【インタビュー】中島卓偉が語る、独立の真意と未来「立ち止まってはいられない」

【インタビュー】中島卓偉が語る、独立の真意と未来「立ち止まってはいられない」

  • BARKS
  • 更新日:2022/05/13
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中島卓偉が独立のアナウンスを発したのは2022年2月中旬のことだった。18年の付き合いだったアップフロントを3月末に円満に退所し、4月1日より心機一転、新たなスタートを切っている。

◆中島卓偉 動画 / 画像

ロックシンガー、シンガーソングライターとしての活動のみならず、溢れる才能を楽曲提供やプロデュースワークにも活かし多面的な才覚を発揮してきた中島卓偉だったが、今ここで独立する真意は何なのか。4月某日、中島卓偉に時間をもらい、ありのままの心境を語ってもらった。

◆   ◆   ◆

■この2年間にアルバム4枚分ぐらい書いて
■自分がやりたいのはこれなんだと見えた

──そもそもどういういきさつで独立に至ったんですか?

中島卓偉:自分で曲を書く人間として、いつかは独立をしなきゃいけないなとは思っていたんです。自分でエンジンを転がしているわけで、どこかでそういう自覚もあるんです。

──曲を書く立場として?

中島卓偉:例えば、自分が何も書かずにシンガーに徹しているような生き方だったならば、曲待ちというか、誰かに曲を書いてもらわないといけないし、セッティングしてくれる人がもっといないと成立しないんです。でも僕は10代からひとりで東京に出てバンドを作って自分で曲を書いてやってきたので、こういう大きい会社とか事務所に所属しているのは向いてないってことも分かっていたんです。だからいつかは独立しなきゃいけないという気持ちがあって。

──それは使命感に近いもの?

中島卓偉:どちらかというとそうですね。最初の事務所が終わった30歳のとき考えたんですけど、そのときはちょうどアップフロントが「一緒にやろう」って言ってくれていたこともあって、独立はここのタイミングじゃないんだなと思った。2019年~2020年、2枚目のベストアルバムを出せるところまできて、これをプロモーションし切ったら独立しようと思ったら、コロナ禍になっちゃった。そこで2年半動けなくなったりしたけど、コロナがいつ明けるかはわからないとはいえ、やりたい事をやっている人はやはり行動しているんですね。自分もそうであるべきだ、時間のほうが大事だというところに行き着いて、タイミングはどうであれここでいこうと、2022年3月できっちり退社して、4月1日から自分の会社を立ち上げて走り始めたいと決意しました。

──コロナ禍も影響を与えたと思いますが、決断の背中を押した最大の要因は何だったのでしょう。

中島卓偉:一番は、2年のあいだに曲をたくさん…アルバム4枚分ぐらい書いたことだと思います。今までの23年間の活動は、“こういうアルバムを作りたい” “クライアントがこういうものを作ってほしい”というものに基づいて曲を書いていたわけですけど、この2年間にためた曲は、自分が何を歌いたいのか、降りてくる曲はどんなのかを思うままにひたすら吐き出していったものなんです。ジャンルとかテンポとかマイナーとかメジャーとか関係なく。そうしたらやっぱり僕を長らく応援してくれるファンが好きだと言ってくれるような楽曲が揃ったんですね。

──おお。

中島卓偉:自分が本当に好きなロックンロールとかパンキッシュな歌とかバラードとか、メロディアスでキャッチーで自分が好きなものが合わさったものしか出てこなかった。たぶん自分もそれをやりたいんでしょうし、客観的に聞いて歌詞も見て“これは自分なんだな”っていうところに行き着くわけです。それで“この曲はどんなライブになる”とか“この歌詞をメッセージにしたらどんなふうに相手に届くか”とライブを考えたときに、やっぱり自分がやりたいのはこれなんだとわかりやすく見えた。

──見つめ直す機会があったのか。

中島卓偉:デビューして23年ずっとサバイブしてきて、いろんなことが勉強できたんですけど、この喉、体力があと何年持つかを考えるとあと半分かなと思ったんですよ。43歳ですから半分もないかもしれない。あと半分やったら80歳ですから、まもなくミック・ジャガーがそこに届こうとしている。ポール・マッカートニーとか矢沢永吉さんもやると思うんですよね。昔は60代に入ったらご隠居だったのに、今はミュージシャンも現役になった。残りの半分の人生でこの書いた4枚分の楽曲を演らずに自分の意志で活動しないで果たして納得できるのかってところに行き着いたんですね。事務所やレコード会社の意向に沿う作品作りはこの23年で十分やったはずだから。もちろん好きなアルバムもありますし、思うように演れなかったアルバムもありましたけど、それもいい経験だったと思っているんです。でも次届けるのなら、23年離れず応援し続けてくれたファンに返す、残り半分の使い方をしたいなって思うんですよ。

──独立に反対する人は?

