思考力も一流な154キロ右腕・木澤尚文(慶応大)。苦しい時間が多かった高校3年間が現在の糧に【前編】

思考力も一流な154キロ右腕・木澤尚文(慶応大)。苦しい時間が多かった高校3年間が現在の糧に【前編】

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  • 更新日:2020/10/19

今年の大学生の右投手としてトップクラスの評価を受けているのが木澤 尚文だろう。最速154キロの速球、140キロ前半のカットボール、スプリットを武器、10月16日現在、57イニングを投げ、76奪三振と三振が奪えるパワーピッチャーとして注目を浴びている。

そんな木澤はいかにして成長できたのか。それは慶應7年間で培った思考力の高さ。1つ1つの踏み込み具合は他の選手とは比べものならないぐらいレベルが高い選手だった。苦しみを乗り越え、大学球界屈指の豪腕へ成長を遂げた木澤の歩みを振り返る

憧れの慶應高等部入学も…

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木澤尚文

まず木澤の歩みを振り返ると、船橋市出身の木澤は小学校2年生のときに野球を始めた。それまではサッカーが好きだったが、体育のドッチボールで投げる木澤の姿を見て同級生から誘われたのがきっかけだ。

入団して1ヶ月ほどで投手を始め、自分の学年ではエースを務めるほど。そして、小学校6年では千葉ロッテジュニアの試験に受験し、三次試験もある先行を勝ち抜き、見事に選ばれ、優勝にも貢献した。その千葉ロッテジュニアには藤平 尚真横浜―東北楽天)がいた。

「藤平は投げても打っても凄かったですし、身体能力から他の選手とは違ったことを今でも覚えています」と振り返る。

そして中学では八千代中央シニアに入団するが、またも逸材選手とプレーすることに恵まれ、今度は坂倉 将吾日大三―広島)がいた。

「当時、中学生だった自分でも、『こいつはモノが違う』というのが分かるぐらい、すごい選手でした。打っても凄い、スローイングもすごい。高卒プロに行くだろうと思ったら、本当にいきましたからね」

チームメイトのことを称える木澤だが、木澤自身も、石橋 優稀(山梨学院―福島ホープス)とともにダブルエースとして活躍。ストレートの球速は130キロ台に達していた。慶應義塾では推薦入試(AO入試)として受験。書類選考、面接、集団討論の末、合格が決まった。東京六大学でプレーしたいと思っていた木澤にとってまずその道が近づくためには慶應義塾高等部に入学することを目標に定めた。

「ずっと東京六大学でプレーすることを希望していたので、そこから逆算して選んだ形ですね。自分が小学校4年生のときに甲子園に出場(2008年)していましたが、他の学校とはプレースタイルが違いますし、坊主ではなかったところに憧れを持って、いざ受験する年画近づいてきたら受けて見たいと思ったのがきっかけです」

憧れの慶應義塾高等部。自主性を重んじるチームカラーに惹かれて入学したが、最初はカルチャーショックを受け、苦労の日々だった。
「まず自分は自宅から高校まで2時間近い場所にあったため、両親の勧めから学生寮に住んでいたのですが、その暮らしに適応することに苦労しました。

そして勉強のほうでも、中学校ではある程度の成績は残すことはできていたのですが、高校は全国から僕よりも頭の良い生徒が入学してくるので、勉強についていくのが精一杯。自主性を重んじるチームなので、最初で何をやればいいか分からなくて、つまづいていました。高校時代の最初というのは、悩んで苦しい思い出のほうが強かったですね」

故障続き、同級生に先を越されながらも…

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木澤尚文

木澤はその環境に適応するために日々、どう過ごしたのか。

「自分を客観的に見ることです。勉強は高得点が難しいので、苦手なところから平均点を伸ばすように工夫をしていきました。そして野球の練習では、自分の苦手なところを煮詰めて練習を行う。

1日1日ですが、自分の中で、頭を使った練習と勉強をしていたと思います」
そう意識する中で、慶應の生活サイクルに慣れてきたのは高校1年の秋頃だった。

「たとえば生活面だと、自分が風呂入っている間に洗濯をしたり、ストレッチをしたりと、効率良く、物事をすすめる時間の使い方もわかってきて さらに自分の練習法も少しずつわかってきて、身になってきた感じですね」

ピッチング面では、ウエイトトレーニングを始めたり、またトレーニング施設に通って体の使い方を学んで、最終的には142キロまで到達。当時の思考レベルは今と比べれば低かっただろう。ただ試行錯誤しながら取り組む木澤の姿勢は、この時期が大きな原点だったといえる。

ただ高校時代は故障の連続で、2年生になるまで肩の故障、そして最後の夏は肘を故障し、夏に登板したものの、120キロ台しか出なかった。手術する選択肢もあった。ただ医者から「高校生のうちに肘にメスを入れるのは極力避けようといわれまして、治療とリハビリで治していこうということになりました」

夏の大会が終わっても入学までリハビリ。入学後もリハビリが続いた。そしてキャッチボールをしても怖さがあり、うまく投げられない日々。「野球ってこんな難しいのか」と当時を振り返る。

そして1年春から左腕・佐藤 宏樹大館鳳鳴出身)、右腕・関根 智輝都立城東出身)が活躍し、焦りも募る。
「関根、佐藤が活躍している中、自分は神宮球場でスコアをつけていて、大きく差がついたなと思いました」
ただそこで木澤は決意を新たにしていた。今ではプロ志望届を提出し、ドラフト上位候補にも挙がる木澤だが、この時点では大学野球を終える事を考えていたのだ。

「まず肘を治して野球をやりきろうと。それでプロと言う道もなく、駄目ならば仕方ないと。あれからトレーニングで深く向き合おうと思いました」

決意を新たにした木澤は驚異的な成長を遂げていく。

取材=河嶋 宗一

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