公立教員残業代訴訟の「仕分け」に教員ら困惑

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  • 更新日:2021/11/25
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さいたま地裁は請求を棄却した一方、「給特法は、もはや教育現場の実情に適合していないのではないか」と付言した

公立小学校教員が未払い残業代を求めた訴訟で、司法が勤務時間外の労働時間を仕分けた。現場の実態や価値観と合わないチグハグさが、大きな波紋を呼んでいる。AERA 2021年11月29日号の記事を紹介する。

【図】公立小学校教員・田中まさおさんの残業を裁判所が「仕分け」*  *  *

「翌日の授業準備は1コマ5分」「保護者対応はしません」──。もしそんな小学校教員が子どもの担任だったらどうだろうか。一方でその教員は「扇風機の清掃とビニール掛け」「エアコンスイッチ入り切りの記録」には時間を割いている。冗談に思われるかもしれないが、こんな教員が全国で増えても不思議でない状況が生まれているのだ。

10月1日、全国の教員が固唾(かたず)をのんで見守った裁判の判決が出た。埼玉県の公立小学校教員の田中まさおさん(仮名・62)が、時間外労働に対して残業代が支払われないのは労働基準法違反だとして、県に未払い賃金の支払いと国家賠償を求めた裁判だ。教員の慢性的な長時間労働は残業代が発生しないことが元凶とし、歯止めをかける狙いだった。だが、さいたま地裁は訴えを退けた。

公立学校教員の給与は、1971年に制定された教職員給与特措法(給特法)で規定されている。教員の仕事は裁量が大きく特殊だとして、月給の4%分の教職調整額を支給する代わりに、残業代を支払わない。ただし、制定にあたり長時間労働を招く懸念の声があったため、残業させられるのは、校外実習、学校行事、職員会議、非常災害の「超勤4項目」に限った。

■「自発的行為」なのか

ところが、田中さんは月平均約60時間の残業のうち、9割が4項目以外の業務だと主張。しかも、それらの業務は必要に迫られて行っているのに、教員が好きで勝手にやっている「自発的行為」と見なされ、賃金の対象外にされているのは「おかしい」と訴えているのだ。

これに対して地裁は、田中さんが提出した残業の内容を「労働時間」か否かに仕分けし、時間数も計算。その結果、時間外の労働時間を認めたものの、未払いの残業代の支払いについては給特法が適用されるとして棄却。国家賠償についても、賠償に値するほどの時間量でないとして認めなかった。

その仕分けの一部を抜粋した。これが公開されるや大きな波紋を呼んだ。とりわけ教員から困惑の声が多く上がったのが、「翌日の授業準備は1コマ5分」が相当とする判断だ。

50代の女性教員は言う。

「小学校をなめているのかと思いました。例えば理科の実験授業があるときは、予備実験をします。児童は毎年違うため、同じ実験でもやり方を変えるのです。こうした地道な準備を通して、私たちは授業の質を保ちます。司法にこんなことを言われて、文部科学省や教育委員会は抗議しないのでしょうか?」

労働時間か否かを分かつ大きなポイントとなったのが、校長の指示や命令があったかだ。

SNSには「『労働時間でない』と司法が線引きした残業についてはやらない。断ることだ」「これからはひとつひとつの業務について、校長に『それは命令ですか?』と確かめる必要がある」といったような教員の声が見られた。一方、「労働時間として認められないからといって『保護者対応も教材研究もやりません』なんて無責任なことを教員はできない。それを見越して、つけ込まれている」のようなジレンマの声も少なからずあった。

■未来の教員にも影響

判決の影響は、教員だけでなく、教員志望の若者にも及んでいる。教育学部3年の女子学生(22)は、高校3年のとき勉強の悩みから学校に通えなくなった時期があった。どん底から救ったのは丹念に話を聞いてくれた教員の存在だった。それが、教職を目指す動機になっている。

「恩師が朝に夕に私にしてくれたことは、今回の判決の理屈でいくと『労働時間とみなされない、好きでやっているボランティア』と判断される可能性が高く、悲しくなりました。恩師に連絡すると『教師の本分だ。構わない』と言ってくれました。その代わり『本分でない仕事は減ってほしい』とも言っていました。恩師は過重労働でメンタルを病み、一時期休職をしていました。国は本気で、教員や教員志望者が安心して働ける労働環境を作ってほしい」(女子学生)