中島卓偉:アップフロントのスタッフや社長、会長も「何で辞めるんだ」とは言ってくれました。けれど「早く独立したほうがいい」って何年も前から言ってくれる人もたくさんいた。

──同じような道筋を歩いているミュージシャンからの助言も?

中島卓偉:先輩でも後輩でも、僕より先に独立している人は何人も知っています。そういう人なんかは「大きい会社は向いてないよ」「早く独立したほうがいいんじゃない?」って言ってくれる人はいましたね。

──そんな中で作られた新曲が「風に飛び乗れ」だったんですね。

中島卓偉:歌詞はそうです。曲はストックがあるので、もうちょっと前に書いていた曲だったと思います。何十曲も書いていくなかで、自分の気持ちがそこに縛られていったんだと思います。今は“風の時代”っていうところもあって「風に飛び乗れ」というタイトルも時代性にも合っているのかな。明るくてわかりやすい8ビートで、躍りやすい、乗りやすい、聴きやすいもの。転調とかギミックのあるものではなくてシンプルなロックンロールで感じられるようなもの。

──好きな曲を好きなように作り上げる喜びを感じますか?

中島卓偉:いい曲だから録りたいと思うけど、現実的にはコスト管理も大事なことを学びましたよ。ホーンセクションやストリングスを入れたいと思っても、規模によっていくらギャラを払うのかを踏まえないと独立とはいえない。でも、世の中にはものすごいローバジェット(低予算)で出した名盤とかいっぱいあるんですよ。ちょっとしたきっかけや工夫で人に届く曲だってある。聴く人にはそういうことをまったく気にさせないものを作らなきゃいけないってことも勉強になった。

──そうですね。

中島卓偉:僕がデビューした23年前は“ミュージシャンは金の計算はするな”って雰囲気があったんです。事務所からもそう言われたし。けれどアメリカやイギリスでは昔からそんなことはないですよね。ポール・マッカートニーもすごい商売人だし、ミック・ジャガーだって数字を一番はたいている。今では、「普段はサーフィンやっていますけどミュージシャンもやるんです」ってヒットを出すHIP HOPの人とかもいるわけで。インディーズレーベルを作って世界でアルバムを売って、インタビューで「アルバム作ってないときは遊んでます」って平気で言える強さ。

──ええ。

中島卓偉:1日も長く自分を走らせて転がし続けるためには、夢を見る部分と現実を見る部分とどちらも当然あると思います。今後アルバムも録ろうと思っていますけど、果たして何曲入りが美しいのか。アメリカなんかはコレクターズアイテムになっていますから、買う意味があるものにしようとして17~18曲くらい平気で入れるんです。買う人のために1曲でも多く入れようという考えで。2019年に出した『GIRLS LOOK AHEAD』という最後のカバーアルバムは19曲入れていますから。だけど、9曲のアルバムを名盤としてセールスに結び付けている人もいる。自分の気持ちと活動を転がしながら、ちゃんと考えていいものを出していかなきゃいけないなって責任感はありますね。

◆インタビュー【2】へ

■自分の人生を切り刻んでいくような
■歌詞の書き方をしたい

──アップフロント時代に学んだ一番大きなことは何ですか?

中島卓偉:ヒット曲の書き方です。これに尽きると思います。すごく音楽論をわかっているディレクターさんたちがたくさんいて、会長もいろんな指示を出してくれた。「曲を書いてほしい」と才能を認めてくれて「お前みたいやつがハロー!プロジェクトに欲しい」と言ってもらえた。人に書くっていう切り口と、自分で歌うという切り口を分けて曲を書いていた時期もあったし、とりあえずいい曲だけを書くっていう時期もあって、いろんなチャレンジをくれたんです。

