生きる意味が行方不明な三十路オタクが選ぶ人生の目的

生きる意味が行方不明な三十路オタクが選ぶ人生の目的

  • かがみよかがみ
  • 更新日:2021/04/08
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3月7日、私は三十路になった。世間から見れば立派なババァだ。

でも、ごめん。私はババァたる知恵も度胸も経済力も、何一つ持ち合わせてはいない。30歳、独身女性、実家暮らし、趣味は猫と推しを愛でること。多くは語らずとも、多くの人がこの一文で、"何か”を察することだろうと思う。

子どもを「ペット」と呼んだ父。「死にたい」と言う私に「お前うぜぇんだよ」と言った

生きる意味がよく分からず「生まれて来なければ良かったのに」と思う

更に私は、あなたを落胆させることができる。私は未だに、生きる意味がよく分からずにいる。「生まれて来なければ良かったのに」と思いながら生きている。

それでも死なないのは、「私が死んだら家族に大きな罪悪を背負わせることになるだろうな」と思うからだ(昔、心底憎んでいた人間への当てつけに死のうとしたことがあったが、なぜあいつのために私が死なねばならないんだと腹が立ち、失敗に終わった)。家族がいなかったら、とっくに死んでいるかもしれない。

我ながら真面目に生きてきたと思うし、前向きになれるよう努力しているつもりだ。心理学や自己啓発系の書籍を読んだり、病院やカウンセリングに通ったりしてきた。でも、こびりついた黒い思考は、創業50年の定食屋の厨房の油汚れよりも頑固らしい。

その頑固な汚れを忘れられる瞬間がある。"オタ活”をしている最中だ。昨年沼にハマった二次元音楽コンテンツが、今の私の心の支えだ。推しの声を聞いている間、私は明るい日差しの降り注ぐ昼の中にいられる。

推しは歌う。自分らしくあること、自分に誇りを持つこと、誰かの価値観ではなく自分の基準で生きること。それは、私が「こうありたい」と散々求めて、叶わずにいる理想の生き様だった。

自分が「本当はどうしたいのか」希望を問われるのがとても苦手

例えば、目の前に二つのケーキを提示され「どちらが食べたい?」と問われたら、私はまず「相手はどちらを食べたいだろう?」と推理してしまう。選ばせてくれているのだから、選ぶ権利は私にあって、たとえ相手が欲していた方を私が選んでしまったとしても、それは選ばせた相手の責任なのに。

だから私は、私の希望を問われるのがとても苦手だ。自分が本当はどうしたいのか、心の声に耳を澄ませば澄ますほど、思考がこんがらがり答えが分からなくなる。何も考えずに生きられたらいいのにと何度も思った。

音楽が止まれば、私は再び夜に引き戻される。暗くて、重くて、微かな光すら見えない夜。いっときの幸福が何だというのか。私は無意味で、無価値で、何者でもない取るに足らない存在だ。鬱々としたモンスターが私に覆い被さる。

ところがある日、私は夕暮れの中にいた。推しの新曲が流れている。ありのままの自分を生きよう。自分の人生は人のものじゃなく、自分のものだ。

推しは架空のキャラクターであって実在しないが、彼のように生きられたらと切に思う。架空のキャラクターに陶酔するのを「くだらない」と笑う人もいるだろう。理解が及ばず、呆れる人もいるだろう。でも、私は真剣に考えてしまう。どうしたら彼のように生きられるのだろうと。

もう人のために生きるのではなく、「自分のため」に生きよう!

そうか。私は、急に腑に落ちた。自分らしく生きるというのは、自分のために何をするかということなんだ。個性的なファッションや、自分の考えを持ち主張することも自分らしさだが、それは相手ありきのこと。そうではなく、家族のために生きなければならないとか、そういうことではなく、自分のために生きてみたい。そう思った。

私が私を変えるなら。もう、人のための自分を生きるのをやめよう。自分のために生きよう。今まで私は、人生の大目的を違えていたのだ。誰かのために生きねばと思うから、役に立ち価値のある自分でなくては意味がなかったし、情けない自分を責めどんどん嫌いになっていった。

それが自分のためならどうだろう? 人のために作る料理と、自分のためだけに作る料理とに差が生まれるように、生き方にも大きな差が生まれるのではないか? その差はたぶん、私を救う。

自分のために選ぼう。自分のために生きる道を。

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ひしろ

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