司法上の手続きとはいえ、教育現場の実態や価値観と合わない、この仕分けのチグハグさは何に起因するのか。田中さんの証人として、意見書を提出した埼玉大学の高橋哲准教授(教育法学)は、次のように説明する。

「『翌日の授業準備1コマ5分』というのは、裁判官が主観で決めたもので、教育の専門的見地からではありません。教員のモチベーションやモラルを低下させる可能性は否めません」

■残業は「無賃強制労働」

一番の問題は、児童の提出物のペン入れや保護者対応など、教員の核心といえる業務が勤務時間内にできず、時間外に押しやられている点だ。

「例えばアメリカの学校では、保護者対応の時間を1週間に80分、勤務時間内に確保しなければいけないなどと決めています。教員のコアな業務については、標準時間を定め、勤務時間内に時間を確保できるよう労働環境を変えていかなければいけません」(高橋准教授)

裁判を起こした田中さんが、教員になったのは81年。このころは児童が下校したあと翌日の授業準備をし、定時で帰れた。状況が変わったのは、2000年ごろからだ。校長の権限が強化され、職員会議が校長の補助機関に変わった。それまでは、職員会議でさまざまな業務について話し合いで決めていたが、今は意見を言う教員はほとんどいない。業務量はどんどん膨らみ、勤務時間内に終えられなくなった。

「英語、プログラミング、コロナ対応……新しい仕事がどんどん降ってきます。校長は、残業の指示や命令はしていないと裁判で述べましたが、勤務時間内に終えられないほどの量があり、残業を余儀なくされているのです。残業は“自発的行為”という名のもとの『無賃強制労働』です」(田中さん)

16年の文科省の調査では、小学校教員の3割、中学校教員の6割が、過労死ラインとされる月80時間以上の残業をしている実態が明らかになった。

「若い女性教員が、今の働き方では『子どもを産み育てることはできない』というのを聞いて、ショックを受けました。今の労働環境を若い教員たちに引き継いではいけないと思い、訴訟を起こしました」(同)

田中さんは一審を不服として控訴した。二審は早ければ年内か年明けに、東京高等裁判所で開かれる見通しだ。今回の判決を受けて、田中さんの支援事務局が始めた署名は4万筆以上集まった。裁判費用のクラウドファンディングも目標の200万円に到達しそうな勢いだ。

■部活も時間外に重負担

支援事務局を立ち上げたのは、東京学芸大学4年の石原悠太さん(24)。4人の学生で運営している。石原さんは言う。

「この裁判は僕たちにとって他人事ではありません。既に教壇に立っている仲間もいます。労働環境を改善し、より良き教育につなげていきたいです」

一審は敗訴となったが、画期的な前進もあった、と前出の高橋准教授は指摘する。

「これまでの裁判では、教員の残業は『自発的行為』として労働時間が一切認められませんでしたが、今回、初めて労働時間が認められました。これによって教員も1日8時間を超えて勤務させられた場合は、違法になる可能性が出てきました」

かねて中学や高校では部活動の時間外労働の負担の重さに、多くの教員が声をあげてきた。もし訴訟を起こした場合、どうなるのだろう。田中さんの代理人の若生直樹弁護士は言う。

「今回の判決を前提に見た場合、まず部活動は学校教育の一環として学習指導要領に位置付けられています。このため校長が部活動指導を当該教員に任せていた実態が認められれば、教員が自主的に行った活動とはいえず、労基法上の労働時間と判断される可能性があります。長時間の時間外労働が認定されれば、国家賠償の対象になる可能性も十分あると考えられます」

文科省は、取材に対して「学校における働き方改革を一層進めていく。給特法については、来年度実施する勤務実態調査の結果を踏まえ検討する」と答えた。全国の教員の残業代を仮に支払うとなると、年間約9千億円と試算されている。もはや細かな施策で解決できるレベルを超えている。新政権の本腰を入れた取り組みが問われている。(編集部・石田かおる)

※AERA 2021年11月29日号

石田かおる

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