──それは素晴らしい。

中島卓偉:歌詞にしても、「中島卓偉が歌ってもアイドルが歌っても成立するような普遍的な歌詞」という注文がくるときもあったし、「アイドルが歌うけど、すっげー中島卓偉の血を入れてくれ」っていうときもあった。「お前が歌わなくてもいいから、お前の気持ちでアイドルが歌う歌詞にしてくれ」っていうのも当然ありました。最初はとっ散らかったけど、それですごくタフになった。ストレートだけじゃなくどうフックを入れるかとかアレンジの面でもそう。もともとロックンロールとかパンクとかが好きだから、基本的にギミックとかそんなに興味がないわけで、やっぱりパッションのほうが大事だったりするんですけど、どこかで仕掛けや“ここにこれがあるからグッとくるんだ”っていうことを、ディレクターさんやプロデューサーさんたちから勉強させてもらった。

──コライトのような共同作業もあったんですか?

中島卓偉:共同作業はないんです。そのかわり、何回もダメ出しを食らうこともあったし一回ですんなりOKなこともあって、ケースバイケース。アップフロントでは基本的に作曲は作曲者、アレンジはアレンジャーで分かれていて微調整をしていくってやり方だったので、基本作曲は任せてもらいました。

──スランプに陥ったり、枯渇したりする苦しみは?

中島卓偉:ないですね。それは今まで一回もないです。

──まじで?

中島卓偉:どうしてなんでしょうね。ひとつは曲を書くのが好きだっていうのと、あと、たぶん自分にしかないアンテナがあって、それで聴こえてくる音・音楽があると思うんです。街を歩いているときとかラジオでも聴こえてきた音楽を玄人の耳で分析するクセがあって“なぜこの曲がいま売れているのか”って考えたときに、どういうコード進行でどういうリズムパターンなのかを瞬時に見分けるクセができているんですよ。それは10代のときからそう。それをそのままやるとパクリになってしまうから、エッセンスを広げながら全然違うパンキッシュなオケにはめてみようと、そんなことを考えるようになっているんですね。その時点でもうアレンジが始まっているんです。だからアレンジの仕事もたくさんやらせてもらえたし、そこで学んだことも大きいんです。話を戻すと“好きだから”。偉そうなことは言えないけど、ただ本当に“いい曲にするためには…”とか“人の要望に応える”ことが好きなんですよ。“ファンが望むもので、こういうのがあったら嬉しいだろうな”っていうのを平気で書けるようにもなった。20代のときには“そんな望むものばかり書いてたら自分じゃなくなるかも”と思ったものですけど、キャリアを重ねることによって変わりましたね。

──天職ということか。

中島卓偉:スタッフから「こんな曲書いたらどうなんですか」って言われてパッと浮かぶこともありますから、とにかく好きなんだと思います。詞はまたちょっと別ですけどね。もうちょっと精神的なもので、自分の身を削るような感覚になるので。でもずっと書き続けたいって気持ちは強いです。年齢とともに、詞で残すことの意味合いの重心が強くなっています。どういう言葉を残すか、どういう作詞をするかってね。

──言いたいこと、言うべきことがさらに出てきたということですか?

中島卓偉:43歳ならば何を歌うべきなのか、とか。ずっとラブソングにこだわってやる人もいると思いますし、反社会的な歌詞を書き続けることをモットーにしている人もいると思いますけど、この年齢にしか書けないことや、あのときだからこそ書けた歌詞というものをやりたいんです。少なからず20代、30代と曲を書いてきた自分にも、あのときじゃなかったら書けなかったという曲がありますから、そのときは頑張ったんだと思うんですよね。そこに後悔がないようにしたいんです。

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──いよいよこれから楽しみですね。

中島卓偉:とにかくライブをやってお客さんが来てくれたら嬉しい。独立するタイミングでこれまでのファンクラブも解散したので、5月13日にもう一回再募集をかけます。そこで今まで応援してくれた人、一回離れてまた興味を持ってくれる人も大歓迎ですし、新たに自分の音楽に触れてくれる人とも出会いたいなと思っています。人がいないとライブなんかできないんで。これだけCDの売れない時代だけど、コンスタントにライブをやり続けられるという環境に持っていきたい。「中島卓偉はライブなんだ」と言ってもらっているファンがほとんどだと思うんですけど、どうしてもコロナでできなくてしまった状況を打破して、ライブ活動をしていこうと思っています。立ち止まってはいられないというこれだけは譲れない気持ちなんですよね。

──これからはどんな曲を書いていくと思いますか?

中島卓偉:常日頃から読書ばっかりしているんですけど、僕はいろいろ考え尽くされた物語よりも、リアルストーリーとか自伝だとか、いわゆるノンフィクションに感動するんです。小さいときから、その人の人間性とかが垣間見られるものに感動してきたと思う。自分にとって消化できた思い出も消化できていない思いも、自分の人生を切り刻んでいくような歌詞の書き方をしたいっていうのがあります。

──ある意味、決意と覚悟ですね。

中島卓偉:その上で、僕は希望を感じたいんです。僕もライブを観に行って、歌詞のなかの前向きなエッセンスやメッセージ性を“そうだよな” “そうしなきゃ”とか、歌ってくれているものを自分なりに解釈して“明日からまた頑張ってみよう”って思わせてもらえたし、それはいまだにそうですよね。だから僕も、背中を押すって言ったらおこがましいですけれど“何か卓偉の歌詞を聞くと明日から頑張ろうって気になる”と思ってもらえるような歌詞を書きたい。これはどっちかというと責任という気持ちだけど。

──私は“究極の芸術は人を幸せにするもの”と思っているんです。なぜなら、アートはエゴイズムを形にする行為であり、究極のエゴイズムとは人のために生きることだから。つまりは究極のアートは人の幸せのために生まれるものになる。どんな過激な表現手法が用いられたとしても、研ぎ澄まされたアートにはハッピーオーラや希望や幸せを想起させるパワーが内包されていないと嘘だよね、と思うわけです。

中島卓偉:地方でCD即売会でサインを書くとき、当然僕は「ありがとうございます」って言うわけですけど、僕に対して「ありがとうございます」って言う人がいるんです。僕からすると「えっ?」「申し訳ない」という感覚。でもよくよく話を聞くと「中島卓偉さんが歌ってくれたことによって今の自分があります」と言ってくれる人がいるんですよね。

──あなたもザ・ビートルズに逢ったら同じことを言うでしょ?

中島卓偉:そうそう(笑)。だからそのリレーの繰り返しなんだけど、まさか自分がそういうふうに言われると思ってないから「とんでもないですよ」とは返すんですけど、今の話を聞くと、きっと究極はそこだなと思います。だからこそ決してうぬぼれちゃいけないし、そう言われたことに関して「いやいや、こちらこそ」と返すことが本当のWIN-WINというか、愛の届け方・愛の分かち合い方なのかもしれないです。それをラブ&ピースというのかわからないけど、自分のためにやっていたはずなのに、あるとき誰かのためになっていること…これが一番美しい形だというのが30歳過ぎくらいからちょっと感じるようになりました。感謝するって重要なことだなって今は思いますね。

──これからのライブも楽しみです。

中島卓偉:お客さんが楽しんでいるところを見られると一番ハッピーなんですよ。ちょっとナーバスな歌詞を歌っているときでも、涙してくれている人が見えたら“あー伝わったんだな”と思って嬉しくなる。それを味わいたいがためにステージに立っているといっても過言じゃないと思うんですよね。それを忘れずにやりたいですね。

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■独立したからこそ新しい風を採り入れて
■今までできなかったことを実現させたい

──喉の調子も万全ですか?

中島卓偉:喉はつぶしてきましたけど、ありがたいことに23年キーを下げずにやってこれています。歌えば歌っていくほどかすれていくのは覚悟していますし、倍音は日々増えている。それを受け入れながらも、自分の声が進化していくほうに持っていきながら、歳をとっていく自分の声を自分自身が一番愛してやらなきゃいけないなと思うんですよね。年齢とともにコンディションが戻るのも遅くなっていますから。一日でも長く歌うために今まで以上にケアもしていかなきゃいけないっていう緊張感はあります。酒もタバコもやらずに今日まできて、それはずっと守り続けなきゃ。

──今でも走り込んでいるんですよね。

中島卓偉:やっぱり息切れしてライブはしたくねえなっていう。運動していれば体力って持続できると思うからやめないで今日まできたんで、だから運動もやめられないですね。やめたら体力が落ちるんじゃないかっていう気になっちゃって。どうしても声が出ないときはステロイドの錠剤で乗り切れますけど、やっぱりそういう薬には頼らず、自分の体力と気持ちと精神力で乗り越えていけたらいいなとは思います。喉を補うためにステロイド吸入が欠かせない人もたくさん知っていますから、戦いですよね。ミックスボイスなら何本でもライブができるように工夫できますけど、自分のライブのパッションで考えると、そういうわけにもいかないので。

──ミックスボイスって喉の負担が小さいんですか?

中島卓偉:限りなく小さいです。基本張り上げないですから。声も小さくてイヤモニ用に作られた声で、それを駆使してやっている人はたくさんいるし、全然否定はしないんですけど、僕はさらっと歌うのではなく、ここぞってときに魂を込めて地声で張り上げたいので。

──オペラみたいな発声は、喉に対してどうなんですか?

中島卓偉:あれはもう絶対枯れないですよ。あれはお腹から出すような開いた歌い方なので、声帯をこすりつけるような歌い方ではないんです。僕らはシャウトをするので、ロックボーカリストって声帯を閉じてぐっとこすりつけることによって、ディストーションさせるんです。アンプでいうところのゲインですよね。オーバードライブです。基本的には閉じたままそこに力を入れてこすりあわせるので、閉じるところがギザギザになって、そこから息が漏れる。それでどんどんハスキーになっていくっていう。

──ロックボーカリストって、みんなそういうタイプですか?

中島卓偉:スティーヴン・タイラーも全部そうですね。若いときのポール・マッカートニーやジョン・レノンもそうです。もっと言うと1970年代に活躍した往年のボーカリストたちもみんなそうだと思います、ロバート・プラントもそうだったでしょうし。スティーヴ・ペリーもそうだと思います。

──なるほど。

中島卓偉:耳鼻咽喉科の先生に喉の声帯を見せて「シャウトしてます?」って訊かれて「してます」って言うと、「それ絶対だめだよ」って言われる。声帯が充血してポリープになる人はなる。でもしょうがないですよね、それがオーバードライブだと考えたときに、そう歌ったほうがカッコよくなるからどうしてもそっちをとってしまう。きれいに歌ってもカッコがつかない曲ばっかり書いてきたんで、そこはどうしようもない。B'zの稲葉さんとかすごいと思いますよ。Mr.Childrenの桜井さんもそうだと思うんですけど、それで今も第一線であの声でやられているっていうのは本当に尊敬します。いかにマイクに乗る声を作るかということに命をかけていらっしゃると思うから、自分もそれを頑張りたいですね。

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──20年後にはどういう自分になっていますか?

中島卓偉:60歳過ぎているってことですよね。たとえば喉だけでいうとストレッチも毎日やっていて、ライブでは股割りのように足を開いてヒュッて立ち上がるパフォーマンスとかもやるので、これも果たしていつまでできるかって思ってますよ。膝と手首を床に叩きつけているわけですから、絶対そのうち関節やら骨をやられると思うし。でもそれもできるまでやっていきたいし、できるなら20年後も今と変わらない身体の柔らかさをもって、かすれてはいるけれどちゃんと声が出せているっていう、太らずフォルムも維持してそこに立っていたい。

──たぶん何も変わってないんでしょうね。今も20年前と何も変わっていないから(笑)。

中島卓偉:東京ドームの花道一番端で踊りながら歌っているミック・ジャガーを見ると、1970年代と変わらないんですよ。でっかい画面に映ると顔に縦ジワが入っていて、ああもうおじいちゃんだと思うんですけど、フォルムだけ見ると変わらない。すごいことだなとそれに感動したりもする。ダブルのスーツを着てB.B.キングみたいに座って弾いてもカッコいいブルースマンもひとつのジャンルですけど、エンターテイメントとしてファンの期待に応えられるように努力したいですね。

──日本でもロックミュージシャンの生き方が刷新されていくときですね。

中島卓偉:シンガーはスポーツ選手より息長くできる商売なのかなって最近よく思います。プロボクサーってもっと短いですよね。20代で走り続けて完全燃焼する。プロ野球選手もお相撲さんにしても、体力に限界がある。でもミュージシャンはキープできるところはキープしてプライド持つところは持って、枯れていく美学とともにどこまでやれるのかなって思ってます。

──若いときの作品をやり続ける大変さや難しさもあるとは思いますが。

中島卓偉:いつまでも同じようにステージに立ちたい。1stアルバムの曲をキーを下げずにライブで演りますけど、キーを2音下げて1stアルバムの曲を演って喜んでいる姿と、当時と同じキーでお客さんが喜んでいる姿、これはもう雲泥の差なんですよ。そこは強く意識したいところですね。

──デビュー当時の衣装が今でも着れるしね(笑)。

中島卓偉:そうっすね(笑)。ずっと体型もキープしてきたからそれが当たり前になっていますけど、本当に、そこまでやってこられてよかったなって思っているんですよ。デビュー当時ツアーで履いていたパンツを15周年ツアーで履いて、それをMCに入れると結構「えー」ってびっくりされて。これは結構おもしれーぞと思ってね。18年目のときは1stアルバムで着たピンクのスーツを着て出たり。「まだ着られるんだ」って言うと、喜んでくれたりするわけですよね。それもエンターテインメントにできるんだなってことが時間が経って初めてわかりました。それは続けてきて頑張ってきてよかった。

──そこには努力が欠かせなかったでしょうけど。

中島卓偉:やっぱ、あるんですよ。今日は絶対走る日だと決めた日に、めっちゃ雨が降ったり台風がきたり。頑張って筋トレして外走っててめちゃくちゃ土砂降りにやられて“僕は何と戦ってんだろうな”って(笑)。23年間で腐るほどありました。ツアー先でめちゃくちゃいいライブができて、スタッフもメンバーも「良かったね」って。打ち上げに行きたいですけど、僕は「ホテルでだんまり決めます」って言って行かない。しゃべったら喉が枯れるんで。ヘトヘトに疲れているから身体は動かないけど、アドレナリンが出ているから寝られなくて、そのまま「明日も歌うのか」っていう、何と戦っているかわからないことがたくさんあった。それを耐えてきたご褒美が今だとするならば、頑張ってきてよかったなと思いますけどね。

──これからもそのままで(笑)。

中島卓偉:いやいや。まあでも常に進化したいとは思っているんです。焼き直しはダメですし、同じように速い8ビートの曲でも、若い頃の感じではなく、今だからこそ書ける曲調だったりアレンジ・表現力でいきたいですね。進化を遂げて変わり続けることをモットーにしてきたんで“この人は先に進みたいんだな”って思ってもらえるような“変わり続けることが卓偉だ” “先へ進もうとする卓偉が一番カッコいいんだ”と思ってもらえるように。

──それでこそ中島卓偉。

中島卓偉:ポルシェもそうじゃないですか、“最新のポルシェは最良のポルシェ”…素晴らしいキャッチフレーズだと思うんですよね。このキャッチフレーズがあるからこそ、あれだけデザイナーが冒険できるんだと思います。そしてカイエンも大ヒット作になった。

──なるほど。

中島卓偉:時代に合わせたレコーディングの仕方とかライブの仕方とか、時代の環境を受け入れてながらニーズに合わせたやり方に応えていきたい。もちろん古き良きものを長く使い続けることも大好きですけど、どこまでデジタル思考を受け入れられるか、それも自分の気持ちの持ちようですよね。独立したからこそ新しいことを採り入れ、新しい風を採り入れ、今までできなかったことを全部実現させたいです。楽しくハッピーにやれることが一番自分に合っているのかな。

取材・文◎烏丸哲也 (JMN統括編集長)

■Digital Single「風に飛び乗れ」

配信:2022年5月14日(土)スタート
各音楽サイトにて

■<中島卓偉 TOUR 2022「DESTRUCTION chapter 1」>

※全公演1日2回公演開催
【東京】
8月13日(土) Veats Shibuya
・1公演目:open13:00 / start13:30
・2公演目:open16:00 / start16:30
(問)DISK GARAGE 050-5533-0888
【大阪】
8月14日(日) OSAKA MUSE
・1公演目:open15:00 / start15:30
・2公演目:open18:00 / start18:30
(問)OSAKA MUSE 06-6245-5389
【愛知】
8月17日(水) Electric LadyLand
・1公演目:open15:00 / start15:30
・2公演目:open18:00 / start18:30
(問)サンデーフォークプロモーション 052-320-9100

▼Support Musician ※全公演共通
G:you (Nicori Light Tours / ex.Janne Da Arc)
B:Ju-ken
Dr:SHINGO (THE TERROR’S 666 / ex.JURASSIC)】
▼チケット ※全公演共通
前売り ¥6,500-(税込) ※ドリンク代別
一般発売:7月9日(土) 10:00~
【オフィシャルファンクラブ先行】
受付期間:5月30日(月)18:00~6月12日(日)23:59

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◆中島卓偉 オフィシャルサイト
◆中島卓偉 オフィシャルTwitter
◆中島卓偉 オフィシャルInstagram
◆中島卓偉 オフィシャルYouTubeチャンネル

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